コルドはアルビの北西25`に位置し、中世の雰囲気を色濃くのこす人口960人ほどの、
フランスで初めて夜間照明が試みられたのが不思議なくらい小さな町です。
 
秋になるとコルドを思い出し、丘の上からコルドの全景を眺めたときの感動がよみがえってきます。
ある風景をみて魂の震撼をおぼえたことは、単に稀有な経験というだけでなく、自分自身にとって
旅がどういう意味をもっていたのかを再考するよすがともなりました。


城門
城門
空の上のコルド(コルド・シュル・シェル=CordesーsurーCiel)の来歴を思えば城門の多いことがうなづける。13世紀、この町はアルビジョワ十字軍に対抗してレーモン7世がつくった要塞都市であったのだ。
 
フランスにかぎらず欧羅巴においても、こんな小さな町にこれほど城門の多い町は稀である。だがそれゆえにコルドを中世色の濃い町にしている。
 
 
街路
街路
城門をくぐると急勾配の街路、というより路地がしばらくつづく。ご覧のとおり一方通行で、車は一台通るのが精一杯。向かって左は上り専用、右は下り専用。そこはかとなく歴史の香りただよう家並み。コルド全体が中世の石の塊である。
 
 
雨上がり1
雨上がり1
朝方小雨が降って路面がぬれていた。10月半ばのコルドはシーズンオフ。訪れる人もまばらで、静寂のなかひっそりと私たちを迎え入れてくれた。コルド・シュル・シェル、小さな巨人。
 
 
雨上がり2
雨上がり2
右端の赤い旗はインフォメーション。素朴で親切な係の女性と会話をたのしんだあと散策した。前を歩く女性ふたりは、そう、待ちきれないのだ、コルドの魔力に心奪われて。
 
 
コルド
コルド
コルドが昔から革細工でその名を知られていた。サン・ミッシェル通りには、こじんまりした革細工の店が軒をつらねている。観光客のほとんど訪れない季節、店はガランとし、主の姿さえ見えない。
 
ソリスト
ソリスト
コルドでデュメイのポスターを見ようとは‥オーギュスタン・デュメイは日本でもしばしばコンサートを開いているヴァイオリニスト。「いずみホール」(大阪)で二度聴きにいった。
 
二回ともマリア・ジョアン・ピリスとのデュオコンサート、ピリス(ピアニスト)もそうだが、デュメイも几帳面で繊細なソリストである。ポスターによると、7月31日にサン・ミッシェル教会でコンサートが催されていた。
 
 
コルドのホテル1
コルドのホテル1
日本からFAX予約を試みたホテル「グラン・エキュイエ」。
送信した日の翌日、返事がかえってきた。「お客さまのチェック・アウト予定日から当ホテルは休業に入ります。まことに申し訳ありません。」
というわけで別のホテルにFAXを流した。グラン・エキュイエは翌年5月上旬まで長い長い眠りに入る。
 
コルドのホテル2
コルドのホテル2
宿
宿
コルドのもう一軒のホテル「オステレリエ」のアネックス、つまり別館。この古ぼけた小さなホテルの入り口は迷路のようだ。しかも、焦げ茶色の扉は閉まっていて、中に人のいる気配はない。結局、本館(ここも中世の遺跡)のほうへ行って、扉左隣に取り付けてある開閉器の暗証番号を教えてもらい、自分で扉を開けた。
ここも三日後には休業する。コルドでは団体客は宿泊不能である。彼らはアルビの団体御用達ホテルに泊まる。
 
 
シーズンオフ
シーズンオフ
みてのとおり屋外レストランのパラソルはたたまれ、閑散としている。
昼食をとった古風なレストランは14世紀の建物で、地下の部屋は天井が低かった。そこのおかみさんが、「いまは客もいないけどね、夏に一年分かせがせてもらったからね。」と聞きもしないのに語っていた。
 
正面はカトリック教会、960人の住民からすると大きな教会で、コルドの長い歴史と栄華をしのばせる。
 
 
秋
秋
自然体で、溶け込みやすく、古くからの知り合いのようなコルドは、町そのものが遺跡であり、美術品であると思う。一泊しただけなのに、もう隣近所の人たち‥インフォメーションの若い女性、本屋のおばさん、レストランのおかみ、広場で幼子と遊んでいた若いお父さん‥と親しくなった。
思えば若いころから都会の喧擾より田舎の静謐を求めた。騒がしくて、水と空気のおいしくない都会や町は、どれほど便利で機能的であってもノーサンキュー。
 
大都会で暮らした7年は時間浪費にすぎなかった。タイム イズ マネーとはとうてい思えず、「水と空気のうまい場所」 イズ 「マネー」と思う質なのだ。
いや、そうではあるまい、そもそもマネーにはあまり縁がないので、旅は心の貯金などと平気で言えるのかもしれない。マネーにめぐまれてそう言うのは偽善である。
 
 
裏通り1
裏通り1
裏通り2
裏通り2
舗装のゆきとどかぬ裏通りや路地、日本の都会から消えた風景である。都会から失われたものはあまりに多すぎて思い出す気にもなれない、都会には何故ああも不要なモノがあふれかえっているのだろう。
 
都会にモノが多くなればなるほど、人のやさしさは少なくなるのではあるまいか。スコットランドで思ったことをコルドでも思った。都会に美しさがあるのだろうか。川や池、夜明け、黄昏、人のこころ、町に溶けこむ美しさは都会とは無縁。
 
 
裏通り3
裏通り3
無数の石を巧みに積み上げた古い民家。
いくつかの窓はツタにおおわれ、窓本来の用を足していない。窓のある部屋は「開かずの間」となっているのだろうか。秋のコルドは静謐にみたされ、遠い日の追想にふけるには十分である。
 
 
名残
名残
中世に城塞であったことの名残であろう、ネコのひたいほどの小さな畑があった。自給自足ということである。また、コルドには深さ114bの井戸がある。敵に包囲されたときの飲料水も確保されていたのだ。
 
 
懐かしい風景
懐かしい風景
なだらかな丘陵地をぼんやり眺めていると、肩の力がぬけて心身ともに軽やかな爽快感と解放感にみたされる。丘(画像右上)からまわりの景色を眺めるのは至福のひとときである。
日が暮れるまでそこにいる快楽。何もしなくても焦燥感にさいなまれることもない安穏の日々。そういうひとときを味わうために生かされてきたのだろうか。
 
 
天空都市=コルド・シュル・シェル全景1
天空都市=コルド・シュル・シェル全景1
コルド・シュル・シェルの全景のみえる丘にのぼって、コルドのすべてをみたかった。画像のてっぺんにあるちいさなホテルからこの丘までの長いはずの道のりがどれほど短かったことだろう。前日の雨で丘にのぼる地道はぬかるんでいたが、泥道をものともせず一気にかけのぼった。
 
はたして丘は人の影さえみえず私たちの貸し切り。丘にたどりついて、コルドの全容を眺めたときの感動はことばではいいあらわせない。私、つれあい、つれあいの姉、みんな無言だった。何時間もただ黙ってみつめていた、丘に日が落ちるまで。
 
 
天空都市コルド全景2
天空都市コルド全景2
14世紀以降ほとんど変わらない風景。コルドのいちばん高いところには教会(建物群の右)があって、教会から打ち鳴らされる鐘の音は石の民家をかけめぐり、城門をくだって、丘をわたる風になる。
 
途方もない時間の経過があったからコルドのたえなる美しさを感得できたのだろうか。
 
時間とは何か。時間をかけてうしなうものもあり、また、うしなったものを取りもどすこともある。
それは体力や集中力のおとろえであったり、判断力の強化であったりもするが、場合によっては土のなかで育まれつつもなかなか表面に出てこない新芽があり、その萌芽を手助けする何かを私たちは時間と呼んでいるのかもしれない。
 
老いとは何か。老いとは時間にめざめることである。時間にめざめるから、いっとき、いっときをかけがえのない命と思うのだ。
時間は意地悪だから二度ともどってこない。だから、その時その時を、刹那であったとしても、大切にすごしたいと思う。
 
 
天空都市コルド全景3
天空都市コルド全景3
魂でさえ自らを知るためには魂をのぞきこむといったのはだれであったか。魂を震撼させるほどの風景、それは驚愕と喧噪とは無縁であり、安寧と静謐を私たちにもたらすもののことである。
 
コルドの全景をみたときの感動をどういいあらわせよう。よろこびがいったん空中に飛散し、脳を経由しないで直(じか)に血管に入ってきたとでもいおうか、感動が皮膚から入って鳥肌が立ったのをいまでもはっきりおぼえている。感動が血液のすみずみにまでゆきわたり、えもいわれぬ感覚にみたされた。
 
あれから6年の歳月が過ぎ、こうして追憶にふけっているが、年をへるごとにコルドへの思い入れが樫の木の年輪のように密度をましてきた。
深い経験は、あとになればなるほどその深さがみえてくる。それが自らを知るということであってみれば、いやおうなしに自分がほんとうに愛したもの、真に影響をうけたものが何であったかを知るのである。そして心の風景に映った人々がみえてくるのだ。