世界は有意味(エドガー・ミッチェルが宇宙で解けた疑問)

  この地球上で起こる事はすべて意味があってのことです。

 1971年、アポロ14号の月着陸船に乗り込んだエドガー・ミッチェルの「宇宙からの帰還」(立花隆、中央公論社刊)ではこう語っています。

 “
月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。 
 
 いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。


 いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考え続けるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験(至高体験)だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。

 
 
世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。

 
すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。 すべては一体である。一体である全体は完壁であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。人間の意識はその神の思惟の一部としてある。その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。
 こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。

 

 地球上で起こっているすべてのことには意味があったのです。すべての事は決して偶然ではなく、宇宙の創造という神のプロセスの一環として個々の人間の成長のために起こっているのです。因果律は人間が成長するために必須だったのです。神の分霊である人類の成長なくして宇宙の創造はあり得ないからです。

 シャーリー・マクレーンもこう言っていました。悲劇的な事件は偶然に起こるのではなく、確かな理由があって起こっているのだという。その確かな理由というのは、私たち一人ひとりの成長のために必要だから起こっており、もし自分の人生は自分の内なる神を経験する為のものだと常に忘れないでいるならば、私たちの人生は輝きに満ち、一見悲劇に思えることも、実は悲劇でないのだと言う。

 
その他にもエドガー・ミッチェルはこう語っています。

 神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であるといってもよい。宇宙知性(コズミック・インテリジエンス)といってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人問の意識はその思惟の一つのスペクトラム(範囲)にすぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。

 ――では、この肉体を持った個別的人間存在は何なのか。人は死ねぱどうなるのか。

 人間というのは、自意識を持ったエゴと、普遍的霊的存在の結合体だ。前者に意識がとらわれていると、人間はちょっと上等にできた動物にすぎず、本質的には肉と骨で構成されている物質ということになろう。そして、人間はあらゆる意味で有限で、宇宙に対しては無意味な存在ということになろう。しかし、エゴに閉じ込められていた自意識が開かれ、後者の存在を認識すれば、 人間には無限のポテンシャルがあるということがわかる。人問は限界があると思っているから限界があるのであり、与えられた環境に従属せざるをえないと思っているから従属しているのである。スピリチュアルな本質を認識すれば、無限のポテンシャルを現実化し、あらゆる環境与件を乗りこえていくことができる。

 人が死ぬとき、前者は疑いもなく死ぬ。消滅する。人間的エゴは死ぬのだ。しかし、後者は残り、そのもともとの出所である普遍的スピリットと合体する。神と一体になるのだ。後者にとっては、肉体は一時的な住み処であったにすぎない。だから、死は一つの部屋から出て別の部屋に入っていくというくらいの意味しかない。人間の本質は後者だから、人問は不滅なのだ。キリスト教で人が死んで永遠の生命に入るというのも、仏教で、死して涅槃に入るというのも、このことを意味しているのだろう。だから、私は死を全く恐れていない。

 霊界から語ったシルバーバーチと、現存しているエドガー・ミッチェルの言っていることはほとんど大差ないと言えるだろう。シルバーバーチも幾度となく、神とはこの広大無辺の宇宙で絶え間なく作用している知性であり、摂理であり、愛であると語っている。エドガー・ミッチェルのいう、神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神、宇宙知性だと語っている内容と決して矛盾しない。

 世界中で起こっていることには全て意味があるのだ。全てが一人ひとりの人間の成長のために起こっているのだ。カルマの法則(返さなければならない負債)が存在するのはその為なのだ。カルマの法則とは自分のしたことは自分に返るという因果律のことである。
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