或る劇場
或る劇場
 
旧市街広場から何処をどう歩いてここまで来たか忘れてしまった。通りの名前も劇場名も憶えていない。
憶えているのは、この小さな劇場で中世の寸劇が上演されていたということだけである。
旧市街には迷路のような通りが数多くあって、旅行者が一通りマスターするには4,5日かかるかもしれない。
 
 
ヴァーツラフ広場
ヴァーツラフ広場
 
ヴァーツラフ広場はプラハ唯一のショッピング街。名古屋の100b通りには及ばぬものの、幅60b、
長さ700b、多くの店舗、レストラン、アメックス代理店、各種チケット売場が軒をならべる。
建物のほとんど(55棟)は20世紀初頭に建てられたもので、当時のプラハの新鮮な息吹が伝わってくる。
 
それにしてもこの広場、広場というよりは幅広の通りといったほうがよいようにも思う。
ヴァーツラフ広場・最南端の高台に国立博物館、そのやや手前にヴァーツラフの像がある。
騎馬姿の凛々しい像は、チェコの彫刻家J・ミスルベクによって19世紀後半につくられた。
 
 
ホテル・ヨーロッパ
ホテル・ヨーロッパ
 
「HOTEL EVROPA」(ホテル・エヴロパ)はヴァーツラフ広場(プラハのシャンゼリゼといわれる)にある。
このホテルは後期アール・ヌーヴォーの傑作で、1906年の創建。
建物正面のファサードはつとに有名で、モノの本によるとその装飾は花や樹をモチーフに「天国の自然」をあらわしている。
GFのだだっ広いカフェの壁、ドアノブ、照明器具などの多くは原爆ドーム(広島)を設計したヤン・レツェルの意匠といわれている。
 
 
路面電車
路面電車
 
プラハにかぎったことではなく、ヨーロッパの町の多くにはいまもなお路面電車が走っている。
私はこの路面電車のファンで、一時札幌に住んでいたころは、用もないのに乗ったものである。
リスボンのあの急な坂道を元気にのぼってゆく電車には、ただそれに乗るだけで心が踊る。
 
プラハの路面電車はひどく速い。運転手がスピード狂かと思うほど速い。
速すぎて、ふつうのシャッター速度だとブレがくる。この写真もブレてしまった。
車内の若い女性はだいたいが美人なのに、ブレのせいでよく分からない。
どういうわけか、みな私を、あるいはカメラをいっせいに見た、それがこの写真です。
 
 
 
公衆電話
公衆電話
 
なんだ、公衆電話か、そう思われても仕方のない写真です。
これを撮ったのは、電話BOXに扉がないからなのです。
 
電話で思い出すのはプラハ中央郵便局構内の公衆電話。
この年のシンフォニー・ホールのジルベスタ・コンサートの前売予約。
シンフォニー会員の優先予約というのがありまして、予約日当日が
プラハ滞在とぶつかってしまい、早朝(深夜というべきか)3時に
宿(ホテル・パラス)を抜け出し、通りを隔てた中央郵便局へ‥。
 
日本との時差は8時間(冬時間)なので、あちらは午前11時、
電話予約がはじまってすでに1時間過ぎていましたが、
なに、10時〜11時は何度リダイヤルしてもつながりません。
 
郵便局までの距離はホテルのエントランスから100bほどの至近距離。
外へ出たら時間が時間、昼間の喧噪がウソのように水を打ったような静けさ、
人はおろか猫の子一匹おらず、おまけにいいようのないくらいの寒さ。
しかし町がたとえようもなく美しく、空も建物も、道路さえも青に染まっている。
 
都会であんなにきれいな夜を見たことはなかったのではないだろうか。
(3年後、夜のエディンバラ「プリンセス・ストリート」で同じような青をみた)
灯りといえば街灯だけで、余分な照明は一切なかった、それもよかった。
 
 
ホテルの部屋にも勿論電話はあるのですが、料金がバカ高く不経済、
私はできるだけ外の公衆電話を利用します。あの時はそれが大正解、
部屋の電話を使っていたら、あの幻想的な青と出会うことはなかった。
そのとき使ったテレフォンカード、プラハ市内のキオスクで購入、
デザインはカレル4世の肖像画、市民との親密な関係を示しています
 
 
国立歌劇場
国立歌劇場
 
ネオ・クラシック様式のオペラ座。内装は漆喰を用い、客席天井の装飾、シャンデリアは外観に比して華麗のひとこと。
客席内の絵画も保存状態はよい。建物2階部中央に「ジョゼッペ・ベルディ リゴレット」と地味な看板が出ている。
 
プラハ滞在二日目の朝、ヴァーツラフ広場の公設チケット売場へ寄って演目をきいたら、リゴレットということだし、
空席も、中央寄り前から4番目に2席のこっていると明快な返事がかえってきたので、観劇料をたずねた。
530コルナとこたえた若い美女の言外にはおそらく、「あなたたち日本人からみればかなり安いと感じるでしょうね」、
といったニュアンスが含まれていただろう。そんな感じがほのかに立ちのぼってくる顔で私たちを見たのだった。
 
530コルナは96年当時の為替レートで邦貨2700円、安いとか安くないとかを云々する埒外のことである。
翌日の夜、リゴレットをみにいった。満員だった。序曲の後、幕が上がったときの光景を私は鮮明に憶えている。
マントヴァ公爵の宮廷の大広間、何人もの貴族がまちまちの姿勢でただじっと立っている。
彼らの配置、衣装、それぞれの巧みなポーズ、広間に置かれた調度品と絵、それらをボ〜と浮き上がらせる照明、
緋色や紺の濃厚で深い色と克明な人物描写、まさにレンブラントの世界を想起するのに十分であった。
 
不意に彼らが動き出したとき、レンブラントの絵に生命が宿り、各々の目的に向かって呼吸をはじめたのだ。
 
リゴレット役者(バリトン)はひどくうまかった。ほかの役者を圧倒していた。
リゴレットの娘ジルダ(ソプラノ)を演じた女優がもっと歌唱力があったなら、そして、
マントヴァ公爵役(テノール)がもっと女たらしの本領を発揮していれば完璧であったろう。
 
ところで、第一幕のはじめのほうだったと記憶しているのだが、どこから現れたのか夜の蝶が一羽、オーケストラ・ピットを
悠々と飛び回り、その得意げなさまは、オペラは歌と演技だけでなく、蝶の舞いも存在すると言いたげな飛翔だった。
10月初旬、プラハの夜は冷える。季節はずれの蝶の舞い、客席は臨場感たっぷりの飛び入りに満足していた。
そうなのだ、あの蝶は、思いを遂げることなく犠牲になったジルダのかわりに自由になったのだ、そうに違いないのだ。
 
コルナはクラウン、王冠という意味ですが、チェコがEU加盟後通貨統合に参加すれば、コルナの名も消滅します
 
 
聖ヴィート大聖堂1
聖ヴィート大聖堂1

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