神が「沈黙」する訳
 

 人間は霊こそ実在で全てのものに優先し、全てのものが消滅したあとも残り続けます。肉体は地上を生き抜くための仮の媒体にすぎません。古来多くの人間は、残酷な目に遭う人間を見て、神は何故沈黙しているのかと疑問を持ち、そのあげく、所詮神などは存在しないという結論に至った者も少なくないはずです。
 
 この宇宙を創造した神は全知全能の持ち主です。人間を助けることも滅ぼすことも自由自在で、もし神が介入した場合、選り好みもせず全世界の拷問にあっている人間、困窮している人間、絶望で死にかけている人間などを助けるはずです。ということは反対に全世界の悪人たちを滅ぼすという道理になります。
 
 それらを行うことは神にとっては容易いことです。しかし、それでは神が善も悪も統御することになり、人間は何の進化を得る事もできません。もし悪人が神に簡単に滅ぼされるようになったら、人間は神を恐れ一切の悪事を働くこともありません。そうなると、悪事を見て反省する心や正義感を持つ心を養うこともできず人間の進化はストップします。
 
 神は人間の進化の為にさまざまな人格を学ばさせているのです。遠藤周作の「沈黙」では、神は弱き者たちと共に苦しんでいるのです、との結論に至っていますが、それは誤りで、無限にして不変、唯一絶対の全知全能の神が苦しむなんてことは永遠にありません。
 
 
 霊訓はこう語っています。
 
 
人間の本性は肉体を備えた霊的存在なのです。霊を備えた肉体的存在ではありません。決して肉体という鈍重で低俗な存在ではありません。死を迎え古い衣服を脱ぎ捨てるように肉体から離れる時がくれば、本来住むべき霊性に応じた世界へ行きます。
 死ぬということは、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。苦しみから解き放たれて霊本来の姿に帰ることが、果たして悲劇なのでしょうか。天上的色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駈け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。

 
 
神が人間の苦難を見ても沈黙している訳は、肉体を離れた霊が一瞬のうちに空を駆け巡り、行きたいところは何処でも行ける本来の実在である霊に戻るのを知っているからです。

 
しかし、悪人たちは違います。肉体が滅んで霊界に戻ったとき、物質世界で行った自らの悪行に驚いて口から吐いた暗黒のオーラで我が身を包み何百年も悶え苦しみます。まさに地獄を味わうのです。
 
 この地球上で何の宗教にも入らず、独学と独力で悟り(一法)に到達したのは釈迦と私だけです。ほかにも悟りに到達した禅僧などは沢山居ますがその殆どが師に付いて学んだ者ばかりです。誰にも学ばず悟り(一法)に到達したのは釈迦と私だけです。私は真実しか書いていない積りですが、信じる信じないは個人の自由です。
 

 天才であるアインシュタインは、ある日、記者から宗教についての見解を求められた時、「このコーヒーカップをここに置いた人は、誰か分かりますか?」と問いかけた。記者は、当然のように「もちろん、アインシュタイン博士、あなたです」と答えた。

 アインシュタインは、「コーヒーカップなどの小さい物でも、ある力が働かなければ動かすことは出来ません。考えてみてください。この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいません」と説明した。

 あるインタビューでは、「一部の人は、宗教は科学理論に合致しないと考えている。私は科学者で、今日の科学は、特定の物体の存在を証明することができるが、特定の物体が存在しないことを証明することはできない。従って、われわれがある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在しないということを断定してはならない」と語った。

 さらに『原子核』を例として、「数年前に、例えばわれわれが原子核の存在を証明できなければ、もしその時、『原子核は存在しないのだ』と断言していたとしたら、それは大変な誤りを犯していたのではなかろうか?」と説明した。

 アインシュタインは『神』の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」と語った。
 
 天才とは物事の事理を鑑み正しい判断を下せる者を言います。ニュートンやアインシュタインは天才と呼ばれるにふさわしいと思いますが、大学ランキング世界一の英国オックスフォード大学の数学部、物理学部を首席で卒業し天才と称された車いすのホーキング博士は決して天才とは言えません。
 ホーキング博士はアインシュタインと肩をならべるとまで評価されていますが、私から云わせれば天才でも何でもなく少し賢めの普通の人間でしかありません。


 ALSという難病に掛かりながら宇宙の研究につとめ彼独自の理論を発表していることは立派ですが、もっともその理論がどこまで真実かという問題はありますが、しかし、不自由な体で宇宙に取り組んでいた姿勢は賞賛に値します。

 しかし彼の、エイリアンが地球に襲来し人類を滅ぼすと云ったことや、人間死ねば死後の世界はなく、死んだら無になるといった発言は、私からすれば無知としか言わざるを得ず、到底アインシュタインと比較できる人物とは思えません。
 
 大学ランキング世界一の秀才が物事の事理を正確に判断できないのだから、その他、話題の花巻東の佐々木麟太郎君が進学することになった大学ランキング世界2位のスタンフォード大学、3位のマサチューセッツ工科大学、4位のハーバード大学、5位のケンブリッジ大学等々は推して知るべしです。
 
 道元は宋では一人の禅師の元で仏法を学ぶ者は数百人から千人もいて、その中でも悟りを開く者は一人か二人に過ぎないといっていました。ということは、大方の修行僧は一生悟らぬまま無為に修行に明け暮れているだけです。
 
 東京大学でインド哲学を学んだ東大生は数千人から居たものと推定されますが、一人も本当の悟りに到達した者は居ません。なぜそれが分かるかというと、私は、本当の悟りに到達した人はその人の一言半句を聞いただけで分かるからです。
 
 オックスフォード大学を首席で卒業したホーキング博士が少し賢めの凡人でしかなかったように、世界の大半は凡人で占められておりその凡人たちで世界は動かされているのです。
 
 天才エジソンはバート・リーズの驚異の透視能力を知ると同時に霊界の存在を知り「生命は物質同様、滅ぼすことの出来ぬものであり、この世には、常にある量の生命が存在し、その量は一定であろう。生命とは創造も、破壊も、増殖することもできないのだ」と、科学者の観点から、生命をそういう風に分析して「霊界通信機」なる物の発明に労を費やしましたが完成するには至りませんでした。さすがのエジソンも、この宇宙を創造した神が存在するとは思わなかったのでしょう。
 
 神とは永遠にして無限、不変、唯一絶対、全知全能であり、この宇宙は神が創造したもので、全ての人間は神の一分霊で神同様永遠に死ぬことも消滅することも有りません。
 
 エジソンですら神の存在に思い至らなかったのですから、一般の凡人が、神が存在するなんて夢にも思わないのは当然です。しかし、物ごとの事理を突き詰めていけば神が存在していることは明白なのです。神が存在しているなんて夢にも思わない無知な人間が悪に手を染めるのです。
 
 日本の国会議員の中で神の存在を信じている人は5%にも満たないはずです。日本に限らず世界中で神の存在を心から信じる者はやはり5%にも満たないはずです。
 世界は神が存在するなんて夢にも思わない凡人達によって動かされているのです。世間には一流大学を出て要職に付き、能力があるとか天才だとか持て囃されている人が沢山居ますが、その実体は単なる一般人より少し賢めの凡人でしかなく、エスカレータ式に博士号を取って頂点に上った人も少なくないのです。そんな人間にとっては、目に見える物、手に触れられる物だけが真実なのです。
 
 私は一度たりとも宗教に入ったことはありませんが、書かれた物を読めばそれが虚構か真実かを見破る力を持っているからです。今までいろんな宗教に勧誘されましたが全てあり得ない虚構だと見抜いてきました。聖書ですら有り得べからずの物語が書かれているので信じるに至りませんでした。
 しかし、シルバーバーチの霊訓、その他の霊界からの霊言には心を動かされました。霊訓には80%以上真実に足るものがあったのです。霊訓は聖書についても語っています。

 
バイブルには事実でないことが沢山のべられています。いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることはできません。自分の成長を管理するのは自分一人しかいない・・・・・他人の成長は管理できないというのが摂理だからです。贖罪説は神学者が時代の要請にしたがってでっち上げた教説の一つです。自分が過ちを犯したら、その荷は自分でそれ相当の苦しみを味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです。もしも誰かほかの者が背負ってあげることができるとしたら、過ちを犯した本人は何の教訓も学べないことになります。

 懺悔についてもシルバーバーチは、罪を告白しただけでそれまでの罪が許されるなら、いままで真面目に生きてきた人との公平が失われることになり、そんなことがあるはずがないと断罪しています。

 
傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染み込んだ汚れが、それくらいのことで一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。”すみませんでした”の一言ですべてが赦されるとしたら、はたして神は公正であると言えるでしょうか。いかがですか。
 
 また宗教の教義についても断罪しています。

 
教義による束縛は地上世界の病苦の一つです。疾病よりも大きな害悪をもたらします。身体上の病気による苦痛など物のかずではありません。なぜなら、それは魂の病気だからです。霊に”目隠し”をしてしまうのです。

 そして霊訓はこう語っています。人間は神の一分霊で永遠に死ぬことはなく、人格が完成するまで幾度も生まれ変わるのだと。死後の世界が存在することは今や明白と言ってもいいぐらい断言できるのに、それすら推測できないようでは決して天才とは言えません。天才の要件は物事の事理を鑑み何が真実で何が虚構かを見破れることです。

 霊訓によれば、宇宙には地球以外にも生命のある星はいくつもあり、その中でも地球は進化の度合いが最低から二番目といいます。あちこちで毎日のように起こっている日々の犯罪や戦争を思うと、それもむべなるかなと思います。

 進化した星からは宇宙人が到来し、大昔には地球の人間にさまざまな技術を教えたといいます。UFOは実在しているということです。当然、進化した星の生物も我々人間と同じ神の一分霊で、しかも地球の人間より一歩も二歩も進化して神の存在を充分に熟知しているから、地球を攻撃するなんてことはあり得ないはずです。故ホーキング博士はSF映画の見過ぎではなかったかと思われます。
 
 どんな宗教であれ一切入る必要はありません。人間の本性は肉体を備えた霊的存在なのです。決して肉体という鈍重で低俗な存在ではありません。本来は神の一分霊であり、言って見れば神の一部なのです。神性を意識して善行に励むことが正しい生き方なのです。この地球上では前世の記憶を持った人間がどんどん生まれています。神の一分霊である人間が永遠に死なない事の証明です。

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