最有力の佐々木小次郎生誕伝承地
    高善寺福井県越前市    地図案内    TOPに戻る           越前・若狭紀行
佐々木小次郎の像 佐々木小次郎の生家とされる高善寺
 宮本武蔵の伝記である『二天記』(豊田景英、1755年)は次のように伝える。    

 
岩流小次郎という剣客あり。越前宇坂の庄、浄教寺村の産なり。同国の住人・富田勢源の家人となりて稽古を重ねる。長ずるに及んで勢源の打太刀を勉める。勢源は一尺五寸の小太刀で三尺余りの太刀に勝つ事をなす。高弟小次郎に及ぶ者なし。勢源の門弟・治郎右衛門と勝負してこれに打ち勝つ。依りて勢源の下を去って自ら一流を建て岩流と号す。・・・

 佐々木小次郎の出生地として幾つかの説が挙げられている。浄教寺町説(じょうきょうじちょう、福井市)、高善寺説(こうぜんじ、福井県越前市今立)、岩国説(山口県)、豊前説(福岡県田川郡添田町)、近江観音寺説(滋賀県近江八幡市安土町)、等である。
 小次郎の出生地については各候補地が実に喧(かまびす)しい。越前説(高善寺説と浄教寺説)、岩国説、豊前説などそれぞれが生誕地と主張しているが、そこに出て来る佐々木小次郎はそれぞれ別の人物であろうか?そうではなく、それらは越前の富田勢源道場を去って剣の修行ために諸国に旅した佐々木小次郎のその後の人生をそれぞれに伝えているのではないか。

 浄教寺説が常に佐々木小次郎の出生地候補の筆頭に挙げられる理由が『二天記』の記述である。更に、若き日の小次郎が稽古に励んだ富田勢源(とだせいげん)の道場跡とされる田畑(福井市西新町)と富田勢源の菩提寺・盛源寺はすぐ近くである。
 
 所で浄教寺町から10kmと離れていない所にもう一つの出生候補地に挙げられる高善寺(こうぜんじ、福井県越前市今立)がある。高善寺は983年に建立された古刹である。1464年に本堂を焼失して以来無住であったが蓮如上人が北陸布教のために立ち寄った際、直弟子の教光坊善空に寺の再興を命じた。第11代住職・教光坊善空は鎌倉時代の武将・佐々木四郎高綱(宇多源氏の一族)の子孫で、以後の歴代住職は佐々木家を名乗る。
 佐々木小次郎は第17代住職・宗善の6男で高綱の末裔として武将の血を引いてか幼少より仏門を嫌った。当時の越前国主・朝倉氏の剣術師範を務めていた富田勢源の道場に通いツバメ返しの秘術に開眼したという。小次郎は18歳の時に幼少より愛用していた五郎八茶碗を割り「剣の道に一生をかける。二度と寺には戻らぬ。」と誓って寺を出た、との言い伝えがある。高善寺には小太夫(佐々木小次郎とされる)の過去帳や系図が伝わっている。法名は「道誓信士」である。高善寺の家紋と佐々木小次郎の家紋とは同じである。1732年(享保17年)に村人達によって墓が建てられたとされるが現在その墓は見つかっていない。

第17代住職・宗善の六男・小太夫が小次郎という 高善寺に伝わる過去帳 陣笠(高善寺の家紋付き)