「人間は生まれつき知ることを欲する」アリストテレス『形而上学』
「人間は社会(ポリス)的動物である」アリストテレス『国家』
「人間の知識と力は合一する(知識は力なり)」ベーコン、F.『新機関』
「自然法とは、理性によって発見された戒律または一般法則である」ホッブス,T.『リヴァイアサン』
「私は想像しがちだが,もしも知識の道具としての言語の不完全がもっと徹底的に考量されたら,
世をあれほど騒がせた論争の多くは独りでになくなり,真知への道は,そしておそらくは平和へ
の道も,いまより大いに開けるだろう。」 (ロック.J『人間知性論』大槻春彦訳)
(はじめに) 言語起源の解明を困難にしてきた三つの人為(理論)的理由
1)キリスト教(ユダヤ教、イスラム教)の「創造説」では、『聖書』に書かれているように、神が人間を含む万物を創造し、神の本質が言語であると考え、『聖書』は預言者を通じて述べられた神の言葉であるとされています。それに対し、生命言語説では、万物の創造主である全知全能の神は、実は、有限な人間が自己の不条理で苦悩の多い人生に絶対的な存在価値を見いだすために創造したということになります。
つまり、人間は『聖書』に述べられているような神の創造物(被造物)ではなく、逆に、神は人間の被造物ということになります。そうなると人間の存在意味はどうなるかという不安が生じ、世界の秩序や権威、そして道徳の根源が揺らいでしまうと創造論者は考えます。だから「創造論」では、言語の起源は、神の存在そのものに由来し、生物学的進化論などの科学的探求になじまないとするのです。つまり創造論では、言語の起源は神の創造によるので、言語が認識や想像の手段でもあり、『聖書』に書かれていること以外の事実の発見や人間による創造を認めません。
しかし、生命言語説では、言語の主観性・相対性を主張するとともに、言語の創造性を重視し、普遍的道徳も、生命の永続性と共生性、言語の真理追究性(虚偽可能性)の原則によって、既成の非科学的宗教から科学的真実にもとづいた人類にとっての普遍的道徳を再創造すべきと考えます。? 参照1 参照2
2)チョムスキーの発見した普遍文法の法則は生得的なもの(脳内の初期装置・統語構造)についてですが、その起源は解明できず謎として残されました。その背景として、チョムスキー言語論では、言語の認知・思考機能(論理構成機能)が重視され、欲求や感情・行動という生存活動の生得的な動因(認知欲求等)や意思伝達の機能を言語論の考察から排除したこと(行動主義批判・認知革命)が考えられます
つまり、チョムスキーが、行動主義を言語論から排除し、言語論の全体像を見失わせたことの弊害が大きく、言語の論理性だけが強調されてしまったのです。そのため、論理性(併合や構成)が、行動や好奇心(認知欲求にもとづく疑問・認知の形式、what/how形式)に由来することが隠蔽され、言語の起源だけでなく言語の本質(意図・情報の的確な表現・伝達のための認知・限定化=疑問の解明・表現・伝達=生成文法の起源)が見失われてしまいました。
言語の生得性は、少ない言語刺激(刺激の貧困)で無限の言語表現を生成する謎を、生得的普遍文法の原理で説明しようとするものです。しかし、乳幼児にとって言語刺激は貧困であっても、音声言語化する興味関心の対象は無限であり、生得的な好奇心と模倣・表現の欲求は、幼児自らが言語の生成(構成)能力を持つことを示しています(「これな〜に?」「どうするの?」「・・して」という疑問や要求の表現)。乳幼児の欲求は、化石人類にも当てはまるというのが、生命言語説の主張です。→ 参照
3)ダーウィン進化論の自然選択説では、遺伝的変異の「偶然性」が強調され、進化における生命の生存目的や変異の方向性が無視され、また無限の環境に対する認識と行動の主体的意味(好奇心・模倣等の欲求実現)を問うことができませんでした。そのため、乳幼児の言語発達における言語の主観性や曖昧性を克服するための主体的努力(意味の理解=好奇心、言語的自己表現・伝達)が十分評価されませんでした。言語の獲得とその論理性(普遍文法)は、偶然性の結果ではなく、生命(動物)の認識と行動における適応進化の目的ないし方向性(環境認識と表現・伝達の的確化)の実現なのです。
つまり、自然選択説では、突然変異(偶然性)の進化的意味が重視された結果、不安定な自然環境における「個体の維持と種の持続的生存」という生命存在の主体的意味や目的が軽視され、動物の認知・行動様式の進化・発達(神経系の発達による適応様式の高度化=大進化)が、言語の獲得に到ったことが解明できなかったのです。
「自然選択」という用語は、単に生存競争という「自然現象」(の一部)と同様の表現で、生存に有利な形質をもつ変異個体(適者・勝利者)の一時的存続を示すものであっても、どうして有利(適応的)になったかや、種の起源を示すものではありません。進化(種の多様化)は、個体間や対環境の「生存闘争」(struggle であってcompetitionではない)が一つの原因となりますが、それだけでは生存に敗北(?)した不利な種の適応存続(弱小亜種)や退化した種または亜種の形成、種内の共存や「棲み分け」の原因等について説明することはできません。むしろ進化(新種の形成)という自然現象(選択)を引き起こす原因は、無限な環境の変化に適応し多様な安定的生存を目的とする生命の適応的活動の一つなのです。それは単に偶然的に起こる変異の自然競争的選択なのでなく、環境(自然)に対する生命(自然)の主体的選択による適応的変異の結果なのです。エピジェネティクス(後成遺伝学)の新しい知見は十分にその検証を可能とするでしょう。 → 参照
<生命論と進化論>
生命にとって言語を獲得したことの意義は、無限の環境への認識と適応能力を高め、個体と種の存続をはかるための生命の究極の努力と選択による進化であった。そして、言語的存在への進化は、言語自体が人間にとってどのような機能や意義を持つのかという科学的検証の結果(生命言語説)によって、人間自身のさらなる生存様式(生き方、ものの見方考え方、価値観)の進化・発展が期待できるようになっているのである。
@ 生命が生きるとは?
地球という特殊な環境に誕生した生命が、無限に変化する環境(自然)に対し、有限な生命状態を「個体と種族」において永続的に適応・存続しようとすること。
A 生命にとって環境とは何か?
生命を誕生させた環境は、生命に、生と死・快と苦・優しさと厳しさ・恩恵と困難などをもたらし、変化と多様性に満ちている。生命はこのような環境に適応しながら、多様な生存様式(形質)によって「個体的生命性と種族的永続性」をめざしている。
B 生命に生存の目的はあるのか?
C 生命の目的の実現はどのようにされるか?
D 生命が環境に適応する原則は何か?
E 生命の進化(多様化)とは何か?
進化とは、多様な環境への多様な生存様式の獲得(多様化)のこと。生命は多様な環境への多様な生存様式(形質)を選択できる。
⇒ 獲得形質の遺伝(エピジェネティクな遺伝)の現実性、大進化における定向的進化、ラマルク・今西錦司の再評価(主体性進化論)
F自然選択進化論(ダーウィン説)は正しいか?
・自然選択説(総合説)は、西洋の自然法的世界観(合理主義)の限界を反映している。自然は選択するのでなく、無限に変化するのみである。生命にとって自然のもたらす適・不適な変化に適応することが進化・多様化の要点である。
・生命の生き方(適不適の選択)は、自然が選択するのではなく、生命自体が自然(適・不適な環境)に対して多様な生き方(種)を選択し適応する。
G 従来の進化論の限界は何か?
・「個体と種の維持存続」の目的を実現する多様な生命構造(多細胞動物では行動の動因である欲求とその生存様式・形質)は、生存環境の多様性に対して、生命が主体的に選択・進化した結果である(主体性進化論)。
H 動物の認知・行動様式が、どのように言語の獲得まで進化したか?
・動物の認知・行動様式は、神経系の統合をめざして進化してきた。動物は適応的行動を取るために、知覚を高め、情報を蓄積し、的確な判断をする必要がある。
・ 動物の認知と行動は、個体維持(食糧・安全の確保)や種の存続(生殖・養育)をめざして、集団活動や敵の威嚇、求愛のための、意思疎通を図るために行われる。それらの実現のために、知覚能力・統合能力・表現伝達様式の高度化としての「人間言語への進化」がおこなわれてきた。
<言語の機能と起源―乳幼児の言語発達からの仮説>
@ 言語の機能と思考・知識・行動の関係はどのようになっているか?
<言語は、意思伝達と情報処理(記憶・思考・創造)に加えて、言語的な知識・情報によって感情や行動を支配する機能がある。>
・意思・情報伝達:言語で伝える情報は単なる欲求や感情の表現だけでなく、思考による的確な情報整理法(普遍文法)を必要とします。
・情報処理・思考:言語表現(思考による文の生成)は、主観的曖昧性を避け、客観的正確性を保つだけでなく新たな文化的世界を創造してきた。
・感情・行動制御:言語表現・伝達の行動は、他者の行動・判断を左右するだけでなく、自己の判断や行動を自己制御する(知的・理性的制御)。
A 言語が人間の認知・行動に与えた影響は何ですか?
<言語(音声信号)は、個体と集団の認知(情報処理)能力を高め、物質的生産力を発展させたが、生活・行動の文化的複雑性を増大させてきた。しか〜し!>
・生産力の発展:道具の製作・火力の利用・科学技術の応用⇒生活向上
・生活・行動・社会関係の複雑化:呪術・宗教、私有財産・階級対立・自由主義・資本主義 (but)⇒成長の限界・環境破壊・資源枯渇・文明崩壊の危機
B 言語の起源の条件についてどんなものがありますか?
<「生命の起源」と同様に,再現検証ができないので,すべて仮説となる。>
・分節発声の起源:直立歩行、大脳・声帯の発達、複雑な発声が可能
・認知・思考の発達:直知的行動の抑制 ⇒ 自由な両手・道具の製作使用 ⇒ 疑問の解消と問題の解決 ⇒ 言語的情報蓄積 ⇒ 直観・洞察・因果の解明
・情報の相互伝達:道具製作・使用法の共有、狩猟等の生産活動、共同生活
・認知情報の音声信号化:言語表現の構造化⇒対象の状態と関係性の表現法則(主語・述語・目的語、何がwhatどうあるかhow?)⇒普遍文法へ
C 「乳幼児の言語発達は、人間の言語進化をくり返す」ことの意味は何?
<乳幼児の発達は、人類の誕生と言語の起源・発達を解明するヒントになる。>
・乳幼児の発達の特性:「生理的早産」、可塑・模倣・好奇心、活動性、創造性
・言語発達:喃語(アーウー、バブバブ)から一語文(状況文、1歳頃)、さらに二語文以上(分析・構成文、1.5歳頃)への言語発達の意味と、ハイハイから直立歩行と両手の自由な操作への身体の発達との関係は、化石人類の言語進化や道具製作、火の使用、呪術的観念との関連性を明らかにする。(曖昧・多義性から明確・限定性へ
D 一語文の成立から二語文への発達の意味は?
<認知行動のステップ : 動物的な刺激反応的認知・反応から、人間的な音声信号操作への進化・発達 ⇒ 言語は、対象の音声記号化によって表象(イメージ・意味) 記憶を区別化し、その表象を直接的な認知・行動から独立させ、試行錯誤を通じて無限の操作・構造化(文化創造)を可能にした。>
・動物の鳴声は直知的な欲求・行動に制約されるが、人間の言語(音声信号+表象・対象のイメージ・意味)は、言語使用(操作=思考・伝達)の欲求・行動(感情)>からの独立性を高めた。人間言語は一語文であっても「自由な一語(多様で自由な意味をもつ一語)」である。
・一語文から二語文への発達(飛躍)は、乳幼児にとっては完成言語を教示する養育者への「模倣と好奇心」によって可能になる。しかし、現生人類(ホモ・サピエンス)の言語進化にとっては、絶滅種(ネアンデルタール人等)とは独自に「対象(what)とその状態(how)=何がどうあるか?」の分析・構成によって獲得できたと考えられる。
E 一語文の獲得と道具の製作・使用が、人類の誕生とどう関連するか?
・化石人類の言語の痕跡は限定的:道具(石器)の製作や火の使用は、対象(石器や火)の「表象(イメージ)の固定化」が伴い、そのために一語文が使用されたことが想定される(危険動物を区別して知らせるサルが存在する)。
・石器製作と両手の制御 :両手の使用は、リスや猿にも見られるが、人間の場合は直接的欲求充足でなく、製作・使用目的が間接的(時間的・空間的に)である。
F 二語文(構成文)段階の認知と行動が、幼児に与える変化とは?
・認識・表現の分析・論理性:対象とその状態についての文章表現、対象名詞と状態動詞・形容詞の区別と結合(主語+述語)、対象間の関係性の表現(主語+述語+目的語、名詞+助詞+名詞a book on the table等、 時間的空間的関係の表現が可能
・因果関係への問い:直知的・感覚的因果追求から、言語的表象の操作(how, why)によって空間的・時間的因果関係を拡大して認識することができる(洞察・了解的行動)。
G 二語文以上の構成文で、旧人と現生人類がどう分かれたのか?
・旧人の一語文:旧人(ネアンデルタール人)は二語構成が可能な語彙量(狩・行く、山・越える等の未分化語)を持っていたと考えられるが、一語(狩、山)とジェスチャーで二語分の意図を伝達し手板と思われるが、結局絶滅した。対象の区別・言語化には成功した(原言語)が構成文にすることはできなかった(「自由な一語」での停滞)。
・旧人の停滞と新人の飛躍:現生人類である新人は、一語文から二語文構成への飛躍に成功した。何が新人と旧人を分ける要因となったか?化石の分析から、旧人には正確な分節発声が困難であったとされるが、それと同時に、一語文の曖昧性に対する意味的正確さを求める欲求・関心が弱かったと思われる。直接的知覚に囚われれば、「対象(名詞)とその状態(動詞・形容詞等)についての分析的表現(主語+述語)」は必要なかったのである。
・新人の知的適応力の向上:言語記号の主観性・曖昧性の克服は、環境の多様性・不安定性・生存困難性に対する集団の連携・協働・結束の必要性から、適応的認知能力の進化・発展が求められた(曖昧性の克服、知的欲求の強さ5W1H等の疑問)。
H 文法の成立と情報の蓄積・再構成は、現生人類の文化をどう創ったか?
・情報伝達の意味:情報の認知・表現と伝達手段としての言語による仲間との交流と情報共有、集団生活による安心・安全の確保
・文法の起源:食糧獲得・危険回避・仲間との協働等への状況把握・問題解決(5W1H等の疑問解決)のための情報交換・共有
・表象・観念の構成・創造:言語による表象・観念の曖昧性の克服と創造(想像)⇒狩猟・採集道具の製作改良、集団生活の掟・タブー、呪術的世界観
I 言語起源論の意味は?
1)言語の起源は、生命の起源と同様に確定できない。しかし、生命が「言語を獲得した目的」は確定することができる。その目的は、生命を誕生させ生存させてきた環境(情報)についての正しい認識(知識)を種とともに共有し、生命の幸福な永続的生存を確保するためである。
2)言語が、人間の知識の根源にあり、その起源の解明が人生の意義や幸福について明らかにできるなら、人間は創造主による世界支配の神話を必要としなくなる。
3)人類が、人間存在と世界についての普遍的な認識や価値を持つことができれば、世界平和や地球温暖化、持続的成長や人類福祉についての共通理解によって人類の生存の困難を軽減することができる。
2)今日までの多様な思想は、宇宙の神秘や生命の有限性、人生や社会の不条理に伴う人生苦に対する多様な疑問や問題解決を目的としていた。
(西洋思想・宗教の多くは、神や自然法の合理性や絶対性に解決と救いを求めた。東洋思想の多くは、自然そのものの非合理性(無常・無限性)の中で安心立命を求めることに救いを求めた。)
(ギリシャ・ヘレニズム思想では、自然に対する人間の精神世界の絶対性(理性・ロゴス)を求め、キリスト教では創造神への依存(愛・信仰・希望)が強調され、近代思想では経験論(功利主義・唯物論)と観念論(現象学)が主流を占めてきた。)
◇ 人間として生きることと言語の関係:
生命には生存の維持・存続という意味(目的)があり、生命として言語を獲得し生命進化の頂点にある人間は、その生命存在の意味(個体と種の存続)を言語的に的確に表現し(「生き続けよう」と)、体現しなければなりません。言語獲得の意義は、生命が環境の状態(刺激・情報)を言語的に認知し、社会的(相互的)に伝達・共有して、言語的思考(理性・ロゴス)によって的確に生存活動を行えるようにするものです。ただ、認知や伝達には誤りや意図的な欺き・嘘があり、道具としての言語は十分慎重に検討して理性的に使うのが望ましいものです。
「ダーウインはモラルを欠いた愚か者ではなかった。ただ彼は、西欧思想に深く浸みこんだあらゆる偏見を自然に対して押しつけるのを好まなかっただけである。実に、真のダーウィン的精神は、西欧の傲岸さお好みのテーマ、つまりわれわれはあらかじめ運命づけられたプロセスの最高の被造物であるから、地球とそこに住む生物をコントーロールし支配するようになっているのだという考えを否定することによって、涸渇した世界を救うものであると私は主張したい。」(p15下線は引用者による)
人はどうして言葉を話すようになったのだろう?
――人間にとって言葉の持つ意味とは何か?――
私たちは日常生活の中で、何気なく言葉を使って会話や考え事をしています。自分の話す言葉や言葉を使って物事を考えることについて、特に気にしたり疑問に思うことはほとんどありません。でも、人の話が聞き取れなかったり、誰かが自分の噂(ウワサ)をしたり、幼児が意味不明の発話をしたりしたとき、一体何を言ってるのかその意味を知りたくなるでしょう。その疑問を聞きたいと思ったり、話してみたくなることがあるでしょう。また、私たちは、なぜ、何のためにこの世に生きているのかについて疑問に思うこともあるでしょう。
他の高等動物は、動物として多くの点で人間と同じような生きるための困難(食糧や安全の確保、良き伴侶の獲得等)に直面し、考えたり情報交換をします。しかし、言葉を持たないために、論理(文法)的に表現・伝達したり記憶することはできません。だから自然への疑問や生きていることの意味を問うことも思い悩むこともありません。
人間の乳児も一年間ぐらい言葉を話せません。人間の乳児は他の哺乳類に比べて生理的早産と言われ、養育者に依存する期間が長いですが、ハイハイができるようになると、好奇心(探索・疑問「何?」)を発揮して動き回り、又養育者の行動を進んで模倣します。乳幼児が言葉を話せるようになるのは、1歳前後から二足歩行が可能になり、「ママ」「マンマ」等の単語(一語文)が発音できるようになり、一歳半になると幼児語としての二語文(「ママ来て」)が話せるようになります。一語文、二語文の意義を考えると化石人類との比較が分かるようになります。
さて人類はなぜ、どのようにして言葉を話すようになったのでしょう。言葉の起源の謎を解明すると、哲学上の難問の多くが氷解していきます。