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研究報告
天野恵:騎士道と火器(1) [4/5]
さて、以上のような一般的な条件のもとで、それでも何とか野戦にも火器を導入しようとすれば、小型化以外に道はない。そこで15世紀後半から16世紀初頭にかけては大小さまざまなサイズの大砲が製作されることとなった。
言うまでもないが、当時は口径も標準化されていないし、火器の名称もはっきりとは定義されておらず、いろいろな文献に登場する火器が実際にはどんな種類のものだったのかはよく分からない場合が多い。要するに試行錯誤の時代だったのである。
どんな機械でも実用化の初期の段階においてはおびただしい数のモデルが製作され、それが発展に伴って徐々に整理されていくものである。とはいえ、おおよそのところを記すと次のようになる。
まず、攻城用の大型の大砲として一番旧式なものは射石砲である。これは数十キロから時には100kg以上もの重量の巨大な石弾を大きな仰角で撃ち出す臼砲で、城壁そのものではなくその内側にある建物を破壊するべく用いられた。
16世紀に入ってからはもはや時代遅れの代物だったのではないかと思うが、まったく使われなかったわけでもなく、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの第二マドリッド手稿の中の1504年に書かれたと推定される紙葉の一枚に挙げられている十種にのぼる大小の火器のうち、実に四つがこのタイプの射石砲である。
この種の砲はbombardaと総称されたが、この用語もかなりあいまいで、当時の文献においては明らかにより小型の砲について使われている例もある。いずれにせよ、これではハナから野戦には不向き、と言うよりまったく問題にもならない。
そこで、もう少し大砲らしい大砲に話を移すとしよう。城壁破壊用の代表的な大砲としてはcannoneがあった。これは数十キロの重さの鉄の砲弾を撃ち出す文字通りのカノン砲である。砲身はかなり長く、見るからに大砲らしい姿をしている。浅い仰角で発射して離れた場所から城壁を破壊することを主目的としていた。
だいたい20kg級の砲弾を発射するcannone (semplice)を基準にして、この二倍のサイズであるdoppio cannone、逆に半分のmezzo cannoneがあったが、doppioやmezzoというのは口径の大きさではなく、発射される砲弾の重量についての表現である。石よりも比重の大きい鉄の砲弾は重さの割りに前面投影面積が小さいから、遠距離射撃でも空気抵抗の影響を受けにくく、従ってかなりの弾速を保ったまま目標の城壁に激突し、しかもそれに食い込む威力も大きかった。
これより小型の野戦用あるいは城砦守備用の大砲としては、5-6kg級の鉄や鉛の砲弾を使うcolubrina、passavolante、spingarda、basalisco、そしてこれらよりもひとまわり小さいmezza colubrina、girifalco、sagraなどがあった。
このクラスになると旧来の城壁の上から発射したところで問題は少ないから、城砦守備用にもよく使われたようである。ただし、各々のサイズははっきりしない、と言うよりそもそも一定していなかった。名称自体、武器の用途や構造とはまったく無関係な、毒蛇、鷹などを表す言葉に由来するものが多く、そのこともこれらの用語が正確な意味を担っていなかったことを物語っている。
このクラスよりも更に小型のものとしてはfalconeやこれに縮小辞のついたfalconettoなどがあり、最も小さいものは数百グラム程度の弾丸をうちだした。
もちろん、これらは小さいとは言っても、例えば小銃の銃弾は数十グラムであることからも明らかなように、いくら小規模とはいえ立派な大砲である。何らかの砲車、砲座などに据え付け、複数の砲手が付いて射撃したことは言うまでもない。