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中途半端なダメ人間が、天職に気付き夢を目指すまで


第一章 はずかしい話ですが・・・


「ここも受けてみようかな。」

大学の進路指導室でたまたま選んだ会社。

それは国内最大の眼鏡チェーン店でした。

当時の僕は、将来何をすればいいのかさっぱりわからず、

かなりいい加減に会社を選んでしまいました。

あっけなく入社が決まり、厳しい研修を終え、お店でお客様を待つ毎日。

並んでいるメガネに欲しい物なんて一つも無く

「こんなメガネ見たくもないや。」と思う日々が続きました。

何の目的も無く過ごすつまらない毎日。

「きっと、自分にはもっと他に合う仕事があるはずだ。」

などと、そんなことばかり考えていました。

そう。僕は中途半端なダメ人間だったんです。

会社をやめる勇気も無く惰性で働いていたある日、

大失恋をしました。

失恋は初めてじゃなかったけど、その時はかなり落ち込みました。

相当落ち込んだ後に浮かんだ思いが

「こんな情けないヤツ、誰が惚れんねん。」ということでした。

今思えば、当たり前なんですけどね。

社会に出てからは仕事ができない様なヤツはモテる訳が無い。

大人の世界の厳しさ。

それから少しは仕事を頑張ってみようと思うようになりました。

生まれつき手先が器用だったので、徐々に周りからも頼りにされ始めました。

そしてどうにかひと通りの仕事が出来る様になりました。

そして入社5年目のある日、

学生時代の親友に大事な話があると言われました。

「地元に個人で眼鏡店を始めた人がいる。お前に会わせたいんや。

とにかく会え!絶対会え!」

と、その友人から強い口調で

会う事を勧められたのが今の会社のS社長でした。

僕より4歳年上の若い経営者でしたが、初めて会った瞬間

「この人と一緒に仕事をする事になる。」という直感がありました。

その時、社長の口からでた言葉がとても新鮮に聞こえました。

「眼鏡ってオモロイと思わんか?」

眼鏡が大好きで、この仕事が好きでたまらないという思いが

強く伝わってきました。

そうか。眼鏡ってホントは面白いものだったんだ!

“仕事だから売っている”、のと“好きだから売っている”のは全く違う。

この発想はそれまでの自分に全く無いことでした。

当時は安定した大手を辞める気など、さらさらありませんでしたが、

あの若い社長の下で働くほうが

楽しいんじゃないかと思うようになりました。

その後、数ヶ月迷いましたが、やがて一大決心をしました。

5年間勤めた大手チェーン店に

辞表を出すことにしたのです。

「いつでも帰って来いよ。」と、前の会社の上司からは

暖かいお言葉をかけて頂き、円満退社しました。

人生最初で最後の転職でした。

業界最大手の巨大企業から、出来たばかりの弱小個人眼鏡店へ。

同じメガネ業界でも立場が全く違いました。

知名度がない個人店ではお客様の評判がすべてです。

自分個人のノルマを上げるのが目標ではなく

いかにお客様に信頼して頂き顧客になって頂けるか?

眼鏡を売るというより、信頼と見える喜びをご提供するという事。

そのためには人間味のある対応が要求されました。

信頼と評判を勝ち取るため社長は必死で努力していました。

一度お相手したお客様は最後まで責任を持つ。

この気持ちは、転勤が多い大手チェーン店時代は正直なかった事でした。

今までは事務的な接客で、お客様との間に

心の壁があった僕は最初とまどいました。

社長の後姿を見ながら「早くあんな風になりたい。認められたい」と思いました。

やがてお店は、地元で信頼できる評判の個人店として

少しづつご支持を頂くようになりました。

社長や先輩の努力が実って念願の2号店ができました。

2号店を任された先輩の努力もあって

本店、支店とも2つの店は順調に軌道に乗りました。

それから数年たったある日、

僕も責任を任されることになりました。

JR三田駅前へ3号店として新規出店することになったのです。

それは「時尚堂」というヨソの個人眼鏡店を丸ごと買収する話でした。

はじめて与えられた貴重なチャンス。

この機会を絶対ものにしなければ!

そしてその時、さらにひとつの課題が与えられました。

それは、ある理由から会社名をふせるという事でした。

?なんという運命!これからは誰も頼れない。

自分ひとりで評判をつくらなければならない。

それなら幻の名店と
呼ばれるくらいになってやる!


僕はその店を 「時尚堂・グラッサリー」 と名づけました。

なぜか根拠のない自信がありました。

孤軍奮闘。お客様お一人お一人を丁寧にお相手し

少しづつお得意様を作り

徐々に売り上げを伸ばしていきました。

この調子なら、けっこういけるかもしれない。

自分でささやかな目標を立て少しづつクリアしていきました。

ところが着任後、2年と数ヶ月たったある日、

新形態のライバル眼鏡店が突如出現、

あの眼鏡業界スリープライスショックが起こったのです。

徹底した低価格を強力に打ち出す手法で急成長する新規勢力。

フィッテイングをほとんどしないメガネで品質が悪くても

低価格で自由に選べる魅力は大きく、多くの顧客が流れました。

なんと歩いて3分とかからない場所に2軒もオープン。

さらに少し離れた場所にも大手チェーン店も新規出店。

いつしか三田駅前も眼鏡量販店出店戦争の大きな波に飲まれて行きました。

悪いことはつづくもので、同時期に本店のスタッフ2名が病気で緊急入院。

僕は任されている店を臨時休業し本店を手伝いに戻らざるをえなくなりました。

この時には僕の店だけにとどまらず本店や2号店までもが

厳しい状況になりつつあったのです。

グラッサリーは臨時休業を何回か繰り返し

「最近よく閉まってるね」と言われるようになりました。

徐々に客足は遠のきそれから間もなく、社長からグラッサリーの

閉店を告げられたのです。

社長はきっと断腸の思いだったと思います。

着任後わずか3年での大きな挫折でした。

立地の問題?ライバル店の存在?臨時休業のせい?

でもそれは全部言い訳で、ホントは僕の実力が無かっただけでした。

一軒店を潰してしまった!その罪悪感はとても大きかった。

とんでもないことをしてしまった。何よりお客様に申し訳がない。

ついこの間まで自分には実力があると思いあがっていた事が

恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がありませんでした。

だからその後、すぐに本店の店長をやるように

命じられた時はもっとつらかった。

挫折感も癒えないまま、さらに大きな役目をまかされたのです。

傾きかけた本店の建て直しを急がねばなりませんでした。

「今のままの自分じゃダメだ。
店長の資格なんてない。


どうすればいいのか随分悩み、考えました。

それからは評判の店があると聞けば出かけ、見てまわりました。

休みを利用して、大阪や神戸、京都、遠くは岡山で好調な

中堅チェーン店にまで出かけました。

そこで感じたのは、今はどこも低価格志向になっているが

これからは必ず高い技術が求められる時代が

目の前に来ているということでした。

そんなある日、たまたまみつけたあるお店のホームページ。

ちょっと変わった眼鏡屋さんだな...。

でも、よく読んでみると...スゴイ。 

この人はホントに凄い!!

こんなスゴイ人がいるんだ!

それが業界ナンバーワンの眼鏡フィッター横田先生でした。

この人に会いたい。会って技術を学びたい。

いてもたってもいられず後輩と共に横田先生のいる埼玉を目指し

羽田行きの飛行機に乗っていました。

失礼を省みず技術を教わりたいという僕たちに

横田先生は大変丁寧に対応してくれました。

「勉強する仲間が増えるのはうれしい。」

「雇われてる立場の社員さんがわざわざ勉強しに来るなんて初めてだよ」

とありがたいお言葉をかけて頂きとても感激しました。

先生からはフィッティングの技術だけにとどまらず、

両眼開放屈折検査は実施されてますか?」

と聞かれ僕は戸惑いました。

それはごく一部の眼鏡店でしか実施されていませんが

本当はやるべき正しい検眼方法。

「ぜひやられた方がいいですよ。」と先生は言われました。

横田先生ご自身、いろいろな先生のところへ出向いては

技術を学んで来られた経験があり、本当に努力の人でした。

先生の話は興味深いものばかりでした

今、眼鏡店に並んでいるメガネは殆どが見た目のデザインが先行し、

真の意味での掛け心地を考えた設計になっていない。

ほとんどのフレームはクリングスの位置が高すぎる為、

正しいフィッテングポイントに乗せるには

パットをかなり下へ修正しなければなりません。

ヨロイ部も、正しい前傾の調節をする時に

リムに負担がかかってしまう構造ばかりです。

モダン部はストレートで太すぎるものは

正しい屈折点を作れない場合があります。

また、テンプルやクリングスに弾力性がありすぎると

正確に調整できない場合があります。

流行の最先端、雑誌で話題の人気商品たち。

でも100%の掛け心地の調整はできないものが多い。

何故ならデザインするのはフィッティングを知らない人が多く

眼鏡のフィッティングをした経験のない人が

いいものを設計できるはずがないのです。

でもカッコだけで売れる。メーカーは売れる物を作る。

小売店は売れる物を仕入れ、店頭に並べる。

そして、まともなフィッティングもしないでお渡ししている

大多数の眼鏡量販店。

「お客様の為に、本当に掛け心地を考えて

作られた眼鏡は非常に少ない。

「 IOFT(日本最大の眼鏡展示会)を見て回っても

ほとんどありません。

それらは眼鏡ではなくて、ただの雑貨です。


その言葉に僕は衝撃をうけました。

信じられない事ですが、確かによく考えてみればその通りでした。

もしもそうだとすると眼鏡業界って何とお粗末な業界なのか。

しかし、同時になんと夢のある業界なのか。

先生は納得のいかない商品は一切仕入れない主義でした。

徹底した妥協の無い技術至上主義。

業界の現実とはあまりにもかけはなれている孤高の存在。

商売人というより志の高い技術者、

いや武士と言ってもいい生き方にすっかり心酔してしまいました。

横田先生のフィッティング技術は日本一、

いや世界一かもしれない。それは

「メガネの掛け心地を直すために、
わざわざ新潟から埼玉まで
新幹線に乗ってやって来る
客様がおられる。」

という伝説が物語っています。

そこまで人の心を動かす決定的な違い。


妥協無くこだわるということ。

この横田先生との出会いが

僕の人生で大きなターニングポイントになりました。

普通の眼鏡店スタッフではなく

自分にしかできない仕事をしたい。

オンリーワンになりたい。

自分が本当にやりたい事は何か?

自分は何のために生まれてきたのか?

自分の使命は?

生きる意味は?

それを早く見つけなければ...。




第二章 幼少時代にトリップ


その後、会社から自己啓発のセミナーへ参加させてもらいました。

そこで過去の自分と向き合うセッションがありました。

幼少時代の自分は何を考えていたのか.....?

どんどん過去へ遡っていきました。

色あせた幼少時代...。

そこには忘れることの出来ない
貧しい思い出がありました。


僕は建設会社を経営する父と、

女子美の前身、女子美術学校出身の母の間に生まれました。

父は戦争から帰った後、大工職人からたたき上げて

東京で建設会社を興しました。

家には、若い職人達が大勢出入りし

トラックが何台もありました。

ノコギリやカンナや金槌がたくさんありました。

そして母が使う絵筆やキャンバスがたくさんありました。

僕は父の仕事を見よう見マネでノコギリを使ったり、

母の描いた絵を真似て、自分も描いたりしていました。

幼心に自分は将来、職人か芸術家になるんだと思っていました。

ところが小学校6年生の時、

父の経営する会社が倒産してしまったのです。

その後、東京の大都会から田んぼしかない兵庫県の田舎に引越しました。

引っ越した家はボロボロで床が抜けて、
蜘蛛の巣だらけ


幼心に自分は本当に貧乏になってしまったんだ。と実感しました。

パンと水だけで迎えた朝、二度とこんな貧しい生活はしたくないと思いました。

ボロボロの家に住んでいる事を友人に知られたくありませんでした。

中学生になっても小さいサイズの古い自転車に乗っていました。

父は二言目には「お前は公務員にでもなれ。」と言いました。

「公務員は倒産がないからな。」

息子には安定した道を進んで欲しいと思ったのでしょう。

でも、何だかそれはイヤでした。

心のどこかに職人や芸術家に対する憧れがありました。

そして、将来は何かを全うして、父に代わって成功したいと考えていました。

いつか父と母に褒めてもらいたい。喜ばせたい。

という思いがいつもありました。

その後、父と母は文字通り泥だらけになって働きました。

本当によく働く両親でした。

そして少しづつまともな生活になり、

そんな将来に対する思いも徐々に薄れて、

ただ何となく遊んでばかりの学生時代でした。

高校ではイラストを描くのが得意で

似顔絵などを描いては友人を笑わせていました。

大学時代はお金がなかったのでバイトばかりしていました。

この頃、バイト先で親友Yと出会い意気投合しました。

不思議に気が合い現在もその関係は続きます。

彼とは数々のバイトをし、良く遊び、旅行にも出かけ

大きな成功をしたいと夢をよく語りました。

25年後に彼は大出世を果たすことになります。

それについては後述します。

卒業後、彼は当時伸び盛りの企業に就職していきました。

一方、僕はというと人生で何をやったらいいのか

全くわからず、何も見つけることができず

結局適当に眼鏡業界に就職を決めてしまったのです。



第三章 シンクロニシティ



意味のある偶然の一致。

それはあなたの人生でも起こるかもしれない。

いや、もうすでに起こっているかもしれない..。




会社から参加した自己啓発セミナー。

そこで行われた幼少時代の自分に戻るセッション。

本当にやりたかった事は何なのか?

それは職人であり芸術家....。  そして

よく考えれば目の前にメガネがありました。

幼い自分に戻ってよく考えた結果

いくつかのキーワードが浮かんできました。

眼鏡職人・眼鏡作家・眼鏡アート...。

最初に出た答えが職人に徹する自分、

メガネ合わせ屋⇒グラスフィッターでした

そうだ、メガネ合わせ屋でオンリーワンになるんだ。

今まで何をしていたんだろう!

やりたい事がこんなに目の前にあったなんて!

メガネを通して本当にいいものを創り、合わせ、

そして目の前にいる人を喜ばせる。

お客様をカウンセリングし、検眼し、デザインし、製作し、

フィッティングし、アフターフォローする。

最終的にはすべて自分で責任を持って創り上げ自己完結する。

そんな仕事がしたい。とても過酷な道かもしれない。

でも、やってみたい。自分にしかできない事。

それが自分の人生の意味だったんだ。

そんなことばかり思うようになりました。

まずはハンドメイド眼鏡だ。

それからはハンドメイド眼鏡を学ぶチャンスを探しました。

休日を利用して手作り眼鏡ショップを開いた人の

ところへ押しかけて直接学んだり、

福井県は鯖江の製造メーカーまででかけたり。

メーカー主催の講座に参加したり。

そんな中で数々の出会いと
シンクロニシティー
が起こりました。

ファッション誌に紹介された新進気鋭の眼鏡職人のJTさん。

何か気になる人だと思っていたら

偶然知り合うチャンスがあり彼の工房がある名古屋まで出かけました。

彼の作品は非常に完成されたもので大変大きな衝撃を受けました。

なんて美しいんだ!

ハンドメイドでここまで出来るとは、まるでブラックダイヤだ!

お話を聞けば聞くほど確立されたブランドとして生き残っていく戦略にも

深い読みがあり勉強になりました。

そして、福井県の鯖江へ何度も足を運ぶうち、

現地の眼鏡職人KTさんにも出会い、貴重なアドバイスを頂くようになりました。

鯖江の眼鏡業界に精通する彼の情報は興味深いものばかりでした。

ある日、KTさんから紹介したい工場があると言われ

連れて行かれたのがマコト眼鏡さんでした。

そこで本場鯖江の職人が創った結晶ブランド

「AYUMI」と出会いました。

シンプルな中に他とは全く違う真実の輝きがあり

僕の心は大きく揺さぶられました。

こんな素晴らしい商品をお客様に勧めることができたらどんなに幸せだろう。

後にそれは実現することになります。

また、関西の芦屋で絶大な人気のあった眼鏡セレクトショップの店長、

K先生に出会ったのもこの頃です。

K先生は大変に先見の明がある方で、

まだ誰も眼鏡のセレクトショップなどしていない時代から

眼鏡専門ブランドだけのセレクトショップを軌道に乗せられた方でした。

初めてお会いしたのは鯖江で。その後、

約1年後に再び鯖江へ出かけた時に偶然再会しました。

全く同じ日、同じ時間、同じ場所。お互いが1年ぶりの鯖江だったので、

あまりの偶然にとても驚きました。

その時これは、K先生からもっと学べということなんだと直感しました。

その後、K先生は小売の現場から卒業され、眼鏡企画製造の道へ進まれ

ご自身のブランドを立ち上げられました。以降今日まで

貴重なアドバイスを頂くようになりました。

そして日本眼鏡技術研究会や日本メンタルヘルス協会、中小企業家同友会などで

いろいろなことを学んでいきました。

そこで更に特別な能力を身につけるべくパーソナルカラーの学校へ通いました。

色の基礎を学ぶことによってデザインにも活かすことが出来るし

何よりお客様をカウンセリングする時に役立つと考えたからです。

社長から全面的にバックアップして頂き、神戸の学校まで通うことになりました。

半年間でひと通りを学び晴れて卒業しましたがその後もさらに勉強するため

個人のサロンで行われていたカラリストの勉強会などへ参加しました。

そこでひとりのメイクアップアーティストとの出会いがありました。

メイクとメガネはどこか似ているという事で意気投合しました。

彼女はご自分をある意味メイクの職人だと言われたので

とても共感しました。

その方こそ後に美心メイクを唱えられたSATSUKIさんでした。

彼女とはいつかいっしょにコラボレーションができたらいいですねと話しました。

後にそれは「眼鏡美人花計画」という形になって

実現することになります。

その後、彼女からはイメージコンサルタントの田中みどり先生をご紹介頂きました。

田中先生からはアーユルヴェーダを基礎にしたファッション分析

「バランス美学」
を学びました。

これは似合うメガネを考える上でも接客時のカウンセリングでも

大変役に立ちました。

手作りメガネの方は、初めはヘタクソでしたが、

徐々に形になりはじめました。

やがて自宅の倉庫を改築して創作メガネ工房をつくりました。

この頃ミクシーなどで知り合った方々からの要望もあり

2006年にこの創作メガネ工房というホームページを立ち上げました。

当時はまだメガネの作り方を紹介したホームページはなかったようで

多くのアクセスとご意見、ご質問を頂くようになりました。

僕の創作眼鏡を初めて掛けて頂くお客様として

すぐに頭に浮かんだのは

三田市で鉄のアート作家をされている近藤明さんでした。

近藤さんからはいつも芸術とは?とか人生とは?

など多くの学びを頂いています。

近藤さんからは創作メガネのお返しとして

鉄のモニュメントを2体作って頂きました。

これは後にグラスフィッターの店頭を飾る大切なディスプレイとなります。

その後、市内や県外の方々から

少しづつ創作メガネのオーダーを頂くようになりました。

そして三田阪急キッピーモールで創作メガネの個展を

開催するチャンスにめぐまれました。

小さな個展でしたがしっかり

手ごたえを感じました。


この頃には本店の店長としても地道に努力を重ね

会社の業績も徐々に持ち直してきました。

そんな訳で自分の進むべき道を定めたとたんに

不思議な偶然、
様々な出会いが起こり始めたのです。




第四章 理想の店へ 再チャレンジ! しかし...。



その話が現実味をおびてきたのは2007年頃でした。

三田市内に

本物志向の眼鏡専門店をオープンさせる

という話です。

当時はすでに同じ商圏内に全国チェーンの眼鏡量販店が

どんどん出店攻勢をかけて来ていました。

しかしどの店も同じような形態。メガネが商品というよりも

価格が商品という感覚。どのチラシを見ても価格、価格、価格。

挙句の果てにはワンプライスという形態が出現。

一つの価格で何でもできるという手法で

これが業界の大きな流れになっていきました。

しかしこれで本当にいいものか?

本当にお客様のためになっているのか?

意外に知られていない現実は

「メガネを買ったけど使っていない

というお客様が実に多いということ。

理由は眼鏡店が必ずやらなければならない

「合わせる」という作業をおろそかにしているからでした。

安売りは必ず技術の手抜きにつながると僕は確信していました。

それが買ったけど使えないというお客様のご不満を生むことになるのです。

結果として世の中から「メガネなんてズレるモノ。疲れるモノ。そんな程度のモノ」

という認識になっていく。

それが社長をはじめ僕らにはガマンできませんでした

僕たちの考える正しい眼鏡店のかたちとは

正しい検眼⇒両眼開放屈折検査、それは過矯正などの誤差を出さないため。

そのためには近接ボックス型の視標では不十分。

そして片目づつではなく両目の相互バランスを考えた

見え心地にするための両眼視機能検査も行うべき。

正しいフィッティング⇒横田流フィッティング、レンズの特性を

最大限に活かし痛くなくズレないために。

眼鏡デザイン⇒流行に左右されやすいアパレル系のライセンスブランド等ではなく、

終始一貫したスピリットのある眼鏡の専門ブランド。

この国で生まれたのだから日本の工場で作った製品を優先すべき。

そして人の人生を明るくするワクワクする楽しいもの、素敵なものを広めて行きたい。

単なるモノ売りではなく、お客様の眼に、お顔に、生活に、

さらには人生にフィットするアイウェアをご提供したい。

それは、メガネ屋ではなく

「メガネ合わせ屋」をオープンさせたい。

そんな熱い思いからグラスフィッターという店名が思い浮かびました。

それからはオープンに向けて急ピッチで準備に入っていったのでした。

メガネ店の日常業務は一般の人から見るより想像以上に忙しく

営業時間を終わるまでパソコンの前に座ることもできない日々が続いていました。

特にオープン前の一年は大変忙しく、

営業時間が終わってからしか新店の準備ができませんでした。

なかなか思うように準備が進まないそんなある日、

突然僕の頭の中で
何かが爆発し崩れるような感覚
に襲われました。

自分の意識が身体から外へ飛び出したくなる衝動。

胸が苦しくて仕方がない。じっとしていられない。

それから数日間、僕は生まれて初めて

自分の心をコントロールできない苦しみを味わいました。

後でそれがパニック障害だと知りました。

こんな世界があるんだと初めて知りました。

もう自分はダメかもしれない

自分は精神的にタフな方だと思っていただけにとてもショックでした。

普通の生活に戻れないかもしれないと絶望しました。

一人でいることができない。じっとしていられず医師をしている友人のところへ行きました。

彼は僕の話を良く聞いてくれて、しっかり受け止めてくれました。

一日中僕の話を聞いてくれた彼のおかげで少し楽になりました。

原因は進みたい方向がハッキリ決まったのに忙しすぎて全く先へ進めていないという現実が

重くのしかかっていたからでした。ここで初めて、自分の使命を成し遂げるには

人から援助してもらうことも重要だということを学びました。自分一人で抱え込む人間は

結局前へ進めないんだと。その後は、社長の理解、仲間や友人の理解、家族の理解

そしてK先生からも支えて頂きなんとか復帰することができました。

ここでまた挫折するわけには行かない。

でも休息が必要なときはしっかり休息もとるよう心がけました。

なるようになるさと、時には思い詰めず、いい加減さも自分には必要でした。


第五章 そしてオープン!


新店舗の場所が決まりました。

三田市ニュータウンの中心、ウッディタウンです。

そしてその店の全責任を僕が任される事になりました。

それは会社の命運がかかっているという事でもありました。

今度こそ失敗は許されない。本当に責任は重大でした。

僕はかねてからメガネショップササダの支店という位置づけではなく

単独の差別化店舗でやるべきだと考えていました。

だから店名も変えるべきだと。

そして、お店のコンセプトがすぐにわかる名前にするべきだと考えていました。

店名はグラスフィッターと名乗らせて欲しい

と進言しました。すでに市内で知名度のある名前を使わなくて本当に大丈夫なのか?

様々な話し合いが持たれましたが結局最後は社長に快諾していただきました。

まったく新しいコンセプトの店を出す上で信頼できる何人かの人に相談しました。

まずK先生からは商品構成について徹底的にアドバイスを頂きました。

眼鏡専門ブランドのコンセプトショップを成功させたご経験から

的確なアドバイスを頂きました。

一般の眼鏡量販店で良く見かける様なアパレル系などのライセンスブランドではなく、

眼鏡だけの専門ブランドはそのコンセプトが全く違う。作り手の志が貫かれている。

だから魅力があり輝いて見える。中でも特に選りすぐりのものについて情報を頂きました。

また、K先生は普通のやり方ではダメだと言われました。

オシャレな内装にして変わった商品を置いているだけで

自分をカリスマ店長だと勘違いしている人は多い。

それでは失敗する。お店では店長が主役ではなくお客様が主役なのだ。

結局最後はその人の人となりで決まる。

そんなお話を頂いた時、それは僕がどれだけ本気であり、

本当にメガネを好きかが試されるんだということに気付きました。

また、地方でコンセプトショップを軌道に乗せておられるU店長からも商品構成について

その品番に至るまで詳細なアドバイスを頂き大変参考になりました。

店舗が完成し、ここからオープン前の2ヶ月は怒涛の日々でした。

突発的に起こる予定外の様々な問題に対処していきました。

電話回線が繋がらない、パソコンが不具合で使えない、予定外の什器の問題。

予定外の経費の発生。またパニック障害が再発しそうな兆しを感じた時は少々焦りました。

「今またあれが再発したら今度こそ終わりだ。なんとかなる。なんとかなる。落ち着け。

今、まさに試されてるんだ。」

うまく自分の心をなだめながらなんとか乗り切りました。

後輩のK君はじめ優秀なスタッフの働きでなんとかオープン前日に漕ぎつけました。

その日の夜、一本の電話に凍りつきました。

「D店長が交通事故に巻き込まれた!」

先輩である支店のD店長が大怪我を負ったのです。明日オープンという夜に。

事故は相手が悪くこちらは青信号で完全な被害者でした。

しかし結果として新店のオープンに迷惑をかけてしまったという

D店長の無念の気持ち、心中察するにあまりありました。

なんという波乱の幕開け。

新店は応援要員を欠いたままのスタートとなりました。



オープン当初はたくさんのお客様で賑わいました。

ぎりぎりのスタッフでなんとか乗り切りました。

この調子なら何とかなりそうだ。 と思ったのもつかの間

思うように客足が伸びません。開店後数ヶ月もしないうちに

このままではとても厳しい状況に陥ってしまったのです。

「メガネ合わせ屋」なんて偉そうな事を言ったって

ひとりよがりなんじゃないのか?

このままだったら店名も「グラスフィッター」から「メガネショップ」に

変えるべきじゃないのか? 何度も協議しました。

しかし店名を変えてしまったらお店の存在価値が無くなってしまう。

それだけは何としても避けなければなりませんでした。

特効薬なんて何も無い。そんな神頼みや小手先のテクニックなんて通用しない。

目の前のお客様に最善を尽くすこと。 

情熱を持って事に当たること。

答えはそれだけでした。  

一年経ってようやくお店が安定に向かい始めました。

「メガネ合わせ屋」というお店のスタイルに共感して頂くお客様も増え始めました。

ご利用頂いたお客様からご紹介をいただく事が増えてきました。

そして市外、神戸、大阪、福井県、岡山県、愛知など県外のご遠方から

わざわざご来店頂く事も増えてきました。

ありがたい評判を頂き、自分ではこの程度で十分なのかなと

ある意味小さくまとまりはじめていました。

そんなある日、驚く知らせが入りました。

大学時代からの親友Yからでした。

「今度、K社の社長をやることになった。明日の朝刊の経済欄に出るから見てくれ」

彼の会社は東証一部上場、年間売上高1800億以上、従業員3100人以上という

超巨大企業になっていました。

彼は何のコネもなく入った優良企業でみるみる頭角を現し

社長として大出世を果たしたのでした。

親友が大成功し素直に嬉しいと思う反面、

小さくまとまりつつあった自分が恥ずかしくなりました。

身近な親友がこんなに頑張って結果を出している。なぜこのタイミングで?

これはもっと頑張れということなのか!



第六章 眼鏡美人化計画


親友Yの成功が更なる高みを目指す励みになりました。

まずオマエの知っている事を紙に起せ。

Yからそんなアドバイスを
貰いました。

それまで蓄積してきた自分が得意とする様々な事柄をまとめていきました。

その中の大きな骨格が眼鏡美人黄金比率でした。

もちろんメガネのセレクトは何か法則で割り切れるほど単純ではありません。

きっと正しい答えなどないからこそ仮説をたてて研究していく価値はある。

いずれ眼鏡デザインにも活かそうと蓄積してきた内容でした。

これをさらに深めたいという思いがあって他分野のプロの意見を聞いてみたくなりました。

そこでかねてからお付き合いのあった美心メイクのSATSUKIさん

相談することにしたのです。

そこで話は新たな方向へ展開していきました。それが眼鏡美人花計画でした。

すぐにスタイリストのプロとして天性の才能を持たれる

センスアップアドバイザーのCHIEさんにも加わってもらいました。

メガネ・メイク・スタイリングの三位一体で

何かできないか?お客様の持って生まれた美の開花を

3つの観点から引き出せないか?

外見的な美しさに自信を持って頂くことにより内面にも自信がもてる。

全ての人に自信を持って頂き、それぞれの実力を100%発揮して頂く。

自信をもって実力を100%発揮するイキイキした人達が

素敵な世の中をつくる!

世のため人のために僕らにできる事、それを僕らにしかできない事に高めやって行きたい。

かくしてメガネ・メイク・スタイリングのコラボレーションがスタートしました。

2011年度はメガネ美人花で試行錯誤を繰り返し

大人数でのセミナー形式やグループセミナー、個別カウンセリングと

様々な方法を試しました。その結果、イベントでは

営利を目的としないことが最も重要で

「めがねを楽しむ会」を定期開催することが最も意味があるという

結論に至りました。

2012年からはお店の業績が大きく伸び

毎月のように前年度の売上げを上回りはじめました。

そして、全国のメガネ屋が学ぶ高付加価値な眼鏡フィッティング術、

横田流フィッティングのテクニックにおいて

全国初のゴールドフィッターへ

認定されました。




すべてはお一人お一人のお客様のため。

そしてこの仕事を通して日本を元気にしたい。

そのためにこれからも

さらなる上を目指します。

生涯現役、生涯勉強。この仕事以外考えられない。

この仕事で自分のすべてを使い果たし燃え尽きていきたい。

今はこの仕事を選んで本当によかったと思っています。

一生懸命育ててくれた両親に感謝。

あの時、社長に僕を引き合わせた友人にも感謝。

社長をはじめ、会社の仲間たち、  

そしてフィッティングNO1の横田先生、

いつもアドバイスを頂くK先生、

親切にいつも支えてくれる鯖江の親友、KTさん。

大学時代からの親友のY。

そしてコラボで共に進むSATSUKIさん、CHIEさん。

そしていつも支持していただくすべてのお客様。

本当にありがとうございます。

天職とは、今、目の前にあるもの。気づくもの。

そして生涯をかけて全身全霊で取り組むもの。

そして最後に、こんなに長い文章にお付き合い頂いた

あなたに感謝します。あなたはきっといい人です。

あなたに素晴らしい幸運がやってくる事を祈っております。

そしてもしもお会いできたら光栄です。  

それが僕の夢ですから。




























































  こちらへ来られたのも
  何かのご縁。
  よろしければ
  創作眼鏡職人に
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