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研究報告
天野恵:騎士道と火器(3)[1/6]
ロンドンのバッキンガム宮殿の前には、衛兵の交代時刻が近づくと観光客がおおぜい集まるけれど、バチカンの衛兵も例の派手な制服で人気が高い。制服をデザインしたのはミケランジェロ、中身の兵隊はスイス傭兵である。
バチカンとスイスの結びつきというのは、世界平和を説くローマ・カトリック教会と永世中立国スイスの理念が一致したことから生じた...わけでは全然ない。教会もスイスも今でこそ平和主義者になっているけれど、昔はそんな気配さえなかった。
ルネサンスの頃には腕時計もまだなかったし銀行業はイタリア人の十八番だったから、これといった産業もないスイスにとって外貨獲得の手段はもっぱら戦争請負業だったのである。それどころか、この方面ではスイス軍といえば傭兵としてその強さは折り紙つきだった。
だから、ミケランジェロを杖で殴ったという、戦争や喧嘩の大好きだった強面のユリウス2世なども、スイス傭兵を味方につけたいがために、これの取りまとめをしてくれるスイス人の実力者には、領土をくれてやるわ、枢機卿にしてやるわと、おおいにサービスにつとめたものである。
さて、前回は時代をさかのぼりすぎてトロイア戦争まで行ってしまったので、さすがに小生も少しばかり反省して、これをとりあえず15世紀まで引き戻すことにした。従って、甲冑やら兜やらの騎士の装備が13世紀から14世紀、そして15世紀とどのように移り変わっていったか云々といったことは、いずれ必要が生じたらそのときに触れるとして、今回は前々からの予告どおり、騎士が時代遅れになっていった経緯から入ることにしたい。
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というわけで、連載第一回目の終わりの、騎士を時代遅れのものにしたのは鉄砲ではなかった、という所からのつづきである。実は野戦において鉄砲が本格的な活躍を始めるよりもはるか以前に、既に騎士団の突撃は無敵ではなくなっていた。
もちろん、だからと言って騎士が姿を消してしまったわけではない。これは考えてみれば当然の話で、もともと騎士の強みは優れた機動力と強大な破壊力の二つを併せ持つ点にあった。だから、この両面において騎士を凌ぐ者が現われでもしないかぎり、その有用性が失われることはない。
例えば第四次中東戦争では、歩兵がひとりで携帯・発射することのできる安価な有線誘導式の対戦車ミサイルが活躍して、砂漠を進撃していったイスラエル軍の戦車が大量に撃破された。しかし、だからと言って、その後イスラエルがメルカバ戦車の開発・生産をやめてしまった、などということはない。
スティンガー・ミサイルと戦闘機の間にも同じことが言える。この種の兵器は、それまでは圧倒的な戦闘力の差ゆえに歩兵の側からは手も足も出なかった相手に対して、これを待ち伏せしたり逆襲したりすることを可能ならしめたというところにその意義があるのであって、それ自体たいへんなことではあるのだけれど、決して戦車や戦闘機に取って代わるものではないからである。
だから、近代に入って、16世紀初頭の火縄銃などとは比較にならないほど高性能な小銃が歩兵の一般的な武器になった後でも、歩兵部隊にとって最大の脅威は騎兵隊でありつづけた。