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研究報告
天野恵:騎士道と火器(9)[2/4]
さてさて前置きはこのくらいにして、時はロマネスクの時代からは三百年以上もたった16世紀初頭、ここはイタリア戦争第二期目の主戦場となった。イタリア戦争というのは要するに国家統一を成し遂げて超大国となったフランスとスペインが、未だ中小の都市国家のひしめくイタリアを舞台に繰り広げた陣取り合戦である。
が、そもそもの最初からこの両国が互いにドンパチやりながらドドーッと侵入してきたわけではない。いくら昔でもそんな子供じみた戦争のやり方はしなかった。まずは北イタリアでミラノ公国をものにしたフランス国王ルイ12世が、次にナポリ王国も欲しくなって、今度はスペインのフェルディナンド・エル・カトリコを誘い込み、二人で南イタリアを分割しようとしたのである。話がまとまったのは1500年11月のグラナダ条約。つまり、ここまでは仲良くやっていたわけである。
当時のナポリ王国というのは、シチリアを除いた南イタリア全体だと思っていただきたい。すなわち、カンパーニア、アブルッツォ、プッリア、そしてカラーブリアの四地方である。この地域は、それまではどうなっていたかと言うと、15世紀の中頃以降アラゴン家の分家が支配していた。で、そのうちの北半分、すなわちカンパーニアとアブルッツォをフランスが取り、南半分のプッリアとカラーブリアをスペインが頂戴するということでハナシがまとまったのである。本家のアラゴン王家がカスティリア王家と合体してできた統一スペイン王国の方で勝手にこんな取り決めをされてしまったのでは、もはや分家のナポリ・アラゴン王家には打つ手などなかった。ナポリ王国はあえなく滅亡である。
しかし、洋の東西を問わず、そう簡単にチョン切ったり継ぎ合わせたりすると碌なことにならないのが国というものである。この場合もやはりそうだった。実は南イタリアにはもともとバシリカータとカピタナータという、さらにもう2つの地方が存在していたのである。そして、アラゴン家であれホーエンシュタウフェン家であれ、とにかくひとつのまとまった権力がこれらの地域全体を支配していたときにはよかったものの、今こうしてフランスとスペインという別々の権力により分割されてしまうと顕在化してくる、ある問題が実は潜んでいた。
それは移牧による羊の群れの季節移動である。アブルッツォの羊飼いたちは冬季になると牧草地を求めてカピタナータに移動していた。こういう家畜の移動は今でも行なわれていて、小生はイタリアに興味を持ち始めた頃、谷泰著『牧夫フランチェスコの一日』という本を読んでこれを知った。文化人類学というやつである。日本人にとってはなじみのない牧畜という活動についての研究というのが何か新鮮に見えたのを覚えている。
ただ、この時も漠然と感じたのだけれど、小生は文化人類学というのがイマイチ好きになれない。研究対象の民族なり文化なりを、なんかこう、モノ扱いと言うか、自分たちの方が一段高い所に居てそこから相手を見下しながら観察すると言うか、同じ人間として当然抱くべき尊敬の念みたいなものを欠いた扱いをする世界のように思えて仕方がないのである。もちろん、これは小生の無知ゆえの偏見であって、実際にはむしろああいうのが科学的で正しい研究のあり方なのだろうと思う。小生は何かにつけてどうも情緒的で、イタリアの文学を研究するに当たっても、対象の作品なり詩人なりに対しては言うに及ばず、そういうものを産み出した社会に対してまでも、ほとんど崇拝に近い尊敬の念を抱きながらやっているので、なかなか客観的になれないし、どうしてもアマチュア的になりがちである。
失礼。またまた脱線してしまった。ともあれ、アブルッツォの羊飼いが冬期にカピタナータで自分の羊に草を食わせるについては、人頭税ならぬ羊頭税を支払わなければならなかった。へェー、そうなのか?!と驚くのはたぶん日本人だからであって、思うに、日本の漁船が世界中の海へ出かけて行ってマグロやら何やらタダで獲ってくることに対して文句を言うというメンタリティも、こういう伝統に照らして眺めるべきものなのだろう。ともあれ、そういう事情だったから、羊の移動に伴って莫大なお金も移動することになった。面白くないのはフランスである。自分たちの支配下にあるはずのアブルッツォの住民がカピタナータを支配するスペインに税金を取られるわけだから、せっかく征服したナポリ王国の富が指の間から零れ落ちていってしまうように感じたのだろう。彼らはカピタナータはアブルッツォの経済領域に含まれるからして、ここで支払われる税金もフランスが頂戴するのだと主張した。もちろんスペイン側がこれを認めるはずがない。実際、カピタナータは西仏両国がナポリ王国を分割するよりもはるか以前にプッリアの一部になっていたから、プッリアを領有する約束になっていたスペインに帰属するのは、まァ当然と言えば当然である。てなわけで、仲良しこよしもこれまでであった。