トレッキング
生涯スポーツとしての・・・。 ソロハイキング
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

■ 生涯スポーツとしての、パート3 『ソロハイキング』に付いて、色々な 情報コーナーです。

 今回何故に、『トレッキング』(ソロハイキング)を新設したかと言いますと、たまたま縁が有り、昔に生まれ育った近くに借家が借りられ、2年前の2019年11月に 桃山から、今住んでいる深草極楽寺町に引越しをしました。
 翌年直ぐから、「コロナウイルス」が蔓延しだし、今迄の生活スタイルが出来なくなり、必然的に感染防止策が優先しての生活に、変えなければならない様になってしまいました。
 そんな事と、私毎が、色々な部分で重なってきて、まず、年齢が70歳の大台に乗り、仕事も出来れば辞めたいですが、さも行かず、有り難い事に仕事が出来る体力は残っているので、食べて行く為に、老体に 鞭打って頑張っておりますが、悲しいかな仕事がデスクワークで、どんどん運動不足になり、体力が落ちる一方で、普段テニスは週一位でしていますが、何か解決する方法はと考えた時に、そうだ!昔遊んだり ウロウロと冒険や探検で、隅の隅まで記憶に残っている風景は、どれ位変わっているのか?、変わっていないのか?、全て確認がして見たいとの好奇心が重なり、まず初めに近くのお寺や神社、名所旧跡を見てみようと、 歩き出しました。
 歩いてみて解った事ですが、今迄は何処へ行くのも車で移動し、殆ど目的思考で、車を降りて覗いてみる事すらしていなかった事が分かりました。
 そんなこんなで、ウロウロとして見ると、今迄思っていた事が違っていたり、昔の記憶の風景が変わっていたり、「幻滅」する事も有れば、「再発見」する事も有り、今まで行けていない処や、行ってみたい処に、 取敢えず行ってみる事とし、順番に始めて見ました。
 続ける切掛は、やはり「コロナ禍」で「緊急事態宣言」が発令され、近場ですがあちこちウロウロすると、今迄はインバウンドや観光客で溢れていて、近付けるどころか、わざと避けていた処ですが、かの京都の有名 処なのに、今迄見た事が無いくらい「人が居ない」と言う珍現象で、取敢えず今の内に確認しておこうと、まず手始めに「伏見稲荷大社」や周辺の周回参道へ行ってみましたが、昔の風景が復活していて思い出され、 "感動"モノでした。
 此れに味をしめ、「東福寺」「桃山城」「勧修寺」「泉涌寺」「智積院」「豊国神社」等などの近辺も、この時とばかりに、あちこち探索しました。

年が明け、2021年になりましたが、「コロナ禍」が収まる樣子も無く、ワクチンが打てる見込みが見えて来た今年の春に、体力の増強や筋トレの一環で、去年色々な処を歩いて来て、歩くのは何キロでも 歩けそうなので、一番身近な、自宅から歩いて3〜4時間ぐらいの距離を歩くと、今まで行けていない山科の「大石神社」や「山科神社」迄行き、渋谷街道経由で稲荷山の裏から泉涌寺経由で、東福寺、伏見稲荷大社 を通り帰宅しました。
 距離やアップダウンは歩けたのですが、距離よりも少しでも体力増強にと、足と手に1kg以上ずつ、合計で5kg程ウエイトを巻き、今は毎回歩く様にしています。
 トレッキングなので、腕の筋トレの為にと、トレッキングポールを購入し、ストレートポールなら、スキー用の高かったSWANSのポールが有るのですが、折り畳んで持ち運びが出来、腕に負荷が掛かる様に、 カーボン製では無く、ジュラルミン製を選択しましたが、トレッキングポールは、歩くのを補助し楽にする道具で、使ってみた結果、今の私には意味がなく、暫くお蔵入りになります。
歩いてみて解る事ですが、日本にはまだまだ四季が有り、歩く度に感じが変わる事も、同じ所を歩いていても、天候により感じが変わる所も、飽きない所だと再認識しております。
 此処の下に、近隣の寺社仏閣や名所旧跡で、行って来た処の写真や情報等、掲載する予定ですのでお楽しみに。

 2022年の秋に何時もの山を歩いていると、道端に昔ついばんでいた思い出の有る野いちごを見つけ、その場で食べていたのですが、歩きながら見渡すと結構な量が有るので、帰ってからネットで調べて見ると、 冬野いちごで、11月〜1月の間実がなる様で、それから毎週野いちご狩り(体力的に結構きついですよ)に山歩きしに行き、相当量溜まったので、野いちごジャムにしました。同じジャム作りするならと、砂糖を使わず (結果として砂糖は使っていますが)野いちごを綺麗に掃除して洗い、煮詰めてから水飴とはちみつとレモン汁のみで作りました。食してみると非常に美味しく、今も頂いておりますし、今年の秋が楽しみです。

ちなみに、私達は昔はワンダーフォーゲルと呼んでいて、その後『トレッキング』に移行し、最近はソロキャンプと共に『ソロハイキング』と呼んで居るようですね?。(笑)

■ 『深草トレッキング』 に付いて、色々な情報コーナーです。

 『深草トレッキング』コーナーを始めたのは、上にも書いておりますが、私が生まれ育ち、小さい時の遊び場や、生活の一部で、買い物や 通学、山菜採りや季節ごとの色々な食材探し等で、深草の里山は、我が家の庭みたいなもので、隅から隅まで散策し、裏の裏まで分かっていた筈でした。
 しかし、よく歩いたのは中学生位迄の50年以上前の話で、再確認のために歩き出したのは、今の場所に引越しをし、コロナウイルスが蔓延し出したのを切掛に、今迄行きたくても 敢えて避けていたり、身近で何時でも行けるとの言い訳でサボっていたのですが、手始めに直ぐ近くの宝塔寺(七面山)界隈の探索から始めました。
散策をしてみて、余りの懐かしさや、50年前と変わっている処や変わっていない処など、ある意味感動モノでした。
その事で、あそこは「どうなっているのだろうか?」とかと言う好奇心が湧いてきました。
 そんな折、世間ではコロナウイルスが猛威を振るい出し、何をするにも、出来るだけ人と接しない事が求められた事で、この『深草トレッキング』が私にとって、最適の課題となりました。
基本的なルート案内やチェックポイントは、この『深草トレイル』で確認して下さい。
たまたまの切掛のもう一つは、仕事がデスクワークなので、運動不足や体力低下の解消の為で、季節や天候にもよりますが、出来るだけ週一の土日を選んで散策しだしました。
 その時何を感じたかと申しますと、近隣の寺社仏閣や名所旧跡等の確認は当然で、それ以外に何も無い竹藪や山路が気持ち良く、再認識しております。
 今は、基本ルートとして、自宅を昼過ぎ出発→眞珠院辺りから→深草の竹藪を通り→大岩神社で休憩しストレッチ→稲荷山の裏側の三角点近くを抜けて→大石神社や岩屋寺で小休止→渋谷街道旧愛宕神社→ 稲荷山裏の分岐点から→三角点近くの四つ辻→稲荷山一ノ峰近くで小休止→青木の瀧→奥社奉拝所→深草墓地公園→七面山頂上で小休止→宝塔寺へ降りて行き→帰宅迄、大体3〜4時間位で、 日暮れ迄に帰宅出来ます。写真はそのルートや途中の風景です。
中々気に入っているルートで、季節や天候により、色々なルートに変更出来るのが嬉しいです。

4〜5年前の台風で、通行が規制されていた、稲荷山裏の三角点から愛宕寺跡経由東福寺と渋谷街道分岐点迄のルートが整備され、確認の為歩いて来ました。なかなか良い道で気に入っております。
このホームページを見られた方も、一度挑戦して見て下さい。


■ ここからは近隣の 『寺社仏閣・名所旧跡』 の情報コーナーで、歩いてでも行けます。


■ 此処からは少し脚を伸ばして、『大岩神社』から大岩山の紹介です。
 その昔、小さい時の遊び場の距離ですが、何故か大岩街道から奥に行くのをためらっていたのですが、ひとつは薄暗く陰湿なイメージが有ったのと、 2つ目は、西隣りに陸軍の射的場が有り、当時はもうだれも居なかったのですが、遊び場から除外していました。
 東隣りには、桃山国際ゴルフ場が有り隣接の道路を車で通り、時々ゴルフをしに行っていましたが、大岩神社にはお詣りした事は無かったです。
今回行ったのは、ご多分に漏れず近隣の確認の為に行きましたが、すでに廃業されていて、しかも3年程前の台風で相当被害を受けられ、鳥居なども倒木で壊れていましたが、通行出来る様には整備 されていました。
台風被害の前に、大岩山展望台も綺麗に整備されていました。
ここには、堂本印象が寄贈された彫刻鳥居が奉納されており、どのようにして、後世に残されるのか気になります。


■ 交通の基点、『勧修寺』の紹介です。
 昔から深草からの交通の要で、地理案内の地名や目印で、"かじゅうじ"と読むそうですが、私達は"かんしゅうじ"と呼んでいました。
歴史やエピソードに付いては、『勧修寺』のホームページを見て下さい。
北東は岡崎方面や大津方面、南東は宇治方面や山城方面に向かう分岐点でした。
なので『勧修寺』の前はしょっちゅう通っていたのに、何故か中へ入った記憶が無かったので、見てみたいと思い、行って来ました。
でも、情報は季節の折々にちらちらと入っていたので、新鮮さは余り感じなかったです。
広さもそれ程広くなく、外周を通って居たので、想像はしてましたが、想像に近かったです。
幸いな事に、横に名神高速道路が通っているにも関わらず、音もしませんし、敷地内から見えないのが何よりです。
たまたま行った季節が春で、花菖蒲が綺麗でした、でも残念ながらこの場所は山科区でした。


■ 少し足を延ばして『随心院』の紹介です。

 ここも何で知ったかと言うと、旧奈良街道で抜け道として、山門の前をよく通っていたので、名前だけはよく知っていました。
小野小町や化粧井戸ぐらいは聞いたことは有りますが、中には一度も入った事が無く一回りして、見てきました。
春には梅園の花が綺麗に咲いている様です。
でも残念ながらこの場所は山科区でした。
歴史やエピソードに付いては、『随心院』のホームページを見て下さい。
小野小町と深草少将との百夜通いと言うのが有名らしいのですが、良く分かりません。
深草少将と言う名前だけで、伏見の深草と何か関係があるのかなと思うだけです。


■ 大石内蔵助縁の地『大石神社』の紹介です。

 前々から年末の四十七士の武者行列や義士祭が有名で、気になっていた神社なので、一度は行ってみたいと思っていました。
このコロナが切掛で近隣を散策し、少しずつ足を延ばして、行ってきました。
幸いな事に、春の桜が満開の時期だったのですが、人は殆ど見かけず、密にならないのが気に入り、それ以降毎週ここ迄歩いて、ここで小休止し、稲荷山経由で自宅までソロハイキングしています。
ルートなどは、上記していますのでそちらで見て下さい。
歴史やエピソードに付いては、『大石神社』のホームページを見て下さい。


■ 大石神社の隣『岩屋寺』と『山科神社』の紹介です。
 もともと大石神社に行き、近隣を散策すると、直ぐ横にこの『岩屋寺』と『山科神社』が有り、参拝してきました。
歴史やエピソードに付いては、『岩屋寺』のホームページを見て下さい。
岩屋寺の方は、現在も修復工事をされており、外観は仮囲いで覆われ、見えない状態です。
参道前に大石内蔵助隠居跡の石碑が有り、一帯が公園になっており、ゆっくりと休憩が出来ます。
その隣に、山科神社が有り、お参りして来ました。
歴史やエピソードに付いては、『山科神社』のホームページを見て下さい。
普段の土日でも、参拝者や散策人が少ないので気に入って、よく行くようになりました。


■ 此処からは北の方に足を向けて、東山方面から『東福寺』の紹介です。
 昔の小さい頃の記憶で、多分遠足や絵描き等で、行っていたのだと思います。
その中でも鮮明に記憶に残っているのが、かの有名な通天橋の下で、サワガニを採っていたのを覚えております。
昔は自由に入れて、遊んでいましたよ。
東福寺の庭園も綺麗ですが、境内も静寂で広く、見ごたえも有ります。
歴史やエピソードに付いては、『東福寺』のホームページを見て下さい。
紅葉シーズンには人で一杯に成るので近付きませんが、今年はどうなのでしょうか?。
通天橋からのライトアップは余りにも高すぎますし、見頃も最近の異常気象で、年末ぐらいにずれ込んでおります


■ 皇室御香華院『御寺 泉涌寺』の紹介です。
 ここは藤森神社の神輿渡御の最終地点なのですが、今迄行く機会が無く、この際にと行き出し、結構な回数お参りさせて貰っております。
参拝ルートも、稲荷山から裏道で降りて行くと、東山トレイルのルートに出て、進んで行くと自然と泉涌寺に着きます。
このお寺は、名前の通り皇室ゆかりのお寺様で、奥に行けば、歴代の天皇家のお墓が所狭しと並んでおり、奉拝所から東山を背景に菊の御紋を見ると、気持ちが新たかになります。
歴史やエピソードに付いては、『御寺 泉涌寺』のホームページを見て下さい。
隣接の陵墓や、今熊野観音寺や雲龍院などの塔頭も必見だと思います。
参道を散策するだけでも値打ちが有ります。
是非一度はお参りに詣でて見て下さい。


■ 東山七条迄足を延ばして『智積院』の紹介です。
 ここの前も車ではよく通るのですが、気にはなっているのに一度も入った事は無く、初めて行ってきました。
豊國神社から豊国廟へ行って、戻ってきしなに、立ち寄りました。
たまたま拝観も可能でしたので、ゆっくりとお庭も拝観させて頂きました。
ゆっくりと境内もめぐり、堪能した結果、非常に手入れされ、掃除も行き届き気持ち良かったです。
歴史やエピソードに付いては、『智積院』のホームページを見て下さい。
ここは時節柄、疫病退散・無病息災祈願のお寺です。


■ 伏見と縁が深い豊臣秀吉公の『豊國神社』『豊國廟』の紹介です。
 豊臣秀吉ゆかりの伏見桃山城や醍醐寺、伏見稲荷大社等の歴史の上に、ここ東山の中腹に豊臣秀吉公のお墓が有ります。
下の豊國神社も、昔は無かった東大路通りで分断されており、神社の意味合いが今ひとつ分かっておりませんが、宝物館が有り公開はされております。
歴史やエピソードに付いては、『豊國神社』のホームページを見て下さい。
豊國廟も登ってきましたが、相当数の階段を登らなければ行けませんので、相当体力を求められると思います。
私の体力で、往復小1時間掛かりました。
但し登ってお墓をお参りした後、眼下を見下ろすと、清水寺が綺麗に見えていました。


■ 此処からは南の方に足を向けて、桃山方面から『伏見桃山城』の紹介です。
 元々は豊臣秀吉が築城した伏見桃山城が、この場所に有ったそうですが、伏見地震(花折断層南端に位置する)で倒壊し、何も無くなった処に、近鉄が建設して 経営していた「キャッスルランド桃山」と言う名の、アミューズメント施設(遊園地)を運営されていたのですが、20年近く前に閉園され、京都市に寄贈されたのですが、鉄筋コンクリート建てなのですが 耐震強度不足で、建物内には入れませんが、外から見てる限りではそれなりで、見ていても違和感は有りません。
 外回りは自由に入れて、グランド(予約必要)なども使えますが、勿体ない限りの場所です。
但し、広域避難場所やイベント会場、公園等には利用されており、地域の必須の場所にはなっております。


■ 伏見桃山城の南隣には『明治天皇陵』、西隣りには『桓武天皇柏原陵』の紹介です。
 南隣には有名な『明治天皇陵』が有り、西隣りには『桓武天皇柏原陵』が有ります。
明治天皇陵は規模も大きいのですが、余りにも有名で、時有るごとに天皇様が来られる場所です。
詳しくは 『明治天皇陵』で確認して見て下さい。
桓武天皇柏原陵は車では何時も近くを通っていたのですが、今迄中に入った事は無く、西の入口を素通りしていました。
トレッキングの次いでに初めて行きましたが、中々綺麗で気持ち良かったです。
詳しくは 『桓武天皇柏原陵』で確認して見て下さい。
何方の天皇陵も近いので両方歩いて見て下さい。
歩くだけでも気持ち良いですよ。


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