ドイツの旅 2012年夏 |
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ドレスデン Dresden |
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今日は列車でドレスデンへ向かうが、列車好きのツレアイに付き合って、わざわざ遠回りして、リューベック→ニュルンベルグ→ドレスデン というコースで行く。
リューベック8時16分発のICE508号で出発、車窓には、草原といっていいような広い緑の景観が続くのでじっと眺めていて、ふと、列車がやたらゆっくりと走っているのに気づいた。景観がどうりでよく見える筈だ。のろのろと進んでいるのだ。ICE (Intercity-Express) 高速列車とは思えないスピード。
ニュルンベルグでの乗換え時間が14分しかないので気になる。これでは、予定の乗換え時間にはとても間に合わないだろう。慌てて持参のトマスクック時刻表を取り出して、乗換え可能な次の列車を調べる。
しばらく経って、列車はICEらしいスピードを取り戻した。いいぞ! 乗換えに間に合うかな、と期待したが、列車はあくまでICEの通常のスピードを守って走る。遅れを取り戻そうなんてことはしないみたい。
それでも、少しは頑張ってくれたか。乗換え予定列車出発のホンの数分前にニュルンベルグに到着。キャリーバッグ等の全荷物を抱えて(当たり前だが)……走って……なんとか、ドレスデン行きの列車が出発する間際に飛び乗った。やれやれ。
18時3分 ドレスデン中央駅着。 宿泊は ホテル・ヒルトン・ドレスデン Hilton Dresden、駅から歩いて数分。
ホテルにチャックインして、思わぬサービスが受けられるのを知った。
私達はデルタ航空のマイレージ・メンバーだが、最近、たまたまマイルが貯まって、エリートクラスになっている。 Hiltonホテルグループから(恐らく)そのマイレージ・のエリートクラス・メンバー宛にDMが届いた。申込みさえすれば、無条件に Hilton Honors Gold メンバーに迎えます、と。受けられるサービスは何でもありがたく受けようとばかりに、申し込んだ。
ここ Hilton Dresdenでは、そのHilton Honors Gold メンバーへの特典サービスがあり、その内容は、客室は Executive Floor に、他に、Executive Room でも無料の食事サービスが受けられる。朝食、午後3時からのアフタヌーンティー、午後6時から9時までは夕食前のドリンクを。午後9時以降はコーヒー等のサービス。
今は午後7時半頃。”夕食前”サービスの時間帯なのでExecutive Room に行ってみた。アルコールを含むドリンクは飲み放題、他に、サンドウィッチはじめ、トリの唐揚げ、スペアリブ等の軽食もある。空腹だったし、ありがたくいただいた。
サンドウィッチを食べ、サラダを食べ、トリの唐揚げを食べ、スペアリブを食べ、満足するまでビールを飲むと、私達には、他に”夕食”は要らない。ゴチソウサマ!
ホテルの近くの Information で Dresden City Card ファミリー 2日用を購入した。市内の電車とバスに乗り放題、更に、主要な美術館、博物館に無料入場できるチケットである。
外はまだ少し明るいので、歩いてみる。ドレスデン城もすぐそばだし、エルベ川も近い。
ドレスデン城はじめフラウエン(聖母)教会、ツヴィンガー宮殿など、バロック様式の壮麗な建築群が並ぶ。
ここが歴史的遺産に溢れた街であることがいやでも分かる。いや、これらの建物が建てられた時代…16世紀、17世紀のバロック時代…に、今、自分もいるのではないかと錯覚しそうなほどだ。
←夕暮れの川べりから街を見る。ドレスデン城とカトリック旧宮廷教会
6月28日
今日は、午前中はピルニッツ宮殿へ、午後は、ツヴィンガー宮殿とアルテ・マイスター絵画館、アルベルティーヌム Albertinumにあるノイエ・マイスター絵画館へ行く。つまり、午後は美術館巡り。
市街電車とバスを乗り継いでピルニッツ宮殿へ行く。
電車に乗るとすぐに、電車の天井近く、目に付く場所に行先案内の表示があるのに気付いた。次に停まる電停の名前が表示されている。「次には○○に停まります」というアナウンスが聴き取れなくても、その表示に気を付けていればいいわけだ。これは外国人にも親切。
電車からバスに乗り換えて、驚いた。今まで乗っていた電車と今乗ったバスの内部がまるで同じなのだ。バスも電車同様に、複数(普通、2〜3)車両連結。そして、窓・座席・乗降口は勿論、車両の連結部分も同じ。車内にある行先案内の表示もまるで同じ。多分違うのは、車外で見るしか分からない車輪だけだ。勿論、電車はレールの上を走り、バスは電車道以外の一般道も走る。それにしても、合理的に出来ているものだ、と感心。何と言っても、車輪だけ変えれば、電車にもバスにもなるのだから。
これはドレスデンの電車とバスに限らない。今回の私達の旅ではどこも同じだった。ただ例外として、旧式のバスが走っているところが一か所あった。
また、バス停も電停も全く同じ場所。運用会社はメンテナンスが少なくていいですね。
終点ピルニッツに着いて、私達がバスを降りると、こちらが訊いたわけでもないのに、「(宮殿は)あちらの方向ですよ」という感じで指さしてくれる人がいた。それも、別々に2人。親切な人たちだ。
広い庭園を歩いて行くと、宮殿が見えてきた。
美しく手入れされた庭園を囲んで、山の宮殿(美術工芸博物館)、水の宮殿、新宮殿(城博物館)がある。壮大な宮殿(群)だが、ドレスデン最盛期の王・アウグスト強王が愛人に贈った別荘だそうである。
山の宮殿(美術工芸博物館)、新宮殿(城博物館)の内部を見学した。
展示物については、陶磁器の好きな殿様だったのがよく分かる。マイセン磁器を育てた人物としては当然だろうが。
ところで、山の宮殿・新宮殿どちらもそうだったが、館内を歩いていて、動線にひどく無駄が多いのに気付いた。展示物を見ながら進んで行って、行き止まると、今来たコースをそのまま戻って次の見学コースに行き、また、行き止まって今来たコースをそのまま戻る、ということを繰り返す。
入館の際に貰った館内案内図を見ても、私達の進み方に問題があるのではない。館内の展示物の配置場所に問題があるのだ。もともとは宮殿であって美術館として建てられたものではないことからこうなってしまうのかな、とも思ってみたが、そればかりではない。
そもそも、館内に案内表示といえる物がまるで無いのだ。
新宮殿の内部を見学していると、係員が近づいてきて、英語で「キッチンを見ましたか?」と私達に聞いた。「 No 」と答えると、「見たいか?では案内しましょう」と私達の先にたち、館内をだいぶん歩き(どう歩いたか、私達には分からない)、階段を下りた地下にある”キッチン”に案内された。確かに、係員がわざわざ案内する価値はある、と言えるような、宴会のための食事を何度も用意したであろう立派な”キッチン”ではある。
館内案内図をよく見ると、確かにキッチンと書かれた箇所があるが、そこが見学ルートなのかどうかは、案内図からは読み取れないし、「”キッチン”はこちら」等の案内は全く無かった。そもそも、館内に案内表示は全く無い。
その後、エルべ川の方に歩いた。水の宮殿はエルべ川に向いた方に正面がある。
ゆっくり歩いて、対岸への渡し船に向い、対岸からバスに乗り、電車に乗り換えて、ドレスデンに戻った。
午後からは美術館巡り。ツヴィンガー宮殿とアルテ・マイスター絵画館、アルベルティーヌム Albertinumにあるノイエ・マイスター絵画館、そしてドレスデン城へ行く。
ツヴィンガー宮殿の庭園に入ると、観光客が大勢。
写真の正面中央からやや右寄りが「王冠の門」。王冠のカタチをそのまま模している。 ("王冠"のうしろに、たまたま、建物があり、"王冠"のカタチがちょっと見にくいかも知れない。)
アルテ・マイスター絵画館は王冠の門を正面に見る位置にある。
絵画館入口には、ラファエロの「システィーナのマドンナ」の大きな写真がデンと掲げてある。
展示内容は、美術評論家でもない私(言う必要もない、か)が言うのもおこがましいが、さすが!
ラファエロの「システィーナのマドンナ」は私は初めて見たが、ラファエロの最高傑作の1つと言われることに納得。
それにしても、しかし、絵画館入口に掲げられたあの写真は大き過ぎるんじゃないですか? ここはラファエロまたはルネッサンス期の絵画の専門館ではない。多様なジャンルの、それも逸品がずらりとある。ラファエロばかりがあんなに大きく扱われて、他の画家がちょっと気の毒。
気になることがあった。フェルメール等オランダ画家の作品が展示されているのは絵画館の端の室になるが、その室には外光が直接差し込む大きな窓がある。その窓には薄い生地のカーテンが掛けられているが、それでも、晴天の日(その日がそうだった)など、外光はカーテンを通過して室に差し込み、そして、その光は展示された作品群にまで達している。
目当てにしていたフェルメールが、明るい外光のために光ってひどく見にくいのだ。見にくいのがどうというよりも、これでは、フェルメールの絵が日焼けするのではあるまいか。
ピルニッツ宮殿で感じたことを、ここでも感じた。すなわち、動線の無駄な重複、もひとつ理解できない作品の配置、案内表示の乏しさ。
実は、この旅で、この同じことを、これから訪れた全ての美術館で感じることになったのだ。だから、余計なことかもしれないが、今後の人のためにアドバイスをしたい。
入館の際に、全体の見取り図を貰うはずだ。コースを歩き始める前に、その見取り図をじっくり眺めて、自分がどのように進むかを見取り図上でマークするなり思い描く等して、そして、Go! 動線の多少の重複は、何度も見ることができてラッキー と思って諦めること。
次に、ノイエ・マイスター絵画館へ行った。アルベルティーヌムの2〜3階にある。
アルテ・マイスター絵画館と比べて、展示作品の作成時期が少し新しいことが違うだけで、内容の素晴らしさは変わらない。
そろそろ午後3時。アフタヌーン・ティーをいただくためにホテルに戻る。歩いて数分。旅行では、便利な立地の宿はやっぱりいい。
その後、ドレスデン城へ。
ザクセン王家の財宝コレクションを見るわけだが、1階は予約が必要、2階は予約無しでOK。私達は予約していないので、2階に直行。「新しい緑の丸天井」といわれるところで、主として、アウグスト強王が集め、又は、作らせた財宝類が展示されている。
アウグスト強王は、驚異的な怪力の持ち主であったことから「強王」と呼ばれるが、正式には、ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世、ポーランド王としてはアウグスト2世である。芸術と建築に熱心な王で、優れた芸術作品の蒐集とバロック様式の宮殿の建設でドレスデンをヨーロッパの文化的中心にまでした、いわば、文化都市ドレスデンを作り上げた功績者である。
そのアウグスト強王の財宝コレクションだが、見ていて初めのうちは、物入れ等の道具類の細工の細かさ、その細かい部分に更に精緻な金銀細工などしてあるのに感心したりしていたが、実用品として使われた物は無いという audio guide の説明を聞いて、なるほど! そうだろうな、こんなに細かい細工がしてあるのでは実用品として使える筈がない。それにしても、では何故、こんなに精緻な金銀細工を? 訊くまでもないだろう。財力を?権力を? 見せつけるために、だろうなあ。
先へ進むと、今度は純然たる”おもちゃ”、つまり、どう説明しようと玩具であること以外には実用には役立たないもの。”ムガール帝国の宮廷の様子”が金銀ギラギラでまばゆいばかりに輝いている。恐らくこれは、アウグスト強王が自分で見て楽しむために作らせたのではなく、自分の権力・財力を誇示するために作らせたのであろうことは、容易に想像できる。ここまでくると、げんなりしてくる。実につまらない。
ここまでくると、本当に見せているのは、アウグスト強王の権力・財力ではなくて、彼の愚かさ、馬鹿さ加減だ、と思えてきた。
そもそも、アウグスト強王なる人物がどんな人物だったのか。
今朝、ピルニッツ宮殿を訪れた時、美しい庭園にちょっと場違いな、ブランコ台の枠のようなものが数台あるのを見た。子供が使うブランコ台にしては、ちょっと大きい。
新宮殿(城博物館)の展示の中にそのブランコ台の小さな模型があり、説明文がついていた。その説明文によると、そのブランコ台で卑猥な遊びが行われていたそうだ。ブランコ台の使用目的?よりも、説明文にそういう…アウグスト強王の恥部をさらすような…ことが記されていることが意外だったのでよく覚えている。
彼には、360人とも380人とも言われる数の実子があったそうだ。ガイドブックにはよく「女性に大モテだったアウグスト強王」と書いてあるが、実際は、そんなものではなくて、品の無い、 異常なほどのひどい 女たらし だったのだ。
ポーランド王の王位についたのも、結構な賄賂を使って手に入れたそうだ。しかもその時、ポーランド王はカトリックでなければならないことになっていたので、プロテスタントだったアウグスト強王は簡単にカトリックに改宗した、という、プロテスタント教会にとってはとんでもないオマケまで付いていた。プロテスタントのフラウエン(聖母)教会、カトリックのカトリック旧宮廷教会という宗派の違う教会が、ドレスデンの観光中心部で、近くに並んでいるのはそのためである。
ツヴィンガー宮殿の正式の入口は、王冠のカタチそのままの、金ぴかの「王冠の門」である。この門は、アウグスト強王がポーランド王となった時に凱旋門として建てられたものだという。凱旋門のカタチが”王冠”とは、まるで名誉欲丸出し?
だいぶん悪く言ったので、ここでせめてドレスデン城でいいところを……というわけでもないが、
”緑のダイヤモンド”は素晴らしかった。”ドレスデンの緑”といわれている宝石そうだ。また、オスマントルコ展示室の展示内容も見事だ。
ドレスデン城を出て、エルベ川の方に向かうと階段があり、階段を上がると芝生(草は少なく、ほとんど土壌のまま)になっていて、その川岸側がブリュールのテラスといわれる、舗装された散歩道となっている。
ブリュールのテラスに沿ってベンチがあるので、そこに腰掛けてエルベ川を眺めた。
これまで見たドイツの川はどこでもそうだったが、エルベ川も美しい。その美しいエルベ川の対岸はドレスデンの新市街だそうだ。ここからは、宮殿か美術館かなと思えるような重厚な建物のザクセン州庁が見える。
今日は疲れた。アルテ・マイスター絵画館、ノイエ・マイスター絵画館の2つの素晴らしい美術館をいれて5つの美術館を巡ったことになる。ひどく疲れた。美術館見学は1日に精々1か所が限度だね、とツレアイと意見一致。
エルベ川を眺めていて、ふと足下に、文字が書いてあるのに気付いた。「 Nur Alien 」の文字が読み取れる。何? Nur Alien (アーリア人だけ)? 立ち上がって、その文字を見た。
写真も撮らなかったし、メモもとらなかった。だから正確ではない。しかし、私のうろ覚えのドイツ語でも理解できるようなシンプルなドイツ語で、このような意味が書かれていた。
「 王の領域( たしか、Königsgebiet と表記されていた)
は アーリア人だけ(が入るのを許される)
1938年〇月、更に(地域を拡げて)1941年〇月、ユダヤ人はこの 王の領域 に入ることを禁止された 」
ベンチのある芝生とブリュールのテラスとの仕切りに 10cm 幅ほどのコンクリートがぐるりと張られている。その文字は、そのコンクリートにはめ込まれた金属板に書かれているのだ。金属板は、だから、コンクリートの幅とほぼ同じ、縦は10cm以内、横は30p位だったか。金属板とはいえ、はめ込まれて年月が経ったのだろう、土と同じ色で、決して目立つものではなかった。
文化の香り漂う世界を、突然、悪夢が襲いかかったような感じだ。
「アーリア人」というコトバは、恐ろしい話だが、ヒトラーやナチスが人種を選別するためによく使ったコトバである。本来、「アーリア人」とは、主としてインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する言語を話していた人々をいう、広い範囲の人々をさすコトバに過ぎないのだが、ナチスはこのコトバの意味をねじ曲げて使った。金髪・青い目・長身という身体的特徴を持つ人々を純粋な「アーリア人」としてドイツ人の理想とし、当然、ユダヤ人はそれから除外された。「 Nur Alien (アーリア人だけ)」 これはナチスがユダヤ人を排斥する時に使う常套語の一種だった。
”王の領域”とは何? 現在、観光文化都市として多くの観光客を集めている、バロック様式の宮殿等がひしめくように並ぶ、このドレスデン中心部。
”王の領域”で言っている”王”とは誰? アウグスト強王、あの女たらしのバカ殿様。
他者が入ることを禁止して純潔に?守ろうとしたものが、バカ殿様が作り上げた”領域”だったとは滑稽だ。滑稽というより、それを通り越して、悲しい。
それにしても、誰がこの文字を書いたのだろう? 誰がこの金属板をこのコンクリートにはめ込んだのだろう? この場所はいわば公道なので、個人ではないだろう。ドレスデン市か、ザクセン州か、またはドイツ国家か。 それが誰であれ、それは、大きな声でアピールするのでなく、ひっそりと、目立たない、しかし、過去の過ちをじっと見つめる言葉を、この美しい場所でコンクリートにはめ込んだのだ。
この後、対岸からこちら旧市街を眺めるために対岸に向かった。カルロ橋(Carlobrücke)を渡る電車に一駅だけ乗って対岸に渡る。
こちらはドレスデンの新市街になるが、既に午後8時。新市街を見に行く時間はない。
こちらからの旧市街の展望も素晴らしい。
フラウエン(聖母)教会、カトリック旧宮廷教会が並んで見える。
エルベ川クルーズの船も、今は、明日の運行開始まで停留。
6月29日
今日はドレスデンからベルリンへ向かうが、午後発の列車なので、午前中はドレスデンでゆっくりする。ツレアイはチケットを使って市街電車を乗りまくり。
ドレスデン城の外壁の「君主の行列」等をのんびり眺め、入るには予約が必要だという「歴史的緑の丸天井」の受付に行ってみた。受付には、予約無しでは直ぐに入るのは無理だが、〇時には何人、●時には何人と、予約無しで入れる人数が表記してあった。今は既に昼前で、午後1時にはベルリンへの列車に乗る予定の私達には入るのは時間的に無理だが、この感じであれば、朝、もっと早い時間に来れば入れた筈だ。ちょっと残念。
ドレスデン中央駅13時01分発で、まっすぐベルリンに向かうのではなく、少し遠回りになるが、バート・シャンダウ Bad Schandau へまわって行く。バート・シャンダウからはチェコのプラハから来るEC(EURO City ユーロ・シティ)に乗る予定である。
ドレスデンからバート・シャンダウまでは列車がエルベ川に沿って走る景勝路線。
また、バート・シャンダウはドレスデンを出るエルベ川クルーズの船の終点地で、美しい保養地だそうだ。
ザクセンのスイス といわれるところ。
バスタイ橋
写真右上のあたり、岩と岩の間に橋が 分かりますか
美しいエルベ川
バート・シャンダウには13時48分着
ここはチェコとの国境が近い。
バート・シャンダウ発14時17分、列車はチェコから来た、チェコの車両だ。
天井に絨毯が張ってある。網棚の部分も木製。
モダンなドイツの車両とは違って、なんとなく、クラシック
ベルリンまで、
何ということもないが、
心和むような田園風景が続いた。
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ドイツの旅 2012年夏 |
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