あわら市 温泉の街               越前・若狭紀行
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  あわら市は2004年芦原町と金津町が合併して発足した。 芦原町は温泉街として知られてきた(外部サイト)。日照りに見舞われた1883年夏、湿地で潅漑用の掘り抜き井戸を掘ったところ偶然に温泉が噴出し、以来温泉街として発展してきた。日本海の海岸から離れているために旅館は庭園や露天風呂に趣向を凝らしている。
 藤野厳九郎記念館吉崎御坊跡等の史跡を訪れる人が多い。
 あわら市瓜生・中川地区から坂井市丸岡町坪江付近には6世紀初めからの豪族の墓であろうとされる「横山古墳群」がある。北陸最大級の大きさである事から継体天皇を出した有力豪族との関連が考えられる。関係する椀貸山古墳(わんかしやまこふん)や天皇堂は市境を越えるが近くである。
                                               吉崎御坊跡                                          北潟湖畔花菖蒲園      付近の地図案内
   
   立つ処芦原温泉発祥の地」  芦原温泉発祥地公園 地図案内
 白山連峰の山々が左右に起伏し、その一角に竹田川の源流がある。やがて九頭竜川とともに穀倉坂井平野を築く。その北端の今立つ処、即ち
あわら市堀江十楽市番が「芦原温泉発祥の地」である。北を山方、南を里方、その中間に位する此の地は芦萩の生い茂る中に水田が開かれ、道らしきものもなく夜ともなれば狐狸の出没する淋しい地域であった。
 明治十六年(1883年)は五月から六月にかけて未曾有の旱天続きで県下至る所に水論が絶えず農家に一大恐慌を与えた。川崎直右ェ門、川崎長右ェ門、川崎他ェ門の三氏が相談の末、坂井町蛸の掘抜師、陶山甚兵衛氏を招いて旧九月九日に潅漑用の掘抜井戸を掘ったのである。ところが湧き出た水は湯気を出し、舐めてみると塩分があるので呆気にとられ、早速家に持ち帰り風呂として浴すると大いに五体が休まった。これが十楽温泉として忽ち評判となり一樽いくらで買い出しに来る者もあった。その後、皮肉にも堀江十楽の地には遂に温泉は出ず、隣接する田中々、舟津、二面地籍で大いに発掘され、今日の全国屈指の温泉街として繁栄するに至った。
 ここに、堀江十楽、神明神社から薬師如来を遷座し、碑を建てて、芦原温泉発祥の地として永く記念する所以である。『現地案内板』のまま
            昭和五十一年八月一日 新設
            平成二十年八月一日   改訂 
               芦原温泉三区会 
               芦原温泉観光協会