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研究報告
天野恵:騎士道と火器(3) [3/6]
こういうスイス式の歩兵部隊が戦争の主役になって、ヨーロッパの戦争は一挙に凄惨さを増したと言われている。
それまでの騎士を中心とした戦闘部隊は、大艦巨砲主義時代の艦隊みたいなところがあって、実際に戦闘そのものに直接携わるのは戦艦、すなわち騎士だけであり、その周りにいる盾持ちやら槍持ちやらの歩兵はせいぜい駆逐艦程度の役割しか担っていなかった。
主たる戦闘はあくまでも騎士団対騎士団で行われ、歩兵たちは実質的に勝敗のついてしまった後に、しかも勝った側の連中だけが一方的に負けた側の歩兵たちをいじめ殺したり、追い散らしたりすることによって主君を補佐するくらいのものだったのである。
それよりも、騎士のために武器を用意したり、傷の手当をしたり、捕虜や戦利品を確保したり、といった後方支援的な仕事が主たる任務だった。
騎士団同士の戦闘の方も、決して計算された作戦行動というようなものがあったわけではなく、横一列に並んだ騎士たちの一斉突撃ではじまり、その一列も馬の性能に差があるから現実に敵と衝突するまでにはかなり乱れてしまっていて、こうした疾走の間におのおのが自分の勝負する相手にめぼしを付け、向こう側でも同じように相手を選んで、結局は一対一の決闘というか、一騎討ちみたいなものが戦場のあちこちで同時に進行することになるという、いわば混戦状態が生じるだけだった。
騎士は、身分意識からも、同じ騎士しか相手にしようとはしなかったし、彼らは今や盾も必要としないほどプレート・アーマーで全身を覆われていたから、槍で突かれても必ずしも死ぬわけではなく、相手もまた殺すことよりは捕虜にして身代金をとることを優先していたから、本当か嘘かは知らないが、実戦よりもむしろ騎馬試合の方がよっぽど危険だったということになっている。
実際、この頃は甲冑の重量がドンドン増加して、落馬したら徒歩で戦うのは困難になっていたから、結局捕虜になる場合が多かった。ところが、スイス兵は平民ばかりで馬も持っていない。
敵を捕虜にしたりしていたら密集隊形が崩れるから、敵はとにかくピックで突き殺すだけで、捕虜をとることはおろか、戦闘が完全に終わるまでは戦利品をあさることも厳禁されていた。それだけではない。味方の負傷者を介護することも禁じられていて、足手まといになる者は情け容赦なく置き去りにされた。
いや、密集隊形を組んで進軍しているときには、負傷して倒れた者は置き去り以前に仲間たちに踏み潰されてその場ですぐに死んでいった。戦争が凄惨さを増す道理である。