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主日礼拝へのご出席をお待ちしております。
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静かに捧げる心からなる祈りを 「第一のものを
第一として」

「第一のものを第一として」、
主の日の礼拝を大切に守っています。
日本バプテスト連盟の信仰宣言 日本バプテスト連盟
信仰宣言

毎月、第一主日礼拝で執り行われる「主の晩餐式」の中で、
出席者全員で「日本バプテスト連盟信仰宣言」を唱和します。

「第一のものを第一とする」:主日礼拝を大切にする。

 「キリストの体なる教会」エペソ1:23をはじめ、 「神が御子の血で贖い取られた神の教会」使徒20:28とまで表現されるほどに教会は大切です。 「教会は現在のキリストご自身であり、それゆえに『キリストにあること』と『教会にあること』とは同一である」(ボンヘッファー『聖徒の交わり』)。 キリストを愛するとは教会を愛することであり、「私につながっていなさい」ヨハネ15:4と言われた主につながるとは、具体的にキリストの体なる教会に つながることです。それは、まず、誠実に主日礼拝を献げ続けていく決意から始められます。
 クリスチャンにとって、日曜日とはキリストの復活記念日(小イースター)としての「主の日」であり、それは「喜びの日、光の日、慰めの日、いこいの日」 (讃美歌54)です。その主の日の礼拝は神が招いて下さっている「神の祝席、祝祭、祝宴」ですから、何はさておいても優先してお応えするのです。 主日礼拝は、神に対して私たちが献げる第一の感謝の応答(神への奉仕)であり、伝道も私たちが誠実に主日礼拝を献げることから始まります。 それによって、教会を世に示し、真の神に従う私たちのあり方を証しできるからです。そういう意味で、主日礼拝こそは、伝道・教育・学び・交わり・奉仕 ・訓練・安息・癒しなど教会のすべての働きの基本・中心です。ですから礼拝出席の地道な積み重ねは信仰の力となり、必ず伝道にもなっていきます。 主日礼拝への誠実で継続的な出席はすべての祝福の源です。主日礼拝を守る時に、問題や誘惑多き時代の中で、主日礼拝が私たちを守ってくれるのです。 主日礼拝を生活の中心にすえ、継続的出席が人生の誠実な良き習慣になるよう心がけます。ここでいう良き習慣とは、その人の生きる姿勢や価値観の積み重ね・現れを さしています。

日本バプテスト連盟信仰宣言

【司式者】
日本バプテスト連盟は福音宣教のため、加盟教会が相互に連絡し、協力する機関である。 加盟教会は独自に信仰告白も持つ自主独立の各個教会であるが、私たちはこの信仰宣言 において、日本バプテスト連盟を構成する諸教会共通の信仰を今日再確認し、協力と交 わりの根拠を表明する。私たちの信仰宣言の中心はイエス・キリストであり、その基盤は聖書 である。私たちは聖書が聖霊の導きによって書かれた、信仰の唯一の規範であると信じ、これ に基づき次のように宣言する。

【全員で唱和】
『イエス・キリストにおいてご自身を啓示された神こそ、父・子・聖霊として働かれる、唯一の、 全知全能の神である。神は愛と自由に置いて天地を創造し、これを支配したもう。イエス・ キリストは神の子として、みむねに従って、人となり、すべての人間の罪の救いのために十字架 につけられ、三日目に死より復活し、それによって罪と死を克服し、全世界の主となられた。 聖霊はイエス・キリストのすべてのわざを私たちの内に直接証しし、信仰の実を結ばせ、私たちを 神の栄光へと導きたもう。  私たち人間は神の像に似せて造られたが、罪の堕ち、神に背くものとなった。それにもかかわら ず、私たちは神の恵みのもとにおかれ、イエス・キリストにおいて神の救いに招かれているものであ る。信仰はイエス・キリストを信じ受入れ、罪を悔い改め、全身全霊をもってキリストに従うことで ある。この信仰によってのみ、私たちは神に義とされ、新生にあずかることができる。

キリストのからだなる教会は、聖霊によって信仰の愛の交わりへと呼び出され、この世の救いの ためにたてられた新生者の集りである。すべての信徒はひとしく福音宣教にたずさわる。教会 政治は会衆主義による。各個教会は相互に支配・従属の関係に立たず自主独立であるが、 同時に他の教会との協力を喜ぶ。教会の礼典として私たちはバプテスマと主の晩餐を守る。 バプテスマはイエス・キリストを主と信じ告白するものにのみ授けられ、罪の身が十字架に死に、 復活において新しい生命にあずかることを象徴する。それ故に、私たちは幼児洗礼を否定し、 バプテスマのかたちとして浸礼を守る。主の晩餐はイエス・キリストの贖罪の死を記念するもので ある。これにおいて私たちは終末における主の到来を待ち望みつつ交わりを固くし、宣教へと つかわされる。

 私たちは週のはじめの日を主の日として守り、主の復活を記念し、主の約束を待ち望む。 私たちの生活は、この主の日の礼拝から出発し、神の救いを喜び、キリストを証ししつつ隣人と 祝福をわかち、労苦を共にする。国家も神の支配のもとにある。国家は救いに招かれている すべての人間の尊厳を守るべきであるが、決して良心の主となることはできない。良心の主は 神のみである。私たちは信仰による良心の自由および政教分離の原則を主張する。教会は 国家に対して常に目をそそぎ、このために祈り、神のみむねに反しないかぎりこれに従う。

 主イエス・キリストはすべてのものを新たにするために、再たび来たりたもう。終末の主によって 信じるものは新しい霊のからだを与えられ、救いの完成にあずかり、この世の不信はさばかれる。 それ故に主イエス・キリストは私たちの希望であり、日々の信仰のわざを失望に終わらせたもう ことはない。』