Exaktaの歴史

第二部・現代的1眼レフ成立への過程〜後編
〜R・Hunmmel著"SPIEGELREFLEXKAMERAS AUS DRESDEN"に寄せて〜

なかがき

  さて、本稿前編においては、リヒャルト・フンメル(Richard Hunmmel)の著作"SPIEGELREFLEXKAMERAS AUS DRESDEN"(邦訳『東ドイツカメラの全貌〜一眼レフカメラの源流を訪ねて』朝日ソノラマ・1998)の中でも、とくに戦前期ドレスデンにおけるカメラ産業史の歴史叙述に注目し、検討を行った。
  イエナのツアイス・グループは、1926年にドイツ国内の大手カメラメーカーを全て吸収合併してツアイス・イコン(Zeiss-Ikon)社を設立し、産業支配を完全なものとした結果、カメラ産業の中心地であるドレスデンには、従業員500人に満たない新興の独立系中小メーカーしか残らなかった。

  ツアイス・グループの支配に対して新興の独立系中小メーカーは、当時のツアイス・イコン社には無い製品、つまり「新しい形式の1眼レフ」の開発に活路を見出してゆくのだが、その時代は感光材料がガラス乾板から、セルロイドベースのロールフイルムや35ミリフイルムへと全面的に移行しつつあった時期であり、そしてまた小型・精密カメラが続々と誕生しつつあった時期でもある。それが「新しい形式の1眼レフ」(つまり、本稿で云うところの"現代的1眼レフ")開発に、どのような影響を及ぼしたのか?
  本稿の後編では、このような視点から小型・精密1眼レフのパイオニアであるエクサクタ(Exakta)を例に、その開発の経緯を、当時の写真フイルム市場と、カメラ産業の技術水準の両面から考察するものである。

第一章 現代的1眼レフの成立〜エクサクタを例に

1・エクサクタの技術的特徴
  現在のところフイルム、デジタルの方式を問わず、もっとも技術的に進んだ機構・構造を持ったカメラは1眼レフとされている。その起源は古く、カメラの原型であるカメラオブスクラ、そして既に19世紀末には乾板フイルムを使用する木製1眼レフが存在している。だが、現在われわれが日頃慣れ親しんでいる形式となったのは、1933年に発売されたベスト判フイルム(4×6.5cm・8枚撮り)を使用した「エクサクタ」(Exakta)が最初であり、ドイツ・ドレスデン市にあったイハゲーカメラ製作所(Ihagee−kameraWerk)の技術者、カール・ニヒターライン(1904〜1945?)によって開発された
27)
  このカメラには、現在に直結する1眼レフの技術的特徴が複数認められ、19世紀以来の古い形式の1眼レフから脱却した「現代的1眼レフ」の起源である。

  旧来の乾板フイルムを使う大型木製の1眼レフ(英国製ソルントン・ルビーレフ)と、イハゲー社が1933年に発売したロールフイルムを使うエクサクタA型の大きさの比較。

  ここでは、まず1933年に登場した最初のエクサクタ(ベストフイルム用)が持つ3つの技術的特徴に注目し、その技術史的意味を考察する。

(1) 総金属製であること。
⇒19世紀以来の古い形式の一眼レフに比較して、飛躍的に小型化され、機構や構造が集約・集積され使用材料が木製から金属製となった。エクサクタの外骨格はアルミ合金製、内部機構には真鍮銅合金、鉄等が使用されている。

(2) ロールフイルム(柔軟なフイルム)を使用すること。
⇒ベスト判ロールフイルム(4×6.5cm・8枚撮り)の使用、つまり柔軟なフイルムを使うことで、容積を小さくすることが可能となり、また連続撮影が可能になった。

(3) シャッターとフイルムの運動が連動していること。
⇒フイルムを巻き上げる運動と、フオーカルプレンシャッターの運動機構が連動し、且つレフレックスミラーがセットされることにより、連続撮影が可能になった。

  以上の3点が、1933年に登場したエクサクタの技術的特徴であり、技術水準である。この当時、既にロールフイルムや35ミリフイルムを使用する「シャッターとフイルムの運動が連動する装置」を持ったカメラが次々と生まれつつあった
28) 。この装置によって、連続した撮影が可能となり、写真術において永年の懸案であった二重撮影の防止が実現された。

  1眼レフでこの「シャッターとフイルムの運動が連動する装置」を備えたカメラは、エクサクタが初めてであり、その後に登場した多くの1眼レフの形態に大きな影響を与え、19世紀以来の「旧時代の1眼レフ」に対して、この3つの技術的特徴を満たしたものこそが「現代的1眼レフ」である。
  それ故に、筆者はエクサクタをして「現代的1眼レフの元祖」と主張するのだが、その登場から現在に到るまで、無数の更に進んだ機構・構造を持った1眼レフが登場したが、先に述べた3つの基本的な技術的特徴を欠いたものは、まず存在しないと云っても過言で無いであろう。

2・エクサクタと3つのフイルム規格に関する考察
  ベスト判エクサクタ イハゲー社は1933年にベスト判ロールフイルム用(4×6.5cm・8枚)のエクサクタ、1936年に35ミリフイルム用(36×24mm・36枚)のキネ・エクサクタ(Kine-Exakta)を、さらに1939年にはブローニ・フイルム用(60×60mm・12枚)エクサクタ66(Exakta66)を発売し、戦前期に合計3種類のフイルム規格に対応した1眼レフを登場させているが、なぜこのような技術開発と、商品展開が必要だったのだろうか?

  ところで、最初に登場したベスト判フイルム用エクサクタの技術的特徴や形式は、測距方式(連動距離計方式か、1眼レフ装置を使うかの差異)を除けば、例えば同時代の35ミリフイルムを使用するライカやコンタックスと類似しており、先行した機種から受けた影響や、当時の技術水準を伺い知ることが出来る
29) 。だが、しかしライカやコンタックスと決定的に違っている点が2つある。

(1) シャッターとフイルムの運動は連動しているが、フイルム巻き上げ機構は、1コマずつ自動停止しない。 ⇒裏蓋に穿かれた赤窓を通して、ベストフイルムの裏紙に書かれたフイルム枚数番号を見ながら、手動でフイルム位置を調節しなければならない。

(2) ベスト判のロールフイルム(4×6.5cm)を使用する。 ⇒ライカの規格(24×36mm)は引伸ばしを前提とするが、エクサクタは密着焼付けを前提としている。

  この2つの相違点は、当然ながら最初のエクサクタがベスト判ロールフイルムを使用するカメラであったことに起因するのだが、筆者は「シャッターとフイルムの運動が連動しているが、フイルム巻き上げ機構は、1コマずつ自動停止しない」のは、ベスト判フイルムにはパーフオレ−ション(送り穴)が無いために、自動巻き止め機構の実現が難しかった為であると考える。(その根拠については、次項参照)

  ゆえに、前時代的な"赤窓覗き込み式"と呼ばれるフイルム給装システムを採用せざるを得ず「シャッターとフイルムの運動が連動している」にもかかわらず、「フイルム巻き上げ機構は、1コマずつ自動停止しない」ために「赤窓を覗き込んで」フイルムの停止位置を手動でコントロールしなければならなかった。
  その意味で、ベスト判のロールフイルムを使用する最初のエクサクタは、現代的1眼レフカメラの元祖でありながらも、多分に前時代的な要素を残した、否、残らざるを得なかったカメラであった。

キネ・エクサクタとエクサクタ66

    1936年、35ミリフイルムを使用するキネ・エクサクタの登場によって「シャッターとフイルムの運動が連動し、なお且つ、フイルム巻き上げと同時に、1コマずつ自動停止する機構」が実現した。これによってキネ・エクサクタは、より完成された「現代的1眼レフ」となったのである30)

  さらに1939年には、パーフオレーション(送り穴)の無いブローニ・フイルムを使用し、自動巻き止め装置を装備したエクサクタ66が登場する。だがしかし、フンメルの証言によれば、この製品企画は1937年頃に営業側から出されたものであり31)、開発主任であるニヒタ−ラインはその開発には懐疑的であった。その理由を「35ミリフイルムのようなパーフオレーション(送り穴)の無いブローニ・フイルムでは、自動巻き止め機構の実現は難しい」としている32)

  つまり、ニヒターラインは35ミリフイルムのパーフオレーション(送り孔)が、スプロケットと噛合うことで、シャッターセット とフイルム給装、更に自動巻き止め機構を実現する為の、一種の“歯車”として認識していたと、筆者は考えている。
  これこそが、パーフオレーション(送り孔)を持った35ミリフイルムを使うカメラが実現した重要な技術的特徴であり、確実なフイルム給装と自動停止を保証するものであったのだ。
  事実、ニヒターラインが懸念した通り、製品化されたエクサクタ66の構造的弱点は自動巻き止め機構の故障頻発であった。

  フンメルはイハゲー社の事業報告書には予めエクサクタ66の修理保証の引当金が計上されていたとも証言する33) 。それでもなお、経営陣が開発グループに対して"無理な開発"を強いたのは、やはり二重露出防止と、自動巻き止め、2つの機能を持った35ミリカメラの利点が市場において受け入れられ、成功しつつあったことが背景にあったと考えるのが妥当であろう。
   
 

フイルム規格とカメラ技術開発の葛藤
  さて、筆者は戦前期において3つのフイルム規格を持ったエクサクタが開発された理由を、この時代において一般向けの写真市場がガラス乾板フイルムから、セルロイドベースのロールフイルム、或いは35ミリフイルムへと急激に変化したことに原因があると考える。よく知られているように19世紀末から20世紀初頭にかけてイーストマン・コダックによるフイルム販売と現像・焼付けのサービスが確立され、「現代的写真産業」の基礎が完成したことで写真術に大きな変化が起こった
34)

 

イハゲー社発売の一眼レフ、エクサクタシリーズ3機種(ともに1939年モデル)

左から使用フイルムによってベスト(VP)・エクサクタ(40×65mm・8枚撮り)キネ・エクサクタ(24×36mm・36枚撮り)エクサクタ66(60×60mm・12枚撮り)の3種類のモデルが市場に送り出された。

3つのフイルム規格を持った、同じような技術的内容の1眼レフが、同時並立して発売されていた点に留意すべきである

  それまで専門の知識や経験、設備が必要とされた現像と焼付け作業が、大資本のフイルム感材メーカーのサービスシステムとして専業化され、写真が大衆化した。

  その一方で、フイルムメーカーはサービスの効率化を図るため「規格化」を推し進めた。これが、結果としてカメラメーカーの技術開発に対して有形無形の影響、時には圧力さえ及ぼすようになったのは当然であろう。そして、最初のベスト判エクサクタが市場に登場した1933年当時、一般的なD・Pサービスでは、密着焼付け可能な最小サイズのフイルムが4×6.5pのベスト判フイルムとされており、もっとも普及した小型のフイルム規格であった。それに対して、35ミリ判フイルムはごく特殊なもので一般性が無く、現像・引伸ばし・焼付けを請け負うサービス体制も皆無に近かった。
  これが、35ミリフイルムを使う技術的メリット(自動巻き止め装置)を差し引いてもなお、ベスト判のエクサクタが真っ先に開発された理由であると筆者は考える。

 

イハゲー社の1939年製造(ベスト判)エクサクタC型の背面。

8枚撮りベスト判用ロールフイルム(4×6.5cm)の他に、アトム判と呼ばれた小型のガラス乾板フイルム(旧型時代の規格)も使用出来る。

新興の独立系中小メーカーであったイハゲー社は、世界初の小型・金属製一眼レフを市場に送り込み成功したが、流動的だった1930年代における写真市場のフイルム規格の変遷に翻弄され続けた。

  先に述べたごとく、この当時は未だベスト判やブローニ判を使用するカメラが圧倒的主流を占めており、35ミリフイルムを使用するカメラが全面普及する為には、まず写真市場における"社会インフラ"と"環境"が必要だったのである。これは全て"経済性"という問題に跳ね返ってくるのは当然であって、商品開発にあたってはもっとも留意されるものである。

  それ故に、最初のエクサクタ(ベスト判)が発売された1933年当時は、未だベスト判フイルムは市場で大きなシェアを保っており、写真は密着焼付けが一般的だったため、市場判断として先ずベスト判エクサクタが発売された。それが数年にして急速に35ミリ判が普及し、その利点が市場で大きく認められるに至り、35ミリフイルムを使用する1眼レフとしてキネ・エクサクタが1936年に発売され、さらにブローニ・フイルム使用のカメラの需要も大きかったことから、1939年にはキネ・エクサクタの利点(自動巻き止め装置)を持ったブローニルイルムを使用するエクサクタ66が発売されたと、筆者は分析する。

  そして1939年(つまり第二次大戦勃発の年)には、遂に3つのフイルム規格を持ったエクサクタが同時並行して発売されるに到ったのである。つまり、この時代には3つのフイルム規格を使用するカメラの需要が存在し、営業上必要とされていたのである。
  それが、ベスト判、35ミリ判、ブローニ66判、3つのフイルム規格を持ったエクサクタの技術開発と、市場における商品展開を促した原動力になったと分析する。そしてまた、この時期の目まぐるしく変化した写真市場の動向を、如実にあらわしたものとして理解されよう。


むすび

  イハゲー社の主任設計者であるカール・ニヒターラインは、ベスト判エクサクタの試験販売(つまり、開発の最終段階)が始まった1932年、ドイツ最大手のフイルムメーカー、アグフア社(AgfaFilm AG)が、現在のフイルムパトローネの原型を発売したこと、またさらに、世界最大のカメラメーカーであるツアイス・イコン社が35ミリフイルムを使用するコンタックスを発売したことで、35ミリフイルムを使用する一眼レフ、キネ・エクサクタの開発を決意したと、フンメルは証言している
35)

  つまり、ニヒターラインは、この時はじめて35ミリフイルムを使用するカメラの市場が拡大し、普遍化するであろうことを確信したのである。そして、1936年に35ミリフイルムを使用する史上初の1眼レフ、キネ・エクサクタが誕生する
36) 。このカメラは後世、歴史的に高い評価を受けることになる。だが、キネ・エクサクタが発売された当時、ベスト判フイルムを使うエクサクタが登場した時ほど高い評価を受けられなかったとも、フンメルは証言する37)

  現在でも「規格」が、様々な商品開発や戦略の上で大きな意味を持っている例は多数存在し、枚挙に暇が無い。例え、どんなに優れた規格や方式であっても、普及していない規格を用いたもの、規格互換性が低いものは販売戦略上で大きなネックとなり、市場戦略の妨げとなるのは周知の事実である。ましておや、フイルムの規格はカメラという商品の、最も重要なポイントでもある。それによって、技術開発の有り方も変わり、野心的な開発が行われることもあれば、妥協も起こる。
  技術的優位性は必ずしも、市場の覇者たりえないのである。

  戦前期において、3種類のフイルム規格を持ったエクサクタが次々と開発され、市場投入された過程を鑑みるに、目まぐるしく変化した戦前期の写真市場におけるマーケティングの象徴であるとともに、この時代特有の市場条件の下で技術進化を摸索した現代的1眼レフの祖として、カメラの発達史を考察する上で、殊更に重要な意味を持つのである。
  そしてまた、本稿の前編で述べたごとく、ツアイス・グループによる寡占・独占化が進行した1920〜30年代のドイツの写真・カメラ市場において、市場動向に影響力を持つことが出来ない新興の独立系中小メーカーが、新しい形式の1眼レフ開発に活路を見出してゆく有り様と、フイルム規格の変遷に翻弄された葛藤をも、同時に看取できるのである。

  最後に、筆者は本稿で取り上げた歴史的題材は、決して過ぎ去った昔の出来事ではないと主張したい。なぜならば、写真術における記録手段が銀塩フイルムからデジタル媒体へと移行する現在の写真・映像の市場においても、規格の問題や、ニッチな分野に活路を見出そうとする技術開発が、姿や形を変えつつも、同じように繰り返され、且つ常に進行し ているであろうことを、われわれは忘れてはならないのである。 (終わり)



 

エクサクタの特許図面の一部。
ドイツで1936年8月28日に登録されたもの。

似た内容のもが、アメリカでは1935年12月24日に(US.PAT2025609)登録されている。



>> 註釈(27)〜(37)をまとめて見る


参考文献
『EXAKTA PHOTOGRAPHIE』 by JACOB DESCHIN A CAMERA CRAFT USA 1950
『EXAKTA CAMERAS 1933〜78』 by CLÉMENT AGUILA and MICHEL ROUAH/HOVE FOTO BOOKS England 1987
『カメラレビュー61号 〜キネエキザクタから始まるクラシック一眼レフ』
『エキザクタとその分類』 吉田稔著 朝日ソノラマ 2001年
『カメラレビュー65号 〜F1とF2の時代』
『戦前型・戦後型のエキザクタ66』 吉田稔著 朝日ソノラマ 2002年
『カメラレビュー66号 〜20世紀のカメラ50選』
『ベスト・エキザクタ 〜小型一眼レフのさきがけ』 吉田稔著 朝日ソノラマ 2003年
『カメラレビュー15号 〜レンズ』
『東ドイツカメラの歴史・前編』 竹田正一郎著 朝日ソノラマ 1990年



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