エジソンと霊界通信機

 エジソンが霊界との通信機を発明しようとしたのは有名な話だが、なぜエジソンがそんなオカルト的なものを発明しようとしたのかは次のようなイキサツがあったからだと思われる。
 次の文はこちらのウェブサイトから転用したものである。http://www.asyura.com/sora/bd3/msg/32.html

 電球や蓄音機をはじめ、数々の電気装置の発明で世界を仰天させた白髪の科学者は、バート・リーズなる人物に驚かされた、と述べている。
 それは、ある日「いろいろと不思議を働く男がいるんだ。君なら彼の力を科学できるだろう」と友人にすすめられ、リーズを自分の実験室に招待したことに始まる。
 さて、約束の時刻にやって来たバート・リーズは、この高名な発明家に向かってこういった。
「私は透視能力者であり、第2の目をもっている。そしてテレパシーもできるのだ」
 リーズは実験室の助手たちの中から選び出した1人の男(ノルウェー人だった)に、別室に行って母の旧姓、出生地、その他二、三の情報を書き留めるよう頼んだ。
 そのノルウェー人は、すぐに戻って来た。彼の掌には、クシャクシャに丸められたメモが握られている。エジソンや助手たちの一団が見守る中、リーズは前置きも呪文を唱えることも、ましてや怪しげな神がかり状態に入ることもなく、メモに書かれた内容をズバリといい当ててみせたのである。ノルウェー人が紙片を一同に回覧したあとリーズは彼にいった。
「さて、あなたは10クラウン硬貨をポケットに入れていますね。お守りに携帯しているのでしょう」
 図星といった表情で、ノルウェー人はポケットから硬貨を取り出した。
 それを見るや、他の助手たちも次々にバート・リーズを試してみたが、どの実験も見事に成功した。最後はいよいよエジソンの番だった。“おやじ”一一彼は、助手たちからそう呼ばれていた一一はこの透視能力者に手ごわい質問をお見舞いすることにした。
 エジソンは書いている。
「ちょうどその時、私はアルカリ電池の実験をしており、その実験が正しい方向に進んでいるかどうか、不安に思っていた。そこで私は、隣室ではなく別の建物に行って、こう書きつけた。『アルカリ電池を作るのに、水酸化ニッケルより、もっと良い材料があるだろうか?』と。
 この文章を書き終ると私は、気になっていたもう1つの問題に心を集中することにした。リーズが私の心を読んで、私の書いた文章をいい当てようとするなら、その裏をかくことである。私は皆の待つ実験室へ戻っていった。
 部屋に戻ると、リーズは私の方に向き直って、こういった。『いや、アルカリ電池の材料として、水酸化ニッケルに勝るものはありません』(リーズは正しかったのである)」
 かくして、驚くべきリーズの能力を認めざるを得なかった発明家も、こうした能力が科学で説明し得るとは断言できないとしながらも、次のように書いている。
「このような能力を備えた人たちによって何かの大発見がなされるのは、文明の要請によるもの、と私は確信している。現在、予言者の数は少ないが、次代は大勢を成すだろう。そのことは、現在の英知の水準では成し得ない研究も、たゆまざる練磨により発達した知力が、将来は完成させるだろうと考えられるからである」
 よって、この時期(1916年)にバート ・リーズが苦もなくやってのけたことを電子工学により、実現しようとエジソンが考えていたことは想像に難くない。
 エジソンの永年にわたる友人だったアレン・L・ベンソンは「彼は死の15年前(1931年死亡)から心霊研究を続けていた」と述べている。
 『リバティ』誌の寄稿で、ベンソンはこう書いている。
「発明家たるエジソンの業績は、一に真実の発見、続いてそれを利用することだった。人間にとって真実とは何であったか? 人間には不滅の霊魂が存在するのか? 一体に生が終ると霊魂はローソクの炎が尽きるように消滅するのか? それとも幽幻のように漂うのか? もし霊魂が生き続けるものなら、死者は生者に話しかけることが可能なのか?」
 さらにベンソンは続ける。
「この高名な友人は、霊媒や生者の媒介なしに死後の世界を実証する装置を作り得ないものか、と考えていた。霊魂が直接、現世と交信することが可能なら、疑問は氷解する。エジソンは科学者の矜持として、真実を何よりも重要視していた。霊魂と死後の世界、2つの世界間の交信の可能性については、彼の誤謬もあろう。ならば、現実に適合すべく自分の研究方針を修正しなくては、とエジソンは考えたのである」

科学者を感嘆させた透視能力

 人類のためになる発明をする一方でエジソンは、霊界通信用機械の開発にも相当な努力を払っていた。そんな折新しい友人のバート・リーズが彼の前から消えた。
 事実、発明家をうならせたこの超能力者は、ステージで透視能力者・手品師として、その力を発揮していたのである。しかし、ステージでのリーズは折角の超能力を手先のトリックを交えて演じるため、ややもするとひどい結果になることがあった。
 このバート・リーズは一種、謎のような人物だった。わかっているのは、プロシア領だったポーランドのポーゼン生まれで、幼年時代に渡米したということくらいである。生活のため、ロクな練習もせずにステージに上がらなくてはならなかった。
 エジソンとの実験から2年後、リーズは久しぶりにニュージャージー州メンロ・パークの実験室に顔を出した。その時のことをエジソンは、こう日記に書いている。
「私はすぐに鉛筆を取り、虫メガネでようやく見えるくらいの小さな字で、『キーノ』と書いた。紙は畳んでポケットに入れ、それから給仕に、リーズ氏をご案内するように、と命じた」
 透視能力者が入ってくるとすぐ、エジソンは声をかけた。
「リーズ、私はポケットに紙片を入れている。何と書いてあると思う?」
 リーズは即座に答えた。
「キーノ」
 エジソンは絶句した。彼には、この超能力を推しはかることができなかった。ただ、心理学者は何というだろう、と彼は考えた。エジソンほどの有力者ともなれば、国内の大心理学者にバート・リーズとの実験を承知させることなど、造作もないことであった。
 なかでも当時、最も高名な精神科医の1人に、ジェームズ・ハンナ・トムソンがいた。彼は、何人かの同僚を自宅に集めてバート・リーズと会見することを承諾した。トムソンも含め、誰も皆、自信満々の頑固な科学者である。もちろん、彼らはオカルト信者ではなかった。
 リーズは、約束通りトムソン宅にやって来た。トムソン博士はそっと書斎に入ると、何枚かの紙片に、わけのわからない言葉を書きつけた。そして、紙片を部屋のあちこちに隠した。
 実験の準備が整うと、リーズが書斎に呼び入れられた。彼はそれまで、トムソン博士宅を訪れたことは、一度もなかった。ところがである。リーズは何のためらいもなくいった。
「テーブルの左の引き出しの後ろにはオプソニックと書いた紙片、テーブル上の本の下には、別の言葉を書いた紙片があります一一アンビセプターですね。もう1枚には、アンティジェンと書いてあります。どれも、どういう意味なのか、私にはまるで解りません」
 ただちに検査が行なわれ、リーズの正しいことが明らかになった。集まった心理学者や精神科医たちも、リーズの離れ技に極度に興奮し、リーズの評判通りの能力を認めることとなった。
 やがて、この実験の話を聞きつけたドイツの高名な科学者フォン・シュレンク=ノーツィンク男爵が、リーズに会見を申し込んだ。リーズは承諾した。男爵は5枚の紙片を用意し、それぞれ次のように違った質問を書き付けた。
 @私の母の名前は?
 Aドイツへは、いつ帰りますか?
 B私の著書は、よく売れるか?
 Cこれは個人的な質問で、記録は残しません。
 D私の長男の名前は?
 このドイツ人の学者は、それら5枚の紙片を、自分でも順序が分からないようかき混ぜた。
 リーズはきっかり5分後に5問中の4問に正確に答えた。
 ちょうどそのころ、エジソンは、人から人へ想念を伝達する実験に、取り組んでいたが、これは失敗に終った。この実験について彼は、『日記と雑録』に次のように書いている。
「さまざまな方法で、1人の人の想念を他人に伝えるための実験に着手したが無惨な結果に終った。たとえば、4人の被術者の頭部に電気装置を固定し別々の部屋に配置する。また、今度はその4人を同じ部屋の四隅にすわらせ、徐々に中心部に近づけてゆく。最後には互いの膝がくっつく位まで近づけたが、何の好結果も得られなかった。リーズならば、いかなる装置も条件も要さず能力を発揮するものを……」
 エジソンの理論によると、空中には顕微鏡でも見えない微細な物質粒子が存在する。それらは、巣の中の蜂のように群れをなし、精神を緊張することで、指示を与えることが可能だ。
 この理論は、科学者仲間から「科学者らしからぬ……」として非難されていた。
 しかし現代社会においても、霊魂、死後の世界、記憶といった種類の神秘を、解明できないことを考えあわせれば、エジソンは間違っていた! と誰がいえるだろう?
「生命は物質同様、滅ぼすことのできぬものである。この世には、常にある量の生命が存在し、その量は一定であろう。生命とは、創造も、破壊も、増殖することもできないのだ」
 というのがエジソンの信念であったのである。

空前絶後の超能力裁判

 エジソンとバート・リーズは、その後も数年間は親交を続けていた。エジソンは死者との交信実験を、何度も繰り返していた。リーズはといえば、やがて1926年、彼は詐欺罪で告訴される破目に陥ったのである。
 リーズを利用してひと儲けを企んだ無節操な告訴人の前で、リーズは透視能力を検察側に証明できなければ、服役するしかなかった。
 この訴訟の話を耳にしたエジソンは即座に、ニューヨークの『イヴニング・グラフィック』紙に宛て1通の手紙を書きあげた。これは1926年の7月26日号に掲載されたが、その一部はこうである。
「彼(リーズ)には数回、会いました。どんな場合にも私は、リーズから離れた位置で、または彼を別室に置いてから、紙片に何らかの言葉を書きました。しかし、彼に紙片を手渡したことは一度もありませんし、全く紙片を見せ なかったことも、何度かありました。それにもかかわらず彼は、各々の紙片に書かれた言葉を、正しく答えたのです」
 公開の紙上で大科学者が被告の弁護に立ったにもかかわらず、判事も陪審員も、あまり影響されなかった。リーズは危機に直面した。検事は彼にとっては致命的な論告を構築していた。彼の超能力を証明する法一一。それは1つしかなかった。
 リーズは立ち上がって判事と向い合った。そして、判事の前にあるメモ用紙に「何か書いて下さい」と頼んだ。何でもいいのである。ただし法廷にいる人々には絶対に見られないように。
 判事は承知した。
 やがて、リーズは□を開いた。
「裁判官閣下。今、お書きになったことを発表してもよろしいでしょうか?」
「よろしい」判事は答えた。
 リーズは息をととのえると、
「閣下は、こうお書きになりました。『超能力の存在という問題で裁判官が判決を下すことを求められたのは、私の知る限りこれが最初である。私が今書いている文章をリーズが正しく答えたなら、私は彼を無罪にしなくてはなるまい』と。『超能力』という言葉は、大文字で書かれています」
 判事はうなずくと、「閉廷する」と宣言した。「被告は無罪である。陪審員の皆さん、私が書いた文章は、被告が答えた通りです」彼はメモ用紙を陪審員に渡してから、退廷した。
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