eoさんの旅ノート
ドイツの旅 2012年
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ベルリン Berlin

 17時13分、ベルリン中央駅着。
 中央駅の Information で Drei-Tage-Karte を購入。ベルリン市内の主要な博物館、美術館に無料入場できる3日間有効のチケット。

 ローカル電車に乗り換えて、宿泊予定の宿のあるベルリン動物園駅に向かう。
 宿泊するホテルは Crown Plaza Berlin City Centre。ここベルリンでは4泊する。

 ベルリン動物園駅周辺はベルリン最大のショッピングエリアだそうで、宿泊するホテルからも数分歩けば賑やかな通りに出るし、カーデーヴェー KDW というドイツ最大級のデパートも近くにある。
 今は午後8時頃。お腹も空いた。カーデーヴェーの最上階にあるというセルフサービスのレストランに行った。
 レストランというよりフードコートだ。買ってすぐ食べられる、日本でいうところの惣菜屋がずらりと並び、そこで好きなフードを購入して、数か所にある座席コーナーにそれを自分でもっていって食するというシステム。
 惣菜屋とはいえ、日本でのイメージよりもちょっと高級。ここで沢山買い込んで自宅でパーティをしてもいい感じ。どれも品よく、美しく、そして美味しそう。
 酢漬けニシンのサンドウィッチ等、そしてビール、ケーキも購入。ホテルの部屋で食べた。満足。

 6月30日

 今日はポツダムへ行く。
 電車で、ベルリン動物園駅8時12分発、ポツダム中央駅に8時45分着。
 ちょっと雨模様。本格的な雨にならなければいいが。
 ポツダムの駅前からサンスーシー行きのバスに乗ってサンスーシーで降りると、サンスーシー宮殿はすぐだ。   サンスーシー
 

 10時の受付開始まで、広大な庭園を散策。

 美しく手入れされた葡萄棚が最上段の宮殿に向かって階段状に昇っていく様はとても美しい。

 受付開始されたら、先ず Tageskarte を購入。サンスーシー宮殿の内部も見たいので Premium プレミアムチケットを。

 サンスーシー宮殿の内部を見学した後、庭園の道を進んで、シャルロッテンホーフ宮殿を見学。
 雨はすっかり止んで青空も見える。よかった。
新宮殿  

 次に、新宮殿への道は?とキョロキョロしたが、案内表示など全く無いので分からない。

 しばらく周りを眺めていると、林の中に向かうある小道に数人が入って行ったので、私達もその後について小道をしばらく進むと、急に視界が広がって、大きな新宮殿が見えてきた。


新宮殿  

 新宮殿の中を見学した後、係員から屋上へ上がる階段を案内された。1人づつしか通れないその細い階段を登っていくと、屋上は展望台のようになっていた。(上↑の写真の右上の、四角い建物の部分)

 壁面など痛みが激しいので、この展望台は観光客のために造られたのではなく、この宮殿建設と同時に造られたと思われる。
 宮殿を建てたフリードリッヒ大王も、ここに立って眺めたのかも知れない。

 美しい庭園と、その向こうにポツダムの街が見える。

 この旅で、既にいくつかの宮殿の内部や展示物を見学したが、どこの宮殿も(ドレスデン城のアウグスト強王の財宝類の馬鹿さ加減を例外として)、それぞれに特色もあって美しく、展示物もそれなりに素晴らしいものだ。ただ、率直に言えば、内容はどこも似たり寄ったり、それほど変わり映えがするわけではない。そもそも、宮殿の主である王侯の、その生活というものはどこも似たり寄ったりということなのかも知れない。 従って、あまり時間に余裕がない場合は、宮殿内部の見学は飛ばして、宮殿の建物自体を外からゆっくり観察するのもいいかも知れない。

 しかし、次に行ったツェツィーリエンホーフ宮殿は別だ。

 ここは1917年にドイツ皇太子のために建設されたもので、宮殿としては新しいものだし、また、戦時中の厳しい時代に建設されたので、宮殿としての華やかさはない。お金持ちの邸宅、というところか。
 ここが重要な意味をもつのは、第二次世界大戦の勝者アメリカ・イギリス・ソ連によって、戦後処理と日本の終戦について話し合われた、ポツダム会談が行われた場所となったからである。

 宮殿内の各部屋は、会談に参加したアメリカ・イギリス・ソ連の首脳が実際に使用した現場であり、宮殿内の展示も戦争の経緯の概略や戦後処理についての生々しい内容のものばかりだ。宮殿受付で借りた audio guide(日本語版もある) の解説内容も丁寧。

 audio guide を聞いていて、ある解説に私は思わず立ち止まった。日本への原爆投下に関する解説である。

新宮殿  

 「この会談から発したポツダム宣言で、日本に無条件降伏を求めて、それに従わない場合は、日本に対して壊滅的な打撃を与えると日本に通告したにもかかわらず、日本はそれを無視し戦争を継続したので、その結果が(通告通りに、壊滅的な)原爆投下となったのである」と。

 この問題に私は詳しいわけではないし、ここで素人の幼稚な意見を述べても意味がないが、ただ、日本で私がこれまで聞きなれていたことは、原爆投下は”アメリカの悪”であると、一方的にアメリカに責任を負わせる論理だった。

 ところが、ここで言われていることは違う。責任は日本にあるのだと。戦争を止めようとしなかった日本側の責任だと言っている。はっきりそう言っている。その予想外の解説に、私は思わず立ち止まったのだ。

 日本では、原爆投下問題については諸々の説があるようだが、私がよく聞く説にこんなのがある。
 「戦争終結が目に見えた段階になって、ソ連が南下して日本を占領することを恐れたアメリカ(大統領トルーマン)が、それを阻止するために、ソ連より先に日本への支配権を確保したかった。そこで、日本がポツダム宣言の受諾を決めてそれを連合国側に伝えようとしたにもかかわらず、それを妨害して、日本を実効支配するために原爆を投下したのだ」と。これは、まぎれもなく”アメリカの悪”説。
 それにしても、「日本がポツダム宣言の受諾を決めてそれを連合国側に伝えようとしたにもかかわらず、アメリカがそれを妨害」という事実について、その信憑性を証明できるのかどうか。証明できるとすれば、それを声高に訴えないのは何故か。

 それと関係のありそうな説でこんなのもある。「仮りに日本が、原爆投下という悲劇にあう前に無条件降伏したとすると、ソ連は南下して日本を占領しようとするし、アメリカもそれに対抗しようとする筈だ。そうなれば、東日本はソ連領、西日本はアメリカ領というような、ドイツ分裂と同じように、日本も東西分裂の悲劇に陥いることになったであろう」………そして、この論の続きは…「だから、アメリカが日本への支配権を確保するためには、原爆投下はいたしかたなかった。」となるのである。なんだか変な流れ……で、広島・長崎への原爆投下はしょうがないじゃないか、と言いたいわけ? 日本がドイツのような東西分裂というような悲劇的状況に落ちることに比べれば、原爆投下の方がマシだと? 難しいですね。この説には、私はひどく疑問を感じる。先ず、”日本がドイツのような東西分裂というような悲劇的状況に落ちるであろう”を前提にしている根拠は?? この説の背後に、日本人の生活を守るためには、原爆投下も仕方ないじゃないか、という自分勝手な論理を感じる。ドイツ人は東西分裂という悲劇的状況を超え、現在、力強く復興した。では、現在、日本は??

 私達と一緒に、同時に見学していたパックツアーの日本人グループがあって、その女性添乗員が解説する声が私達にもところどころ聴こえていたのだが、実はここで驚いたのは、その添乗員が「日本は東西分裂というとんでもない結果になるところだったのです!」と声を張り上げたのだ。
 私は知っているが、添乗員の解説は100%が添乗員個人の見解というわけではない。重要な(問題のありそうな)部分の解説については、(旅行)会社から「このように言え」と指示されることが多い。この添乗員のこの場合も、そうだったのだろうか。「だから原爆投下はしかたなかった」の部分をどう表現したのかは聴こえなかったが……そんな説明まではしなかったか。

 歴史的事実の解明は難しい。その事実の影響が今も続いていて、しかも、それぞれに利害関係をもつ場合は、途方もなく難しい。
 途方もなく難しい問題にずっと向き合い続けているということにおいて、問題の種類が違うとはいえ、ドイツも、日本も、同じかも知れない、なんてことを、私の耳に残る添乗員の張り上げた声から、考えた。ドイツに来てから、私は少し真面目になったような気がする。

 市街電車でベルリンに戻って、シャルロッテンブルグ宮殿の見物。その後、すぐ近くにあるベルググリュン美術館に行ってみたが、工事中で休館、残念。

 シャルロッテンブルグから宿に近い Wittenberg Platz まで市街電車で移動。もう夕刻で、大変混んでいる。空席が無かったので私が吊革をもって立っていると、座っていた若いカップルの男性が席を替ろうと言う(正確には、その仕草をした)。私は疲れているわけではなかったので「 No Thank You. No Thank You. 」と断りながらにっこりと笑顔を返した。
 老齢の婦人が乗り込んで来た時、立っていた若い男性(パパ)が、座っていた3,4歳位の女の子を立たせて席を空けて、その席を老齢の婦人に勧め、また、その婦人は当然のようにそこに座った。パパはその女の子を、やはり後ろの席に座っていたママ(らしい人)の膝に乗せた。なんでもないことだが、席を空けるために3,4歳位の女の子を座っている席から立たせる、というようなことが、日本では日常的に見られることかな、など思った。

 夕食は、昨晩と全く同じで、カーデーヴェーの最上階で買込み、ホテルに持ち込んで食べた。

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 ここでついでに、ドイツで実施されているビールの空缶のリサイクルについて

 ベルリンのスーパーマーケットのレジの近くで、ある客が変わったことをしているのに気付いた。レジの近くに自販機ほどの大きさの装置があり、その装置の前面に、人間の目ほどの高さに直径20p(測ったわけではないので正確ではない)位の穴が口を開けている。ある客が、その穴にビールの空缶を次々に入れて、数秒後に、その穴の横にある小さな口から出てきたレシートを抜き取って、立ち去ったのだ。
 どうやら、空缶のリサイクルのシステムのようである。
 翌日、ビールの空缶を持参して、私達もやってみた。始めは、空缶を穴に投入しても全く反応しなかったのだが、通りかかった男性が近寄ってきて指導してくれた。空缶に印字されているバーコードを上にして投入すると、装置がそれを読み取る仕組みなのだ。空缶はビールでなくても、そのバーコードが印刷されている空缶であればよい。
 空缶1個が25セントに計算され、レシートに合計額が印字されて出てくる。私達は空缶4個を入れたので、レシートには 1ユーロ と印字されていた。このレシートは金券として使える。1ユーロ と記されていれば、1ユーロとして使えるわけだ。だから、空缶4個のリサイクルで、缶ビールをあと1本購入できる。スーパーマーケットでは、缶ビールの価格は大体1ユーロである。
 勿論これは金券であるから、ビール以外で何でも買える。レジでこのレシートだけを差し出せば、現金化もできる。また、レシートの使用は、そのレシートを出力した装置のある店でなくても、どこでも可。そして、この装置は、食品売り場のあるスーパーやデパートのレジ近くに、大抵ある。
 これはベルリンだけのシステムではなく、ドイツ全土のシステムだ。この旅行中、これ以後、私達は飲んだビールの空缶は全部このリサイクルシステムで”お返し”し、当然、金券レシートは充分に利用した。
 何と素晴らしいシステム!
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 7月1日

 今日は、絵画館、旧ナショナル・ギャラリー Alte Nationalgalarie 等美術館の後、国会議事堂の見学に行く予定。

 絵画館へはバスで行った。絵画館は文化フォーラムというスマートな建物の中にある。
 ラファエロのマドンナ、ボッチチェリ、ブリューゲル etc.etc.etc. 私の幼稚な感想なぞ読んでも意味が無いだろうから書かないが、多くの名画がある。こんな名画が、こんなに近くで、いつでも、見られるのだ。ヨーロッパからは遠い日本との違いを、今更ながら感じる。

 次は旧ナショナル・ギャラリーへ。美術館が集まる博物館島にある。同じくここにある新博物館にも行きたいが、日曜休館。今日は日曜日なので、新博物館は明日にする。

 絵画館からバスで旧ナショナル・ギャラリーに移動。ガイドブックではバス停 Lustgarten で下車とあるので、バス内の行先案内表示を注視していたのだが、バスは Lustgarten より少し手前のバス停までは通ったが、それから先は行先案内通りではないバス停を通る。不安になって、人の多い賑やかなバス停で降りた。
 どうやら、今日は日曜日なのでコースの一部が歩行者天国となり、それで、バスのコースが変わるようだ。そういえば、ドライバーによる車内放送があったようだが、私達は聴き取れなかったのだ。

ベルリン大聖堂  

 

 それにしても、すごい混雑。
 日曜日だからだろうが、大勢の人・人。その中を、迷いながら博物館島を探し……

 ベルリン大聖堂のドームがすぐ目にはいり、それを目指して進んだ。

 旧ナショナル・ギャラリー周辺は工事中で進路が分かりにくかったが、なんとかたどり着いた。

 この美術館は18〜20世紀の比較的新しい時代の絵画コレクションを主としているが、ここのフランス印象派絵画を見ていると、パリに行ってフランス印象派絵画にどっぷり浸りたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。

ブランデンブルグ門

 ドイツ国会(正確にはドイツ連邦議会)議事堂の見学は午後9時からの予約。
 その前にブランデンブルグ門に行ってみた。
 ブランデンブルグ門の背後には、幕でコーナーが造られ、ブルーのライトで明るく照らされていて、若者達がその中に続々と入っていく。どうやら今、サッカーのヨーロッパ選手権の最中で、それに関係あるらしい。

 ブランデンブルグ門の前も大勢の人。

 広場の真ん中で、荷車に積まれたグランドピアノを弾いている人がいた。私達も立ち止まってしばらく聴いたが、これ、いつもしているのだろうか?
ドイツ連邦議会議事堂

 

 午後9時前には国会議事堂前に行った。

 さすが午後9時ともなると薄暗くなるが、
 議事堂は堂々たる姿。

 見学受付は、議事堂横のプレハブ建物で。

 パスポートチェック等を受けたら、エレベーターで屋上まで案内される。

ドイツ連邦議会議事堂

 

 屋上に出ると、ベルリン市街が見下ろせる広いテラスがあり、
 そのテラスにぐるりと囲まれてガラス張りの大きなドームがある。

 ドームの中は、壁面のガラス面に沿って細い通路がぐるりとめぐらされ、その通路がドームの半円形のガラス面に沿って螺旋状に、ゆるい勾配で上に伸びて、天井部分まで達している。
 その通路をゆっくり上がると、視界に、進むにつれて360度の、ベルリン市街の展望が広がる。

ドイツ連邦議会議事堂  

 しかし残念、もう夜10時近い。
 暗がりの中に、ベルリン市街がぼおっ〜と見える。
 写真右端の、ビルの横はベルリン大聖堂のドーム?

 昼間であれば、まるで違う景色に違いない。 

ドイツ連邦議会議事堂 ←写真の左右の上方に、螺旋状に曲る通路が少しだけ見える。

 その通路から眼を下に転じて、ドーム内を覗けば、国会の議場が直接に見えるようになっている。上からとはいえ、国会開会中であれば会議中の現場も見えるわけだ。
 開かれた議会政治をアピールして、このように設計されたそうだ。日本とは違うなあという感じ。

 ドームのフロア部分には、ドイツ国会の歴史…ナチス時代も含めて…に関する資料や写真が展示されている。

 7月1日

 今日は、ペルガモン博物館と、新博物館のネフェルティティを見に行く。

戦勝記念塔 ブランデンブルグ門
 

 ペルガモン博物館へはバスで。
 ベルリン市内のバスは大半が2階建てバスなので、2階の最前列に座ることができれば、ちょっとしたベルリン市内観光ができる。

 この日、運よく2階の最前列に座ることができた。

 朝のベルリン市内は気持ちいい。
 戦勝記念塔の、朝の光に金色に輝く女神像は、バスがその周りをぐるりと回るのでじっくり見られる。
 ブランデンブルグ門は、まだ観光客の姿が少ない。

ペルガモン博物館

 ペルガモン博物館のエントランスを入ると、巨大な「ゼウスの大祭壇」が目の前に聳えるようにしてある。

 中央の大きな階段を挟んで左右の壁面に帯をまくように埋めているのは全長100メートル以上ありそうな浮き彫り。ギリシャ神話の神々と巨人族との戦いを表わすものだそうだ。2千数百年前のペルガモンの大祭壇がそのままここに再構築されている。

 ゆっくり座って、全体をぐるりと眺めていると、自分が今、2千数百年前のペルガモンにいるような錯覚さえ覚えるようだ。
 この遺跡が何故ここベルリンにある?なんて意地悪く問うより、このような展示方法、保存方法も素晴らしいと思わざるをえない。

イシュタール門

 「イシュタール門」も素晴らしい。

 バビロニアの古都バビロンの門を飾っていた装飾が、「ゼウスの大祭壇」と同じく、ここにそのまま再構築されている。床から天井まで覆っている、牡牛やライオンが描かれている、青い地の彩釉煉瓦の壁面は美しい。

 高く大きな、青い美しい壁面を見上げていると、2500年以上昔のバビロニアの雰囲気を垣間見る思いがする。

 その奥に続く展示を見ていくと、時代が次第に古くなって、アッシリア時代の遺物等が並んでいる。ここの展示物の豊富さに感心などしていたが、解説をよく読むと「オリジナルは大英博物館にある」と書いてあるのに気付いた。え? これはオリジナルではない? では、これはコピー? おかしいと思った…そうなのか、そんなに沢山あるわけないよね、と妙に納得。
 多分、「ゼウスの大祭壇」や「イシュタール門」など、これだけ素晴らしい展示物をもっていると、つい色気が出てしまうのだ。解説や説明を充実させるために、古い時代のコピーを”参考”として付け加える、という”親切”をしてしまうのだ。
 私は、これは余計な親切だと思う。”オリジナル”を展示するだけで、ペルガモン博物館は充分過ぎるほど素晴らしい。

 この後、新博物館へ。エジプトの王妃ネフェルティティの胸像が有名。
 およそ3500年前の、途方もない古い時代からやって来た美女‥‥素晴らしい!
 どんなテレビ画面で見ても、どんな写真で見ても、オリジナルを見るのには遠く及ばない、というのは真実だ、ということがよく分かる。
 ”ベルリンの至宝”だそうである。納得! 素直に、来てよかった、と思った。


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