eoさんの旅ノート
ドイツの旅 2012年夏
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 2012年6月23日、KL868で関空発、アムステルダムからKL1771、定刻通り17時40分にフランクフルト着。

フランクフルト Frankfurt am Main

 6月23日 街をあるく

 空港に隣接する鉄道駅であるフランクフルト空港駅 Frankfurt Flughafen に着いた時はすでに午後7時。
 駅のインフォメーションで German Rail Pass の印字をしてもらった。
 German Rail Pass は1ヵ月間有効だが、1ヵ月間の内で10日間だけ使える。その10日は連続していなくもよい。使用ごとに日付けを記入するのだ。
 その1ヵ月間の使用開始日をここで印字してもらったのだ。開始日は今日でなく明日から。今日の鉄道利用は、ここフランクフルト空港駅から宿泊ホテルがあるフランクフルト中央駅 Frankfurt HauptBahnhof まで行くだけだから、今日の移動分を1日に計算するのはもったいない。
 したがって、今から使うフランクフルト空港駅から中央駅までの切符は自販機で買った。

 宿泊ホテルは Holiday inn Frankfurt city、フランクフルト中央駅のすぐそばにあるホテルである。

レーマー広場
 フランクフルト中央駅に着いた時点ですでに午後8時だったが、まだ充分に明るい。
 ガイドブックにあるように、カイザー通りを通ってレーマー広場へ行ってみた。

 まるで祭りのような賑わいだ。テントがいくつもたち、中央のテントでは楽団がロック等演奏し、それに合わせて踊っている人々もいる。
 何かのイベント?と思って、聞いてみようかとも思ったが(会話が通じれば、だが)、「イベントではない。いつもこうですよ。」と言われそうな、みんな自然な雰囲気だった。  アイスクリームをなめながら、そこらあたりを歩いてみた。
 少し裏手に入ると、人影はほとんどなくなる。パウルス教会の方に出てみると、高い塔がある。その塔をゆっくり見ていると、台座の部分に人が座っているのに気付いた。
座禅
 写真ではぼんやりとしか見えないが、男性が一人、台座にどっかりと座っているのである。(白い壁に立つ人影?ではない。台座に座る、頭と足だけが見える、ぼんやりとした人影の方である。分かるかなあ?) ツレアイが「オッサンが座禅してる。」と言ったが、本当に、座禅をしているような感じだ。顔はまっすぐ前を向いているが、特定の何かを見ている様子でもない。
 なんとなく、彼の視線の向く方を眺めてみると……そこには古い建物があり、その建物の柱が人物像となっている。建物の柱等に彫刻の人物像等を配するのはゴシック建築の特徴であるようだ。ドイツ国内での古い建築の多くに見られる。
  (写真では、右端にチラと見えている柱のようなものがその建物である。)

 その人物像は男性の裸体像である。裸体像…つまり全裸の人物像である。
 座禅?の男性がそれを見ていたというわけではない。ただ彼の視線がそちらの方向を向いていたというだけだ。彼は、特定の何かを見ているのでは決してなかった。  しかし、私は、その裸体像を、思わず、じっと見つめた。

 それは、見れば見るほど、みすぼらしい裸体像だった。
 こんなみすぼらしい彫刻像をなぜ人目にさらすのか、と言いたくなるが、それは訊かなくて想像できる。恐らく1700年代か1800年代に、その建物が建った時に、その裸体像は新築建物を支える柱として、新築建物と同じように新しく、美しく輝いて見えたに違いない。そして、時が経ち、建物は古くなり、その裸体像も古くなり、みすぼらしくなっていったのだ。

 私の目がその裸体像に留まったのは、それがあまりにみすぼらしいからだ。こんなにみすぼらしいものを……と思いながら、ふっと、これがヨーロッパ文化というものなのだ、と妙に胸に落ちるものを感じた。
 日本では普通、みすぼらしいか、みすぼらしくないか、古いか新しいかに関係なく、そもそも人間の裸体像が公衆の面前にさらされることはないが、ヨーロッパの少し古い都市では、戸外で、古い裸体像を見ることは珍しいことではない。
 ヨーロッパの文化はその多くの要素をギリシャを源流としているが、裸体像も、ギリシャから受け継いだ代表的なものだ。
 私はそのみすぼらしい裸体像を見ながら、ふ〜ん、ギリシャがここに残ってるんだあ、などと考えた。

 最近のユーロ危機は世界のニュースのトップを走るものだが、ユーロ危機の原因といわれるギリシャがEUから離脱かどうかをかけたギリシャの選挙が行われ、2012年6月、緊縮派が勝利、当面、ギリシャがEUから離脱という事態は避けられた。日本でも、これについて経済評論家等々がコメントを発しているが、そのうち、ある評論家が「最悪の選挙結果となった。」とコメントした。この評論家は、ギリシャを切り捨ててこそEUは再生できる、と言いたいのだと私は理解したが、今、この裸体像を見ながら、メルケル首相等EUの首脳がギリシャの選挙結果に胸をなで下ろしたというニュースが、なんとなく理解できるような気がした。何と言ってもギリシャはヨーロッパ文化の源流にあるものだ。切り捨てるなど、簡単にはできない。
 私もここでは、いっぱしの評論家のようなことを考えた。これが旅のいいところだ。旅では、日常の自分から容易に抜け出ることができる。

 6月24日 ライン川クルーズ

 今日は、マインツからコブレンツまで運行される乗合の観光船に乗ってライン川クルーズをする。
 クルーズ船には終点コブレンツまで乗るのではなく、ガイドブック等に「景色が良いのはそこまで」と書いてあるザンクト・ゴアルスハウゼンで降りる予定。 フランクフルト中央駅を朝7時25分発の列車で、マインツに7時58分に着いた。

マインツ Mainz

マインツ  観光船乗り場まで、街中をず〜っと歩いた。

 街中にデンと構えるのは活版印刷の発明者グーテンベルクの銅像。街の誇りであることがいかにもよく分かる、堂々たる銅像だ。

 大聖堂も見事。ガイドブックによれば、ここの大司教はドイツ皇帝の選挙権をもつ7人の選帝侯のトップの座を占める大きな権力をもっていたそう(要するに、エライ人だったということ)だが、さもありなん、と思わせる、実に堂々とした たたずまいだ。
 大聖堂を取り巻くように、食べ物の屋台etc.etc.がずらりと並んでいた。
 8時45分発の観光船に乗り込む。2階の外デッキでは、川側の手すりに沿った、テーブルとセットになった椅子席は、出発時には全部満席となった。デッキ中央には、折り畳み式椅子が積み上げてある。途中で大勢が乗ってくるのだろうな。
 予想通り、リューデスハイムで大勢の団体客が乗り込んできた。折り畳み式椅子は全部使われ、椅子の無い人は立っていた。だが、景色を見るのだから、立っていてもそれほど困るわけではない。日本人も多く、日本語が飛び交っていた。

 
ライン川クルーズ

ライン川クルーズ スライドショー   (写真25枚)

 古城やローレライも見られるし、川も美しいが、それだけでなく、川縁りの教会・住宅、そして、樹木や森の濃い緑、広大な葡萄畑など、見飽きない景観が続く。なかなか見ごたえのあるリバークルーズだった。

 団体客は全員、ザンクト・ゴアルスハウゼンで下船。
 予定では私達も下船するはずだったが、下船した大勢に混じりたくないことと、船から見る景観が予想以上に良いのでもう少し先まで見てみようという気持ちもあり、ここでは下船せずに残り、ボッパルト Boppard で下船した。

コッヘム Cochem

 ボッパルトから列車で、コブレンツで乗り換え、コッヘムまで行く。午後3時頃。ポツポツと雨が降り出した。
モーゼル川
 ライン川はコブレンツから分岐して、モーゼル川として南西方向に流れる。
 コッヘムの街中をぐるっと歩いてみた。 モーゼル川には瀟洒なクルーズ船が数艘。通りは観光客で溢れている。クルーズ船の客が、遠くに見える、ライヒスブルグ城を見物し、そしてマルクト広場で買物をして、クルーズ船に戻るのだろう。
 コッヘムからほぼ午後4時発の列車に乗り、再びコブレンツで乗り換え、フランクフルトに戻った。コッヘム⇔コブレンツ間、列車はモーゼル川に沿って走る。

 見上げるような位置に古城や岩山などが聳える、いわば景観の稜線が高い(こんな表現が適当かどうか知らないが)ライン川とは少し違って、景観の稜線が低く、平面的に広がるモーゼル川は、なんだか優しい感じがする。
 モーゼル川のクルーズも、是非乗ってみたいものだ。

 フランクフルト中央駅着が午後6時13分。小雨はずっと続いている。
 ここフランクフルトに限らず、ドイツの主要駅はどこでも、駅全体がフードセンターのようになっており、ソーセージ(Wurst)をじゅうじゅう焼いていたり、サンドウィッチの種類も豊富。コンビニまである。
 私達はここで、目の前で焼いていたソーセージと、酢漬けのニシンを挿んだサンドウィッチ、そしてドイツビールを買い、ホテルの部屋で食べた。ビールは日本のビールのような苦味がなくて飲みやすい。ソーセージとサンドウィッチも美味。今日は大満足。

リューベック Lübeck

 6月25日

 今日はICE(Intercity-Express)でリューベックに移動する。
 フランクフルト中央駅で ICE670 に乗り込み、空席を探す。混雑している上に、今空いていても予約席には座れないので焦ったが、なんとか空席を確保できたのでホッとした。
 ICEはもともと利用客が多いようだが、主要駅からは特に多く、座席を予約しておく客も多いようだ。半数以上が予約席を使うと思われる。だから、予約の無い場合、時によっては、空席を探すのが大変だ。
 予約席にはそれなりの表示がある。座席横の窓の壁面などに、例えば「Berlin-Dresden」の表示(電光だったり、紙札だったり)があれば、その座席はベルリンからドレスデンまで予約あり、の意味だ。だから、例えば、その列車がハンブルグからベルリンを経由してドレスデンに向かうICEであるとして、その人がハンブルグから乗ってベルリンで降りる予定であれば、その人はその座席を使ってもいいわけだ。
 Berlin や Dresden 等、外国人(勿論、ドイツ人ではない、の意味)にも名の知れた都市名ならいいが、全部の都市名(のドイツ語表記)を外国人が知っているわけではない。だから、外国人が予約席の表示を判断しながら空席を探すのは大変だ。混雑している場合(こういう場合が多い)等、特に。
 自分も予約しておけばいいじゃないか……確かに。 しかし、問題は、予約は座席の位置までは指定できないことだ。外国人の観光客(私達みたいに)は、折角の機会なので少しでも車窓からの景観を楽しめる席に座りたい。だが、予約席の場合、窓のない壁の横の席だったりする。だから、私達は予約しなかった。

 とにかく、フランクフルト中央駅から、7時25分発 ICE670 に乗り込んだ。今日も雨模様。この列車でハンブルグまで行き、乗り換えてリューベックに行く。
 発車してしばらくすると、列車が停まってしまった。車内アナウンスがあったけれど、私達には内容は分からない。が、周りの座席で苦笑が広がったようである。どんな内容だったのだろう。
 ハンブルグ中央駅には30分遅れで到着。リューベック行き列車への乗り換え時間に余裕があったので今回は問題なかったが、しかし、この旅行中、列車の遅れでイライラを何度か経験した。
ホテル
 午後1時48分、リューベック着。

 宿泊はラディソン・ブルー・セナトア・ホテル Radisson Blu Senator Hotel、私達の今回の旅では唯一の5つ星ホテル。
 ホテルの内庭に立つと、目の前の川の向うにリューベックの旧市街が。ホテルの立地は最高。

 ひょっとしたら降るかなというような曇天だが、
 荷物を部屋に置いて、早速、旧市街へ。


 ガイドブックによれば、

この都市はその正式名称をハンザ都市リューベック(Die Hansestadt Lübeck)というように、ハンザ同盟の盟主(代表格)として、13〜14世紀に繁栄した。ハンザ同盟とは、北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占して、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。その中心都市であったリューベック旧市街は、丸ごと、世界遺産となっている。

 旧市街を歩いてみれば、ここが独特の雰囲気をもつ街であることが感じられる。
 旧市街は、川と運河に周囲を囲まれた中の島にある。その島全体が旧市街である。全体は歩いて回れるほどの広さだが、そこに歩み入ると、古い昔、ヨーロッパ中世の頃のハンザ都市に歩み入ったような感じがある。
 言ってみれば、それほど見事に保存されているということだ。勿論、全体がそっくり昔のままではなく、現代の住居・商店・ホテル等と混在しているわけだが、旧と新が不思議なほど違和感無く存在している。
ホルステン門
 旧市街入口にあるホルステン門

 巨大な、堂々たる門だが、じっと見ていると、ちょっと傾いていて(巨大なものを、地盤の弱い地面の上に作ったものだがら、建築中に既に傾いたという)、ディズニーリゾートにありそうな とんがり帽子の塔 のようにも見えてくる。
 中はリューベックの歴史博物館になっている。リューベックやハンザ都市の説明の内容や展示方法等、よく出来た質の高い博物館である。
 門のまわりも、観光客で溢れている。
旧市街

 

 右が、重層なレンガ造りの市庁舎

 観光客用のテラス席等、景観として邪魔なようだが、  よく見ると、品よく?セットされていて、  旧市街の景観に妙に調和している感じ。


旧市街 旧市街
 いわゆる観光都市ならどこでも見られる、観光客相手の土産物屋が無い。
 商店は全部、地元住民相手のもののようだ。

  旧市街
 夕暮れの川辺。 リバークルーズ船が数艘。

 夕食は シッファーゲゼルシャフト「船員組合」へ。午後、街を歩いた際にこのレストランに寄って、午後8時で予約を入れた。予約する時、「 This Night 」と言うと「 Night はやってません。Evening ならやってる」と店員が言う。午後8時 は Evening であって Night ではないようだ。北ドイツでは夏は夜遅くまで明るいけれど、冬は 午後8時頃 は日が暮れて真っ暗の筈だが、それでも午後8時 は Night ではなくて Evening なのか。土地が違えば風習の違いなど珍しくはないが、軽くカルチャーショック。
 予約通り午後8時に行くと、店内はほぼ満員。
 何を注文してよいか分かっているわけではなので、ガイドブックに従って Tages Spezialitäten (おすすめ料理)を注文すると Sold Out 。もっと早い時間の予約にすれば良かったな。予約なしでもテーブルの空きも問題なかったようだ。
 ニシンの酢付けとタラのナントカ料理を注文。勿論、ビールも。
 ニシンの酢付けは美味しかったが、タラ料理は??? タラは蒸しただけのものだが全く味無し。日本では普通、タラ等魚類を蒸す場合、塩・酒等、何かの下味を付けるが、これには下味等全く付いてない。3種類のソースが添えられていたが、何を付けても不味いのでがっかり。

 6月26日

 今日は列車で、リューベックから足を延ばして、ヴィスマール、ロストック そして シュトラールズントへ行く。バルト海の海岸線に沿って北ドイツを北上することになる。1日で3都市を見物するので、各都市それぞれにあまり時間はとれない。

 ヴィスマール Wismar

 リューベック発8時2分、バート・クライネン Bad Kleinen 着8時55分、ここで乗り換え、9時1分発でヴィスマール着9時15分。

 ヴィスマール鉄道駅は街の中心から少し外れた場所にある。ザックを背負った学生風の若い女性が「 Where is the information center? 」と言いながらキョロキョロ周りを見回していた。案内板らしきものは何も無い。

ヴィスマール
 水路沿いの、静かな家並みを眺めながら、適当に見当を付けて行くと、広場に出た。マルクト広場、街の中心だ。
 水路沿いの家並みもそうだが、この広場に立って周りを眺めると、この街そのものがリューベックと似ていて、ハンザ都市の面影を濃く残していることがすぐ分かる。
 ここヴィスマールと(後で行く)シュトラールズントの旧市街が世界遺産であることはうなずける。そのようなものとして、つまり、保存すべきものとして、しっかりと保存されている街なのだ。

マルクト広場と給水塔

 ロストックへ行くために10時42分発の列車に乗る予定なので、あまりゆっくりはできない。

 マルクト広場から脇道へ入り、マリエン教会の方へ歩いた。
 散策路の途中に看板があった。それなりに目立つ程度の大きさの木製の看板。この周辺の建物や路の見取り図のようなものが描かれ、その見取り図にオーバーラップして、色を変えた線で枠が描かれていた。説明では、ナントカの(私には分からない)学校が嘗てそこ(枠内)にあった、と書いてあるようだ。
 最初、それ(ナントカの学校)をここに再建するという案内かと思ったが、そうでもなさそうだ。”嘗てここにあった”ことだけを案内しているようである。  ナントカの学校……ヨーロッパ人には、それだけで分かるのかも知れないが、それが嘗てここにあったということが大事なことなのか。……大事なことなんだろうな。だからわざわざ案内しているのだ。

 港の方に向かい、”水の門”等を見ながら鉄道駅に向かったが、その途中、他所では見たことのないものを見た。
ヴィスマール
 今にも壊れようとしているような古い家を木材や鉄骨を組んで、壊れないように支えている。その、どの家(古家)も、ハンザ同盟時代からあったような造りの家だが、だからといって美しい家というわけではない。いかにもボロ家が多い。”多い”というのは、それが1軒ではないからだ。数えはしなかったが、私が見ただけで4、5軒はあった。

写真はその現場。 大きな鉄骨が組まれ、それを支えるためのコンクリートブロックが何段も積まれている。このびっくりするほど大きな鉄骨は、勿論、そのむこうにある薄茶色の家の保存のためだけに組まれている。   ここまでやるか!

 大きな家の場合は、横に小さな看板があったりして、日本の建築現場に「〇〇建設施工」と書かれた小さな看板があるように、「この鉄骨は〇〇事務所が組み立てた」云々と書かれている。これを見ると、例えばその鉄骨は、一時的なものではなく、半永久的に据えられたもののようだ。とすると、このまま、この状態でずっと保存するのだろうか。時期がくれば(予算が豊富になれば)再建するつもりで、ということか。
 ここまでくると、この都市の、または、この国ドイツの、この文化を守ろうとする強い意志さえ感じられるようだ。

 ロストック Rostock

 10時42分ヴィスマール発の列車で、ロストック11時51分着。
 鉄道駅の地下に市電の駅があり、市街に出てほどなく地下鉄は路面に出て市街電車になる。私達は、地下鉄利用ではなく、駅からマルクト広場まで歩いた。

ロストック  

 様々な、渋い、しかし色とりどりの壁面をもった美しい建物が道路に沿って並んでいる。ゴシック様式のレンガ造りの重厚な建物がそれに混じる。その道路の中央を市電が走る。
 短時間の見物だったが、ロストックはとても瀟洒な街、の印象をもった。

   1時間強程度の短時間で、市庁舎etc.を見て、市街電車で鉄道駅に戻った。

 シュトラールズント Stralsund

 「ヴィスマールとシュトラールズントの旧市街」ということで世界遺産に指定されている、そのシュトラールズントである。ここでとれる時間は2時間弱。
 旧市街を目指して歩いて行く。予想外に観光客が多い。それほど広くはない通りは人で埋め尽くされている。その中を、私達も歩いた。
 世界遺産に指定されるだけあって、ハンザ同盟時代に建ったと思われる、レンガ造りの美しい重厚な建物が目につく。
 市庁舎に近づくと、工事用の幕が、幾つかの通りをまたぐほど広く張られている。私達通行人が通るのは、その工事用の幕の外側で、それに沿って進むことになる。
 その幕の通路側には、写真等がずらりと張られて展示されている。何枚もの写真が、第二次世界大戦での爆撃でこの街が破壊された当時の、散乱する瓦礫などの生々しい様子を見せている。そして、今ここでなされている作業は、破壊された後の発掘・整理であり、その後、再建・復元と作業が続くようだ。
 第二次世界大戦での爆撃で破壊された街や建物の復元はヨーロッバでは珍しくないが、そのほとんどは既に終わっている。ここでは、戦後70年経って今、この作業をしているのだ。ここが東ドイツだった時代には放置されていたのかも知れない。ドイツは統一され、そして今、再建の前に先ず発掘に取り掛かかろうとしているのだ。
 それにしても、第二次世界大戦での敗戦後の状況は、恐らく、ドイツも日本も似たような状況ではなかったのかと思うが、大戦での爆撃で破壊された街の当時の生々しい様子の写真は、現在の日本ではほとんど目に触れることはない。日本では、第二次世界大戦は遥か昔に終わったという感がある。
 ドイツでは、今でも、第二次世界大戦の後片付けをし、再建・復興に取り組んでいる。そして、多くの観光客が足を止めて、その関係する写真をじっくりと、熱心に見ている。

シュトラールズント

 

 港には、ハンザ同盟時代に建ったと思われるレンガ造りの建物
 ……倉庫や事務所eyc.……等が、
 現役?として堂々と立っている。
シュトラールズント

 

 

 港に立って眺めた市街も

 美しい。


 列車で、シュトラールズント16時発、ロストック16時55分着・17時発、バート・クライネン17時52分着・18時3分発、リューベックに18時55分着

 これまで、日本を発ってフランクフルトからドイツに入り、フランクフルト・ライン川を見た後は直ぐに北上して、リューベックを中心とするハンザ都市を見て、この旅も今日で3日目を過ぎたところで……私達は、2つの、大きな予想外 に直面していた。
 先ず1つは、北ドイツの寒さ。
 日本のガイドブックには、夏でも雨など降ると寒いので上着を1枚用意を、と書いてあったが、そんな程度の寒さではなかった。真冬のように寒かった、と言っても言い過ぎではない。街を歩く人々の服装も、まるで冬のものだ。私達はダウンもセーターも用意してなかったのを後悔した。用意していた中から少しでも暖かそうな衣類を何枚も重ね着して、その上に雨具代用のゴアテックスの上着を羽織った。それでも、時には、寒さに身体がガタガタと震えた。
 北ドイツと南ドイツでは、平均気温が10度は違うようだ。

 2つ目の予想外は、観光地には通常ある筈の”案内”が無いことだった。
 街の案内図とか、ある特定の観光ポイントへの道案内とか、そんなものは何もない。例えば、列車で観光都市に降り立ち駅前に出ても、案内板など全くない。だから、ガイドブック必携である。そうでなければ、適当に見当をつけて進むか、または、どこにあるか分からない、必ずしも目立つ場所にあるとは限らないインフォメーション・センターを探し回らなければならないことになる。


eoさんの旅ノート ドイツの旅 2012年夏
フランクフルト・リューベック ドレスデン ベルリン ニュルンベルグ ミュンヘン・帰り