現代的1眼レフ成立への過程〜後編、註釈集


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「このカメラによってカメラ小型化への第一歩が記されたのである」 Richard Hunmmel "SPIEGELREFLEXKAMERAS AUS DRESDEN"(1994)(邦訳・日本語版監修・リチャード・クー 、村山昇作、『東ドイツカメラの全貌〜一眼レフカメラの源流を訪ねて』朝日ソノラマ・1998、以下『全貌』と略す)第1 章P.75


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スチルカメラで世界初の「シャッターとフイルムの運動が連動し、なお且つ、フイルム巻き上げと同時に、1コマずつ自動停止する機構」を持ったカメラは、パルモス株式会社が1901年に発売した"Zeiss-Minimum-Palmos6×9cm"である。("75Jhare Photo und Kino Technik Zeiss-Ikon"1937P.42〜43)しかし、今まで筆者が行ってきた調査では、後続する機種が生まれた形跡は無い。

その理由は不明であるが、恐らく機構上の問題(本文中で述べているように、エ クサクタ66のような自動巻き止め機構の故障頻発)では無いだろうか?また、当時のロールフイルムの性能が低く、フイルム面の安定性に問題があり、乾板フイルムを使用するカメラに対して優位性を発揮できなかった為に、消滅したとも考えられる。また、竹田正一郎の指摘では、パルモス社が設立直後に取引銀行の倒産に巻き込まれ倒産し、ツアイスが会社を引き取り、ツアイス・パルモス部門として吸収合併したことも影響したと考えられる。(2007年1月4日、5日私信)

この経緯と詳細な考察に関しては竹田正一郎著『コンタックス物語』(朝日ソノラマ 2006)「もしバルナックがツアイス・イコンに勤めていたら」P.171〜179を参照のこと。 いずれにしても、ロールフイルムや35ミリフイルムを使い、シャッターとフイルム巻上の連動と二重露出の防止、自動巻き止め機構を備えたカメラが再び脚光を浴びるのは1920〜30年代になってからであるのは、間違いないであろう。


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ライカは、35ミリフイルムを使うスチルカメラとしては、28番目に登場したものである。(参考・ThumanF.Naylor "A NEW LOOK AT THE OLD35~The Original And Early History of 35mm Photography"1980 PHOTOGRAPHICA)筆者の考えるライカへの評価は、1932年に連動距離計を搭載し、レンズ交換システムを完備したライカDU以降からのもの、つまりシステムカメラの始祖としてのものである。

同じく1932年には、これまた連動距離計を搭載したツアイス・イコン製のコンタックスが生まれ、そして、ほぼ時を同じくして生まれたのが1眼レフのエクサクタであることを考えれば、この時代に現代的フイルムカメラが生まれる技術水準が達成されたのだと考えるのである。


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『全貌』第1章P.78〜80


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「6×6の撮影フォーマットが一般に人気を得た。(中略)4×6.5に比べて38%大きな面積が有利に働いたからである。6×6の像はコンタクトプリントとしても高いクオリティ−を持っていた」(『全貌』第1章P.80)これは、フランケ&ハイデッケ社(Frnke&Heideck)の二眼レフであるローライフレックス(Rolleiflex)や、1935年に発売されたフランツ・コッホマン社のブローニ・フイルムを使用するレフレックス・コレレに対する対抗機種を出すという経営的思惑があったものと考えられる。


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エクサクタ66の開発にニヒターラインが懐疑的であったためか、その開発は部下にあたるビリー・トイブナー(Willy Teubner)が行った。(『全貌』第1章P.80)


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『全貌』第1章P.140


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英国コダックミュージアムの学芸員で、写真史研究家のブライアン・コーは、イーストマン・コダックによるロールフイルムの採用と共に、現像・焼付けサービス(現在の写真ラボ、DPEサービス)の導入を重視し、コダック・システムの基本方針とするところは、写真を写すことで専門家にしか出来ない仕事から、誰にでも出来る仕事を分離することであり、有名な宣伝文句にもなった"You press the button,we do the rest"(あなたはボタンを押すだけ、あとはおまかせ)のシステムを作り上げた点が、とりわけ重要であったと強調する。

つまり、それまでの"写真を写す行為"の中でもっとも難しく、専門知識と経験が必要とされた撮影後の処理を、メーカーが全て請け負うことで、消費者は手軽に写真を撮影することが出来るようになった。このいわゆる“手間いらず"が、写真の大衆化における最大のポイントであり、フイルムの販売と現像、焼き付け業務が主柱となるコダックによる"現代的写真産業"のはじまりであるとする。 Brian Coe "CAMERAS From Daguerreotypes to Instant Pictures" (1977 AB NordBook) ブライアン・W・コー著『カメラ〜ダゲレオタイプからインスタント写真まで』(邦訳版 朝日ソノラマ編 1980)P.9〜14


(35)
『全貌』第1章pp78〜79


(36)
筆者は「史上初の35ミリ1眼レフがソビエト製"スポルト"だったのか"キネ・エクサクタ"であったのか?」という議論は、あまり意味が無いと考える。なぜならば、キネ・エクサクタは基本的に1933年に登場したベスト判フイルムを使用するエクサク タの発展モデルであり、フンメルによればニヒターラインが「エキザクタ4×6.5(※ベスト判フイルム用)の構造とともに、パテントにも、後に35ミリカメラとしても使用に耐え得るように、新しいアイデアを取り込んだのである」と、証言している。(『全貌』第1章P.79参照)(※括弧内筆者註釈)


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「当時は、このキネ・エクサクタでカメラ製造の新しい時代が明けるとは思いもよらなかったのである」『全貌』第1章P.79