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研究報告
天野恵:騎士道と火器(3) [2/6]
そこでスイス軍である。実を言うと小生はスイスについてはかなり無知である。だからスイス軍がどういう事情で強くなったのか、どういう社会階層が兵士になっていたのか、精神構造としてもなぜ当時のヨーロッパの他の地域とはえらく違う(ように見える)ものを有していたのか、等々についてはよく知らない。勉強しなくてはとは思うが、正直に言うとスイスそのものに対する興味がいまひとつ持てないので先送りにして今に至っているのである。
ともあれ、こういう話をしていて思い浮かぶのは中世スイスの英雄ウィリアム・テルである。彼の使った弓は弩(クロス・ボウ)だったのだろうか、それとも長弓(ロング・ボウ)だったのだろうか。小生には子供の頃、さるアニメだったか本の挿絵だったかで彼が長弓を使っていたのに、その次に見た別の何かでは、同じシーン(子供の頭に載せたリンゴを射る例のシーンである)で弩を使っていたので、大人の世界に対する不信感を募らせた記憶がある。
まァ、ウィリアム・テル自体、単なる伝説であって実在の人物ではなかったらしいからあんまり意味のある疑問ではないのだけれど、14世紀のスイスでは一体どちらが一般的だったのだろうか。やっぱり弩だろうね。イングランドじゃないんだから。
しかしながら、いくら彼が弓矢の名手だったにしても、スイスそのものが外国の支配を受けて、そのために悪代官にいじめられて息子の頭に乗っけたリンゴを射る羽目になったところを見ると、ウィリアム・テルの弓矢も兵器としてはイマイチだったのだろう。少なくとも軍事的には、スイス軍がこうした弓矢でオーストリアの騎士団に立ち向かうのは無理だったと考えてよい。
実際、スイス軍の名を高からしめたのは弓兵ではなく槍兵であった。槍と言っても騎士の使った突撃用のそれとは別物の、ピックと呼ばれる歩兵用の細身の長槍である。長さは4mほどもあって、それを歩兵がひとり一本ずつ持って両手で操る。
こうした兵隊が数千人からなる密集隊形を組んで行動するのが、ルネサンス期のスイス歩兵の戦法である。ベテランの兵士を外側に配置したほぼ正方形の隊形で、例えばざっと六千人からなる一隊の場合、1列85人の70列という勘定で、およそ百メートル四方の正方形ができあがる。
隣り合った兵士間の距離が1m強、前後の兵士間ではもう少し多めに間合いを取って約1.5mといったところである。そして、この六千人が正方形の隊形を保ったまま、指揮官の号令に従って一斉に移動したり、向きを変えたりした。
要するに数千本のピックでハリネズミのようになった人間の塊が、まるでひとつの生き物のようになって、戦場をゾゾゾゾゾーッと動き回るわけである。
ちょっと気持ちの悪い感じもする。確か、南方熊楠が研究していた何とかいう変な生き物でこれと似たようなのがあった。が、スイス歩兵の方は気持ち悪いというよりも、恐ろしい存在だった。
ハリネズミにたとえたのは、遠くの山の上からでも眺めた場合の話であって、近くに迫って来られたらたまったものではない。いくら騎士が甲冑に身を固めていたところで、こんなものに突っかかって行ったら一回突撃するたびに十数本のピックと渡り合う羽目になり、到底その全部を避けきれるものではなかろう。
しかも、馬というのは、こういうところもバイクに似てバック・ギアを持たないから、突撃したあと間髪を入れずに後退するというわけにもいかない。
それでも相手が一隊だけならば、馬の機動力を活かして包囲したり周囲のあちこちから攻撃を加えたりして突き崩すという可能性があるが、敵もさるもの、スイス軍の方ではそういう事態にならないようにと、同じような密集隊形を少なくとも三隊くらい準備していて、それが次々と繰り出してきては、お互いに援護し合いながら同時に行動するのが普通だった。
つまり、はじめの一隊を相手にしていると、別の一隊がいつのまにか背後から、そして別の一隊は側面から襲い掛かってくる、という仕組みになっていたのである。相手を務めさせられる側にとっては厄介なことこの上ない。