Ski
生涯スポーツとしての・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

 ■ パート1の、SKI 『スキー用具(マテリアル)』 に付いて。


 スキーを始めてから、早50年になりましたが、スキーを始めた頃は、スキー靴は登山靴みたいな革製の ひも式で、スキー板はビス止めのエッジで、金具はカンダハー式の紐で繋いでおくタイプでした。
ストックは、竹(釣り竿風)も有りましたが、スチール製でした(笑)。
ウエアーも、上着はヤッケで今で言うウインドブレーカーで、下はズボンの裾を靴の中に入れるタイプのトレンカで、非常に寒かったのを覚えております(懐かしい〜)。
 丁度、日本が高度成長期で、東京オリンピックや大阪万博が開かれた後で、用具は良いものは輸入品全盛でしたが、非常に高価で手が出にくく、当時も今も基本定価は 殆ど同じで憧れの的でしたが、一生懸命仕事をしてお金を貯めて、毎年毎年買い替えていた(スキー関係者に貢献していました)記憶が有ります。(笑)
今から思えば技術は初心者同然、体力は上級者 頭も上級者 手に入れた物は殆どが国産品でした。(涙)
その内給料も上がり、技術や知識も上がり、スキーへ行く回数も増え、年間50日前後の滑走日数を競ったり、憧れの用具を手に入れて、大喜びしていましたが スキー技術は我流で、悪い癖が染み付き、一旦体が覚えてしまうと、直すのに何十倍もの時間と労力が必要になり、それでも治るとラッキーで、どんな事も、どんなスポーツも 同じなのでしょうが、体力が続く限り求め続けることが、進歩に繋がると思います。
 それでも、バブル崩壊以降、年々スキー人口が減少し、その影でスノーボードが流行りましたが、それも落ち着き、その中からカービングスキーが出て来て、スキー性能を 損なわず(かえって短くなった分操作性能が良くなり)スキー板の長さが格段に短く出来、持ち運びも含め楽になりました。
 そんな中で、昔スキーに行っていた友人などが、子育てや経済的理由などで、止めていたのですが、カービングスキーって、どうなの?、と聞いてくる機会が増え、間髪を入れず 貸しスキーも有るので、一度で良いから、復活して滑って見ると「楽しいよ」と、薦めております。

スキー用具を振り返って見ると、記憶に残っているのは、
■スキー板は:クナイスル・ホワイトスター、ミッシャル(ダイナミック)・VR27、ロシニョール・ストラート102・フォルクル・レーンタイガー、ヘッド・360、 K2・ウインターヒート、フィッシャー・RC4、ダイナスター・アソート、へクセル、ブリザード、アトミック、エルバッハ、ヤマハ・パラマウント、オガサカ・U3、 ニシザワ・フォーミュラー、フジグラス、etc。
■スキー靴は:カベール・α、ノルディカ・SL、レタポア(トラペール)、ラング・スーパーバンシー、サロモン・リヤエントリー、テクニカ、ライケル・サーモインナー、 ロシニョール・コース、サンマルク・TR3、バイソン、etc。
■ビンディングは:サロモン・EQ727、バートU、ess vae、マーカー・ロータマート、etc。
■ポール(ストック)は:スコット、ヤマハ、スワンズ、シナノ、コンパーデル、etc。

 私達一般スキーヤなので好きな事を言える立場なので提案事ですが、今も行われているスキー技術選手権の事ですが、昔は、誰が出ているのか、今年は誰が優勝したのか、 等々興味を持って見ていましたが、興味が失せだしたのは、競技志向が強くなりだした頃と重なるのではないかなと思います。
その頃から、種目ごとにスキー板を取っ替え引っ替え履き替えて、一般スキーヤーの頂点を決めるはずの目的が変わってしまい、興味が失せて見なくなり関心が無くなり ました。
 この事は、スキー業界にも不幸な事で、昔は、八方尾根スキー場まで見に行ったことも有りましたが、少なくとも選手はどの種目にも1種類の市販のスキー板で参加 すべきで、一般スキーヤーが斜面毎に、コース毎にスキー板を履き替えるはずなど無く、1本のスキーで色々な種目をこなすことが技術であり妙味だと思いますが、 如何でしょうか?。

最近(2022年)の私の用具立てを紹介します。
■スキー板を、今シーズン(2022年)に入る前にネットで探して購入しました。
久々のオガサカの板で、機種は『KEOS KS GX』にしましたが、今迄なら試乗したりしてから購入していましたが、今回はシーズン落ちをたまたま見つけ、デザインが気に入り 思わず購入してしまいました。
購入の動機は、履いていたハートの板が10年程経ち、ハートのスキー自体終了してしまった事で、乗り換える事を考えていた事とリンクしてしまいました。
試乗せずにスキーを購入する為の条件として、サンドイッチ構造でキャップ構造では無く、極端なロッカーでは無く、メタルはサンドイッチされて居なく、表面シートが傷つき 防止の材料で構成されており、長さ等は以前乗っていたハートの板と同じで、長さ170cmでサイドカーブがラディウス14.7mで、以前乗っていたハートの板と同じ事も決めた動機です。
購入した『KEOS KS GX』に決める前は『TC MS』も比べましたが、デザインや色が気に入らず、結果『KEOS KS GX』に決めました。
安い買い物では無いので、今シーズンの初滑りにドキドキで滑って見ましたが、雪質も良かったのですが、大回りも小回りも、カービングもデラパージュも自在で、荒れた圧雪斜面で引っ掛かっても、 簡単にリカバリー出来て、バランスを崩す事も少なくなりました。
この板に乗り換えて正解だと思っています。
但し、滑れていない春の腐り雪やザラメ雪、黒菱などの不整地急斜面等は、滑れていないので、期待値です。
過去の板は、2005〜2009まで写真のフォルクル・P60 GC レーシング pcm 1400 を、5年間ほど履いていました。
この板は試乗会へ行き色々なメーカーのいろいろな板を履き比べて決めました。
中々、取り回しが楽で私にも乗りこなせたからです。
2010〜2012までは、ブリザード・シグマGSマグネシウムで、この板は仲間の連中が履いていた板ですが、履かせてもらって非常に取り回しが良くて気に入り、譲って 貰いました。サンドイッチ構造でメタルが入っていますがそれ程固くなく、バタつく事もなく、でもスピードを出すとそれなりの筋力は求められますが。
2013〜現在は、ハート・サーキット 7.2MT SFを履いていますが、ハートの板は初めてなのですが、この板はお気に入りでした。
たまたま友人から貰ったのですが、2009年製の板で売れ残りを格安で手に入れたらしく、この年のどのスキー雑誌を見ても評価は高く、私は170cmの板を履いていましたがベストでした。
やっぱりサンドイッチ構造が良いですね、ただ表面のシートの強度が弱く、大して踏んでいないのに角がめくれています(はずかしい)。
■スキー靴は、スキー板より求める事がシビアで、過去にはいろいろな靴を履いてきましたが、一昨年前からサロモン・ファルコン セリエ JPを履いています。
かなりタイトな靴ですがそれが良く、部分的に当たりが有れば問題ですがそんな事も無く、ただフレックスが110なのでハードかなと思っていましたが、私の体重筋力 でも問題無く、久々に昔良かったカベールαやノルディカSLを彷彿させます。
この靴にして正解で、一番はポジショニングが良くなりスキーが楽になりました。
■スキーポールは、軽さとバランスが一番で、昔はスワンズを使っていましたが、スコットのプログラファイトにして、かれこれ20数年使っていますので、あちらこちらが 摩耗してきましたが、塗装を含めメンテナンスをしながら、大切に使っていますし、これからも大切に使っていこうと思います。
この道具立てで満足な状況なので暫くは此れで行きたいと思っています。

 追加として、オリンピック(競技以外)も含め、周りを見渡すと、義務でも無く、身近に事故が増えた訳でもないのに、ヘルメット着用者が増えたように感じていますが、 なんの決まりも、推奨も無いらしいのですが、周りの皆が高齢になり、少しでもリスク回避をと、考えだしたのだと理解しています。
そういう私も、今はGIROのヘルメットを、被っております。


 ■ 生涯スポーツとしての、パート1 『スキー』 に付いて、過去ログコーナーです。


 私がスキーを始めたのは19歳の時、友人のH君は勤めていて、私はまだ専門学校の学生で、忘れもしない産経バレー(現在のビワコバレー) スキー場に行かへんかと誘われ、それまでは少し興味は有ったのですが、金持ちのスポーツと自分に言い聞かせ、見ない様に目を逸らしていたのですが、アルバイトのお金を貯めて、スキーは 貸しスキーで、ウエアーはジャンパーに毛が生えた様な物で、オールナイトで滑ろうと言われましたが とにかく寒く、体の中に新聞紙を巻き、顔はタオルで隠し、そんな格好で 滑っていると息でタオルが凍り、その氷の固まりをしがみながら滑った事を懐かしく思い出します。
それでも病み付きになりましたが、この様な寒さで懲りるのかなと思い気や、ご来光と共に琵琶湖の湖面が黄金色に輝き、その綺麗さに感動し、今も脳裏に焼き付いており、はっきりと 思い出します。
そのシーズンはそれっきりで、終ってしまいました。

 20歳になり、たまたま、勤めに行った先が、みんな20歳代で、慰安旅行もスキーと言う社員全員がスキー大好き人間の集まりの会社(社長夫婦以外は)で、入社した年の年末年始の休み前になった 時、川添君は年末年始に予定が無ければ“当然スキーに来るやろ”メンバーに入っているよと言われ、年末には給料を貯めてスキー道具一式を揃え、準備万端での初の年末年始バスツアー遠征スキーは、 妙高・赤倉スキー場でした。

 それから50年間程、1シーズンも休まず、今年もスキーをしています。
これだけ長くやっていると、色々なエピソードやハプニングには枚挙にいとまず、書き出せば本1冊分でも足りないぐらい有ります。(笑)
 10年近くは毎年色々なバスツアーを探して、様々なスキー場に行きましたが、数々行ったスキー場の中で、富山県の「牛岳スキー場」(当時の名称)がゲレンデも緩・中斜面で、人たちが 暖かく凄く気に入り、スキーバスツアーは無くなりましたが、その後は自分達の車で行くようになり、現在も欠かさず詣でております。

 20数年くらい前から足が遠のいておりますが、並行して10年間近く友人に誘われ、志賀高原によく行っていた時期が有りました。
行けばそれなりに良いスキー場で又行ってみたいのですが、京都からはやはり遠すぎます。
当時は、長野自動車道も松本迄しか無く、後は志賀高原迄地道で通わざるを得ず、友人に誘われて連れて行って貰ったのですが、今は無くなってしまった成蹊寮や、寮の管理人のKさん家族のみなさん、 寮に集まって仲良くして貰った仲間達に感謝しております。
志賀高原に行かなくなった切っ掛けの一つは、長野オリンピックが開催される事により、道路整備やコース整備等、便利にはなったのですが、工事車両や、その後の人が増えた事等により リフト待ちや、ゲレンデ混雑で、段々行く気が失せてしまい足が遠のいてしまいました。

 約20年ぐらい前からカービングスキーが出て来てスキーの技術や操作性が良くなり、楽しみ方が変わってきました。
それまで2mの板を履いて一生懸命滑っていたのが嘘のようで、1m60cmの板で同等の安定感が有り、短い分取り回しが楽になり、体力筋力が少なくて済むようになり、その分 滑れる時間や距離が多くなりました、これは凄いことです。
 周りの知り合いからカービングスキーに付いて聞かれることも多くなり、こんなに良いことが有りますから、一度貸しスキーで良いからまた滑って見て下さい「楽しいですよ!!」、と勧めてみたところ、 後日逢った時、スキーに家族で行って来ました、久々に楽しかったので、又”スキーを始めようかな”と思っています、と言われました。
スキー人口が減少し、ボーダーが凌駕している中でスキー場が無くならない様、その辺のアナウンスも必要かな、とも思います。
大多数の人に取って、スキーの長さが非日常的でつらい事だと分かります。
但し、上級者にとって頼りないかと言えばそうでなく、やはり基本が大切で、しかも早く滑るにはそれなりの筋力も要求されますが。(汗)
 私達一般スキーヤーにとって、長年やっているのですが、殆ど我流でしてきた為、その事が幾ら意識をしたり練習をしたりしても、染みついた悪い癖がなかなか抜けないのが辛いところです。
なぜ良い滑り(良い滑りとは?:どんな時でも良い位置に乗って滑っていられるかの事で、結果として華麗で上手く見える。)の為の意識や、何の為に練習をするのかと言うと、年を取っても 何時までも怪我をしないで『スキーを楽しみたい』これに尽きると思います。
かく言う私も、とうとう70歳に成り、末長くスキーをしたい為のトレーニングを、このコロナ禍を切掛に始めました。
方法等は、このホームページの趣味のコーナー「生涯スポーツとしての?パート3 トレッキング」の中に載せていますので、見てみて下さい。
そんなこんなで、当然周りも高齢化が進み、病気や体力の低下等で、知り合いも少なくなって行き、寂しい思いが増えて行きます。(涙)

上の大きい方の写真2枚は私で志賀高原で滑っているところです。小さい方の1枚目は、北海道テイネオリンピアスキー場の聖火台です。後の3枚の写真は昔の仲間達です。


 ■ 富山県 牛岳温泉スキー場に付いて。


 現在の私のホームゲレンデで、富山県の牛岳温泉スキー場です。
スキー場の施設やゲレンデ案内は、ホームページの 牛岳温泉スキー場 で、確認して下さい。
スキー場の頂上の「てんころ館」にライブカメラが付いており、京都に居ながらにして、現在の天候や混雑具合が見えるのが、有り難いですね。
でも敢えて要望を言わせて貰えれば、ホームページは毎日更新して下さい、特に積雪量や行事情報等、非常に遅いので、やる気が感じられませんので、改善を要望します。

 40数年前からのスキー場の変遷は、振り返ってみると凄い物があります。
当初はシングルリフトが5・6基のみで、宿泊していた旧名鉄ロッジ(現ユースハイランド)はプレハブの2階建てで、すきま風がすごく、廊下の突き当たりには屋内にも係わらず、 雪が積もっており廊下を歩くと建物がきしみ、部屋の中で厚着をして皆がホームこたつに四方八方から足を入れていたのを覚えていますが、それでも楽しかったですね。
 その内に、ロッジを建替えられて現在のユースハイランド(現在は数年前に経営者が変わられました。)になり、ゲレンデが整備されて広くなり、牛岳神社が移設され、 人工降雪機が導入され、奥のユートピアゲレンデが整備され、ロープウエイで結ばれ(現在は停止中)、シングルリフトが高速クワッドリフトに変わり、温泉を掘りスキー場の 全宿泊施設が24時間何時でも入れる温泉付き宿舎になり、『牛岳温泉スキー場』と改名されたりと、すごい変遷を重ねて来ましたが、関係者の人柄だけは、昔のまま暖かです。
但し、しわの数だけは確実に増えていますがね?(笑)。

此処近年は、全国的にも暖冬で、ここ富山のスキー場も雪不足で、稼働日数が減少し、スキー場経営も、ご多分に漏れず苦しいと思いますが、頑張って続けて欲しいと、京都からですが 応援しています。

 写真左上は、左下のユースハイランドの部屋の窓から写した物で今シーズン(2022年)の昼のゲレンデ全景です、右上は夜のナイターゲレンデ全景です。 左下はユースハイランド全景で、右横はユースハイランドの温泉(大浴場)です。 その右は上部のてんころ館横の展望台からゲレンデ上部を見た処で、右下は東コース上部越の富山湾の眺望です。

 2022〜2023年シーズンに入る前に、スキー場代表者様から牛岳温泉スキー場の『観光アンバサダー』と言う、大役を受けて貰えないかと打診が有り、大変名誉で有り責任重大ですが、 受けさせて頂く決意をし、承諾をさせて頂きました。(ご報告迄!)


  ■ ここからは 『ブログ風』 のコーナーです。



 2023.2.10〜23.2.12 今シーズン2回目の遠征!『牛岳温泉スキー場』でスキー三昧。

 何時も通り仕事を終え、同居している猫の『ケーちゃん』の食事や水、トイレを5日分程準備をし、大慌てで22時頃京都を飛び出しました。
 今回も、何時も通りのルートで、車を走らせましたが、何処も交通障害も無く、しかも通行量も少なく、快調に到着出来ました。
 後の心配は雪不足を懸念しましたが、どうにかキャットで踏み均してくれていて、全面滑走出来そうで安心しました。(汗)
でも何時まで持つのやら・・・?。(涙)
スキー場は、40数年通っている『牛岳温泉スキー場』で、宿泊も何時ものユースハイランドで、何時も通り深夜に到着し、玄関から入ろうとしたのですが、全ての出入口が施錠されており、 大慌てで電話をし、1時間程待ってようやく入館出来たと言うハプニングが有りましたが、後からは笑い話で済みました。(涙笑)
 ハプニング以外は何時も通りで、色々な勝手も分かっており、大好きなスキーをしたり温泉に入ったりして、自分の家に居る様な気軽さでゆっくりさせて貰えます。(感謝)
夕方から夜は、談笑と酒盛りで、スキー学校の仲間連中と、楽しい時間を過ごさせて頂きました。(感謝・感謝)
 処で、年末年始に来た時には無かった、旧グリーンパレスの1階に、休憩所と軽食場がシーズン途中にオープンし、隣にもボーダーとコーヒーショップ「MOWSTORE」がオープンしていました。(写真掲載)
天気の良い日にはキッズコーナーも整備され、家族連れで賑わっていました。
此れから整備をお願いしたいのは、頂上の「てんころ館」の無料休憩所は有難いのですが、せめて飲み物の自販機とコーヒーの自販機位は稼働させて欲しい物ですね。
出来れば、隣も展望休憩所に開放して欲しいものです。




■ 2022.12.30〜23.1.3 初滑り!『牛岳温泉スキー場』で、年末年始スキー三昧。

 年末の仕事納めをし、掃除片付けをして、スキー行きの準備をしだすと、スキーのワックス掛けを忘れており、慌ててワックス掛けを終えて、 京都を飛び出しました。
 12月半ばの寒波で事故や通行止めが各所で発生したので心配ましたが、行きの道中は所々雨とみぞれで交通障害も無く、しかも通行量も少なく、快調に到着出来ました。
 後の心配は雪不足を懸念しましたが、どうにかキャットで踏み均してくれていて、全面滑走出来て、有難かったです。(汗)
と言うのも、此処には人工造雪機が有り、根雪の造雪と継足しで、過去の天然雪不足でも下半分は滑れていたのですが、今年は造雪機の故障で、修理は来年度になるとの事で 心配していましたが、ぎりぎりセーフで一安心出来ました。でも何時まで持つやら・・・?。(涙)
スキー場は、40数年通っている『牛岳温泉スキー場』で、ほぼ里帰り状態で、宿泊も何時ものユースハイランドで、深夜にもかかわらず、鍵をカウンターに置いといてくれて それを持ってチェックインし、落ち着いた処で、温泉(大浴場)に入り就寝・・・グ〜〜〜。
 年末年始に何故此処へ来るかと言う一つの理由として、大晦日には年越し蕎麦を、元旦にはお雑煮とおせち料理を出してくれて、有難いのです。(感謝)
しかもスキー学校の仲間や、管理事務所の所長始め従業員の皆に会え、楽しい時間を過ごさせて頂きました。(感謝・感謝)
 処で、今迄ゲレンデ横に有る牛岳神社が、去年(2021年)に鳥居と石碑が新調されていて、参拝して見てみると、『巫女宮水天宮』と明記されており改めて正式名称を認識し、 初詣の参拝ををさせて頂きました。
帰りには、次回の2月10日〜12日の予約をして帰路に付きました。



■ 2008.3 妙高高原・赤倉スキーツアー

 何時も行っている牛岳スキー場のスキー学校の慰安旅行に初参加させて頂き、牛岳スキー場まで車で行きバスに乗せて頂いて、 久し振りの妙高高原と赤倉スキー場に行って来ました。
ここには思い出として50年程前に、初のスキーツアーで来て以来で、コースなど記憶に有る部分が思い出され、懐かしかったです。
ゲレンデは、春スキーと言うことも有り、気持ちが良いぐらい快晴の中で、ぐさぐさの腐り雪で手こずりましたが、妙高高原の方が距離も長く、中緩斜面で良いスキー場と 感じました。
 感動は、帰りに立ち寄ったJR妙高高原駅や、駅前の土産物店街が50年程前と、殆ど変わっていなく、懐かしくて昔の事が昨日の事のように思い出され、感動物でした。
昔の事を知っておられる方は、一度見に行って見て下さい、感動しますよ。



■ 2009.3 高鷲スノーパークスキーツアー

 何時も行っている牛岳スキー場のスキー学校の慰安旅行に、二回目の参加をさせて頂きました。
 去年は妙高高原と赤倉スキー場に参加させて頂きましたが、帰りが牛岳スキー場の皆さんが帰宅してから京都に帰り5時間後に家に帰りましたが、やはり上越は遠く、 今年は気を遣って頂き、京都からも近くの高鷲スノーパークスキー場と言う事で、私も初めてのスキー場で楽しみにしていました。
 ラッキーなことに、高速道路料金が一律1000円の初日に当たり、高速道路も混雑覚悟でしたが、2時間半で到着をし快適でした。
 ゲレンデは、春スキーなのに、気候が変で、ハイシーズンの2月は暖冬で雪が無かったのですが、ハイシーズン以上に雪質も良く踏めばキュウキュウと泣くぐらいの パウダースノーを満喫させて頂きました。
 気持ちが良いぐらい快晴の中で距離も長く、中緩斜面のロングコースで良いスキー場で、又来たいと思いました。
 帰りには、何度か行った、道の駅にある「桜花の湯」に立ち寄り、気持ちよく露天風呂に入り、さっぱりとして、帰路に着きました。

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