リベルテ広場
ドルドーニュ川から北へ5キロ、南西フランス屈指の中世都市サルラ・ラ・カネダは、ルネサンス期〜17世紀の建築物が独特の雰囲気。
ここはリベルテ広場の北側で、土曜市はここで開かれる。
リベルテ広場
リベルテ広場
平日は閑散としているリベルテ(自由)広場も土曜市の日は人出でにぎわう。サルラ・ラ・カネダ(SarlaーlaーCaneda)の北数キロには
ドルドーニュ川が流れ、町は15〜17世紀の名残を色濃くとどめている。これほど保存状態の良い町も珍しく、町全体が中世〜近世の
生きた博古館といえる。特筆すべきは、サルラの町は百年戦争(1339〜1453年)で徹底的に破壊されたにもかかわらず、
戦争の終結を待たず大幅に、かつ根気よく五十年かけて修復されたこと。住民の町に寄せる熱い思いをうかがわせる話である。
リベルテ広場
ラ・ボエシーの生家
ベイルー広場のラ・ボエシーの生家。彼は「エセー」の著者モンテーニュとの親交で知られる詩人。
この家の窓、よく見ると4枚のガラスと2個の枠で仕切られている。
16世紀ではめずらしい仕切り窓。仕切りが十字架のようにも見える。
ラ・ボエシーの生家
薬局
この建物、緑の十字マーク、またはPHARMACIEという文字がなければ薬局にはみえない。
薬局
ガチョウ広場
Place de Oies。文字通りガチョウ広場。さすがフォアグラの町。フォアグラのソイ・ソース照り焼き、また食べたい。
ガチョウ広場
土曜市
ヨーロッパはどこでもそうだが、「なんとか市」は活気に満ちている。棚に積まれた鉢植えも、
石畳の鉢植えも、正午前にはすべて売り切れ。ニンニクさえも。
土曜市
土曜市
ニンニクがアッという間に売り切れるということは、家庭料理に頻繁にニンニクが使われるということです。この前を一回通り過ぎて、
40分ほどたって再びこの前を通ったら、テーブルのニンニクも、ぶらさがっていたニンニクも、影も形もありませんでした。
土曜市
土曜市
土曜市は朝9時にオープン、11時ごろにはほとんどの店が完売。ゆっくりめのブランチを食べて行ってみたら、
広場はもぬけのカラとなる。このお店はフォアグラとチーズを売ってました。
土曜市
土曜市
土曜市
土曜市
どの店も、毎週土曜になるとサルラへとやって来るのでしょう、パンを買っていく人も常連さんでした。サルラであれどこであれ、
広場や路地の市場では、地元の人々の素顔とじかにふれられるから、私の足は自然とそこに向かいます。
土曜市
土曜市
私の見るかぎりでは、紫キャベツとカリフラワー、赤ピーマンがおいしそうでした。特にカリフラワーは色白で見た目にも美しくサイズも特大、
値段はわが国の半値以下。つれあいの姉さま、真剣な顔でご覧になっておられました。それにしても似るものです、同じように腕組みして。
土曜市
土曜市
土曜市
なんでも通り
ロカマドゥールで二台のカメラがおしゃかになり、結局この通りの「何でも屋」で八千円のバカチョンを買った。
したがって、サルラの画像はすべてバカチョン・カメラで撮影しました。画像の露出が適正でないのも、粒子が粗いのも、
みんなみんな安物カメラのせいです。これホント!
 
この「何でも屋」の男前のお兄さん、トム・クルーズに似ていた。八千円は高いと言って値引きを要求したところ、
頑として応じないのでフイルム一本とカメラ用リチウム電池を「おまけ」につけよと言うと、仕方ないという表情で電池だけ
おまけしてくれた。
彼は関西人を知らなかったのかもしれない。翌日、偶然また彼に会ったが、値引きしたジャポネにまた会ったという顔を
していたから、もしかしたら分かっていたのかもしれません、われわれが「値引き屋」であることを。
なんでも通り
螺旋階段のある塔
左の塔の家の階上にのぼるには螺旋階段。狭い空間を有効に使おうとすればおのずとそうなります。
家のなかにも、中世がいまだに生きているという感じです。
螺旋階段のある塔
街の風景
街の風景
街の風景
街の風景
街の風景
街の風景
街の風景
街の風景
デコパージュ
デコパージュのミニチュア版とでもいうべき作品を売る露天商。店主(青いトレーナーに黒のベスト)と顔見知りの男たちの密談。
商品の売り上げにわれわれが協力してあげて、モノはトイレの壁に。
デコパージュ
石段
入り組んだ路地をさまよっていると、不意にあらわれる石段。こういう石段にしゃがんで焼き栗など食べると、
子供の頃に戻ったかのような気分になります。
石段右側の家、一生に一度でいいから住んでみたい家のひとつです。車庫が家から離れていてもいっこうに
差し支えなし、閑静で美しく、心が落ち着く環境にまさるものなし。
石段
画学生
サルラを散策していると、さまざまな風景や人に出会う。この高台に座って、街を写生していたのはフランス人ではなく、
ミネソタ州・ミネアポリスからやって来た画学生。おん年17歳と18歳の彼らは、30人ほどの仲間とフランスを旅し
すでに3週間、サルラの前はノルマンディーのル・アーブル、オンフルール、ドーヴィルで写生してきたと言っていた。どんな絵だか。
 
主にクレパスや水彩で描いていたけれど、サルラには品揃えのよい画材屋が何軒かあり、私もクレパスをしこたま買いました。
画学生
別れの日
三日の滞在はあまりに短すぎた。旅は見知らぬ土地への憧憬と好奇心から生じる行為だと思う。悲劇的ともいえる体験をへて
なお生きてゆけるのは好奇心を失わないからかもしれない。好奇心の発露は希望の道へと続く。サルラ・ラ・カネダには
そういうことどもを考えさせてくれる道があった。
別れの日