カルカソンヌ1
カルカソンヌ1
ヨーロッパ最大の城塞をもつ中世都市カルカソンヌのシテ。
数々のおぞましい歴史に彩られていて、13世紀のカタリ派虐殺はつとに有名。
シテに籠城したカタリ派(キリスト教の一宗派。アルビの町が中心となったのでアルビジョア派ともいわれる)は
真に清らかであるためには現世を捨て、非暴力と菜食、性行為禁止の生活を実践したという。かれらとローマ教皇
との抗争は百年におよんだ。 画像はオード川にかかる旧橋(ポン・ヴュー)から撮影。
 
  夜景は必見。
 
 
カルカソンヌ2
カルカソンヌ2
 
カタリ派はヴァチカンから異端とされた。ローマ教皇はフランス全土の騎士に大号令をかけ、騎士のなかには、
ラングドック地方からカタリ派を一掃することで永遠の救済を保証されるならと遠征に参加した。
この十字軍遠征はエルサレムとちがって近場なので楽なのと、他国から派遣された十字軍との競争もなく、なによりも
カタリ派の財産を略奪できるのが魅力だった。
 
1209年、2万人の騎士がカタリ派討伐の連合軍を結成し、徹底的にカタリ派を弾圧する。
カルカソンヌからミディ運河を東に向かうと地中海にでるが、海の手前にベジエという町がある。ベジエでは1209年7月、
マドレーヌ教会に避難した数千人が虐殺された。
カルカソンヌだけが2週間抵抗したが、カルカソンヌ子爵ロジェ・トランカヴェルは捕虜となり、子爵領は略奪者レステル伯
のものとなった。
 
追いつめられたカタリ派は翌年、ミネルヴァ地方の要塞にたてこもり、数ヶ月のあいだ包囲軍に抵抗したが、井戸が
ネズミに汚染され、さらに夏の炎暑で干上がり、降伏を余儀なくされた。彼らの多くは信仰を捨てることを拒否。
その結果、薪による巨大な火あぶりで焼き殺された。
 
※レステル伯は8年後の1218年、トゥールーズの城塞の下で両眼のあいだに投石され絶命した※
 
 
シテ1
シテ1
シテは16世紀半ば以降、荒廃につぐ荒廃に身を任せた。19世紀になると城塞取り壊しの話もでるが、
中世研究家で建築家のル・デュックがシテ修復事業に着手。こんにち、シテが世界遺産に登録されているのは
ル・デュックのおかげといえる。
画像のシャトー・コンタルのオリジナルは1125年にカルカソンヌ伯爵が建立した。(現在のものは復元後の建物)
 
ル・デュックの修復前にシテを訪れた(1838年4月27日)スタンダール(当時55歳)は、「南仏旅日記」(新評論社)
に以下のように記している。
【古いほうのカルカソンヌ(シテのこと)は、新市街と隣り合わせの山の上にある。新市街の門を出ると、丘の上に
旧市街が見えたが、初めは何が何だかわからなかった。どうやら廃墟と化した城塞らしい。窓一つ見えない。
見えるのは小さな円形状のもので、灰色の城塞に囲まれたやはり灰色の村に、そのまわりの樹木のない丘の
冴えない緑だけである。】
 
スタンダールの文章でわかるのはシテの惨状だけである。修復のありがたさを知る文である。
 
 
シテ2
シテ2
シテの二重になった城壁を歩く。壁と壁のあいだが狭くて薄暗い場所もあるが、このあたりは道幅も広く、
人もまばら。その年にもよるだろうが、10月中旬の平日なら閑散としているのではないだろうか。
シテで二泊して一日目も二日目もシテを歩いたが、昼夜ともに人は少なかった。
 
 
シテ3
シテ3
この石橋はシャトー・コンタル(伯爵の城)への架け橋。シャトー・コンタルは12世紀の城館だが、
ここのガイド・ツアー(英語)はとても聴き取りやすかった。
 
 
シテ4
シテ4
シテ内にあるホテル・ド・ラ・シテの近く。しゃれたギフト・ショップ、本屋もある。
 
 
シテ5
シテ5
この道を反対方向から歩いてみると、周囲の景観がちがってみえる。朝と夕方でも景色が微妙に異なる
のは光の調べがちがうからだろう。
 
 
シテ6
シテ6
(二重の城壁の)内側と外側の城壁。こうして見ると内外の関係を視認することができる。
内側の城壁には観光客もいるいが、外側の城壁には影さえ見えない。
 
ところで左下の女性二人、母子でしょうね。腕の組み方が似ている。
 
 
シテ7
シテ7
外側の城壁に上がっている人もいたりする。
ここに上ると気分爽快、澄んだ秋の空の彼方にピレネー山脈を望むことができる。
 
このあたりで子供たちがサッカー・ボールで遊んでいた。世界遺産であっても子供にとっては遊び場であり、遊べる場所
かそうでないかが子供には重要なのである。
「ボール遊び禁止」といったヤボな看板もないし、城壁にボールをバウンドさせる不届き者もいない。
 
中世にタイムスリップしたとか、不思議な感覚などという陳腐でわけのわからない修辞をする気はない。
そういったものとは異質な何かがシテの道にあふれていた。
あえていうならそれは、子供のころここで遊んだことのあるような懐かしさである。
 
 
シテからの眺め1
シテからの眺め1
シテからの眺め2
シテからの眺め2
シテからの眺め3
シテからの眺め3