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私達の先の 北大西洋横断クルーズ 旅行で、夕食のレストランで隣席となったスイス人夫婦から「これまでに最も素晴らしかったクルーズはヴォルガ川クルーズ」と聞き、是非、ヴォルガ川クルーズに行ってみたいと思った。
で、ヴォルガ川クルーズについて調べ始めたが、いくつかの問題点に直ぐに気付いた。
ヴォルガ川クルーズで使われている船を個人予約するのはムツカシそうだ。何故なら、ほとんどがロシア語処理なので。私達にはロシア語は全く分からない。 旅行ビザを取るのも面倒そうだ。ロシア領事館?で何か訊かれてもどう答えたらいいのか、自信がないetc. 私達の先入観も少しキツイかもしれないが、それにしても、私達にはロシアは少し遠い国だった。
旅行ビザ等必要なものは、有料だとしても、パックツァーであれば用意してくれるはずだ。そこで、パックツァーを探すといくつかあったが、その中で「ワールド航空サービス」催行のものを選んだ。日程的に私達に合った、というほどの理由である。ヴォルガ川クルーズに関してはどのツアーも大差ないようだった。
「ヴォルガ川クルーズ」と称しているが、クルーズで航行するコースのうち、ヴォルガ川そのものはその1/5ほどで、モスクワから、ヴォルガ川を含むいくつかの川や湖を通過してサンクト・ペテルブルグまでゆく。 コースのうち1/5ほどとはいえ、ロシア人のヴォルガに対する感傷には深いものがあるそうで、ロシア人にとっても、このコースを「ヴォルガ川クルーズ」と呼んでも違和感はないようだ。
コースは左の地図の通り。
この地図では、下方のモスクワから上方のサンクト・ペテルブルグに向かって進むことになる。
●マークは 船が停泊する地点
マークは 水門
モスクワからバルト海(地図上方にある)までは160メートル以上の水位の差があり、このクルーズでも17の水門を通過する。
コブジャ川では、6つの水門が連なってある。
コースは、先ず、モスクワ運河を通ってヴォルガ川に入る。
ヴォルガ川をヤロスラブリまで進んで折り返し、次は、人造湖を通過し、シェスクナ川から白湖(ベロエ湖)を通ってオネガ湖へ。オネガ湖はヨーロッパで2番目に大きな湖。
ここはキジ島まで行って、折り返す。スヴィール川を通ってラドガ湖へ。ラドガ湖はヨーロッパ最大の湖である。
ネバ川に入ると、ほどなくサンクト・ペテルブルグに到着。
乗船する船 ショーロホフ号は全長129.1メートル、全幅16.7メートル、乗客定員260名。ヴォルガ川クルーズで使用されるロシアの客船としては極く一般的なタイプと思われる。
この地図は、旅行社ワールド航空サービスから提供された旅行関係資料にあった地図を利用したものである。
6月20日 モスクワ着
このツアー参加者は21名、日本人添乗員を入れると22名、更に、モスクワからサンクト・ペテルブルグまでずっと一緒だったロシア人ガイドを入れると23名のグループ。ツアー参加者のうち、関西空港発が10名、福岡空港発が21名で、航空機の乗換地ソウルで合流。私達は関西空港発で、ソウルで添乗員と初めて会った。
ソウルからモスクワまで9時間30分の空の旅。大韓航空利用。
モスクワ着後、直ぐにホテルに向かった。ホテルに着いたのが午後9時過ぎだったが、ここらあたりは白夜、まだ明かるい。
6月21日 セルギエフ・ポサード
モスクワ郊外にある「黄金の環」のひとつ、セルギエフ・ポサードへ。
ここはロシア正教の多くの寺院・修道院・学校.etc.が立ち並びトロイツェ・セルギエフ大修道院といわれる、ロシア正教最大の聖地である。
写真左の青い屋根の建物がセルギエフ・ポサードの中心的な寺院であるウスペンスキー大聖堂。
聖堂内部はさすがに美しい。正面、壁面を問わず聖堂内部全体に聖人像がびっしり。そして、それらの装飾に金箔が多用されている。
私達が日本や欧米で目にするキリスト教会、つまりカトリックやプロテスタント教会とは、その内部が明らかに違っているのが直ぐに分かる。ロシア正教の教会はこうなのか、と改めて思う。(こんなことも知らなかったのかと言われれば、そうです、としか言えないが)
これはこれなりに、荘厳である。
見物の人波に混ざってしばらく眺めていると、突然、美しい歌声が聞こえてきた。女性のコーラスで讃美歌。素晴らしく上手だ。
やけに私の耳の近くに聞こえると思って見回すと、なんと、わたしから1メートルほどしか離れていない、つまり、私のすぐ傍で、壁に沿って立つようにして、2人の女性が歌っているのだ。一見して分かるロシアの地元民。服装もほぼ普段着と思われる。
まるで、周りに誰もいないかのように、一心に歌っている。その歌声の美しさは、彼女達はこうして何度も繰り返し歌っていることを示している。
周りの観光客は全員、静かにそれを聞いていた。感動したような面持ちの人もいる。
ロシア正教の教会には、カトリックやプロテスタントの教会には必ずあるオルガン等の楽器…例えば、壮麗なパイプオルガンで有名だったり…は無い。人間の歌声だけで讃美歌が奏される。また、カトリックやプロテスタントの教会で、これもまた必ずある、祭壇を前にしてずらりと並ぶ座席、これもロシア正教会には無い。広い空間があるだけだ。ロシア正教では、誰でも、皇帝であろうと、全員ずっと立ったまま礼拝する。
このことを私はほとんど知らなかったが、仮に知っていたとしても、現場でそれを実際に見て、礼拝の方法がどんなに違っていても、それぞれに敬虔なのだ、という当たり前のことを今更ながら感じただろう。
「ウスペンスキー聖堂」と呼ばれる聖堂はここだけでなくロシア圏にいくつかあるようだが、ここセルギエフ・ポサードのウスペンスキー大聖堂は長期間の再建工事を終えて、最近この2014年?再オープンしたそうである。現在まだ工事中で足場が組まれた状態の建物も多くあるが、それでも、見るべき建物は多い。入場可能の建物に全部入場していると、1日では足りないだろう。
セルギエフ・ポサード内は非常に広いので、ツアーガイドに入場可能の主要な建物内を案内された後は、一旦解散して、各自で見たいところをゆっくり見て、決まった時間に決まった場所に集合することになった。しばらくして私が集合場所近くに戻った時には集合時間にはまだ少し時間があったので、鐘楼の前の広い石の階段に腰掛けて、昼近くになってますます増えた人波を眺めていた。
なんとなく眺めていてフト目に入ったのだが、私の直ぐ近く、やはり階段の一部で、親子…3,40歳台の母親と10歳前後の子(年齢はどうでもいいが)が、そこを通りかかったサラリーマン風の30歳台位の男性に、カメラのシャッター押しを頼んでいる様子。サラリーマン風…つまり、白いカッターシャツに黒っぽいズボン、そして黒いアタッシュケースをもっている。観光客も礼拝者もわんさといるこのセルギエフ・ポサードで、サラリーマン風の人間が歩いていること自体、場違いでもある。親子はそのサラリーマン?にシャッター押しをたまたま頼んだだけであって、その3人は家族(または連れ)ではない、と私が即断したのは、観光客風の服装のその親子とサラリーマン?では、服装の雰囲気がまるで違っているからだった。3人とも、ロシア人風。
そのサラリーマン?、アタッシュケースを足下の階段の途中に置いて、その親子をカメラのファインダーから覗き、そして、「もっとくっついて…首をちょっとかしげてみて…」等々、私にはコトバは分からないが、例えばこんな風に、しきりに細かい指示を出している。それを見ていて私は、いや、この3人、家族(または連れ)に違いないと考えた。何故なら、あんなに親見になって良い写真を撮ろうとしているのだから。
そのサラリーマン?、あそこに見える玉葱型の屋根を背景に入れた方が良い、と言い出したようである。3人は玉葱型の屋根が背景になる位置まで移動した。彼等が始めにいた位置からは10メートルほども離れている。ところで…、アタッシュケースは? アタッシュケースは、彼等3人から10メートルほども離れた場所に放置されている! この人混みの中で!
なんということを! 私は気にかかった。治安が良いといわれる日本でも、これでは危ない。
もし誰かがこの放置されたアタッシュケースに手をかけたら、「バッグーッ!」と私は大声で叫ばなければならぬであろうな、と心に決めた。
ほどなく、撮影は無事終わったようで、アタッシュケースも何事も無くサラリーマンの手に戻り、簡単な挨拶の後、親子とサラリーマン?は別れた。一旦は私は彼等が家族(または連れ)に違いないと考えたが、やはり、他人だったのだ。
なんでもない、ただこれだけのことであるが、妙に心に残っている。
そのサラリーマン?が一人で寺院を見上げているのを、後で見かけた。サラリーマン風の服装をした観光客がいたっておかしくはない。
集合して、近くのレストランで昼食。味はまずかった。まずかったので、メニューが何だったかも思い出せない。
この旅行では、今朝のホテルでの朝食を除いて、これが初めての食事なのだ。今後、このロシア旅行では食事はずっとまずいのだろうか、と不安になった。だが、幸いにも! まずいと感じたのはこの時だけだった。
今日からクルーズ船に乗船して、モスクワ滞在中もその船を宿にする。
私達を乗せたバスは1時間近くを走り、夕刻にクルーズ船に到着。
ベッドが2つ。片側の壁面がほぼ全面棚になっている。
大きな窓がある。
ベランダではないので窓の向うは通路だが、
窓が大きいので、川の風景がよく見える。
ベッドから入口のドア方向を見る。
白いボックスは冷蔵庫。
冷蔵庫の向うは洋服ダンス。その向こうには大きな鏡があるが、洋服ダンスがあるので写真には写っていない。
洗面所。赤とグレイのマットの(写真で)右側に便器がある。
ここを見た時、アレ? シャワーが無い、と思ったが、この赤とグレイのマットはシャワー用のマットであった。ここはシャワーブース兼洗面。すなわち、ここで洗面もし、シャワーも使うのです。
シャワーを使う時には、便器との仕切りにあるカーテンを引く。カーテンは大きく、ぐるりと回ってドア部分を覆い、洗面台にまで届く。 洗面台の真ん中にあるのが、蛇口兼シャワーヘッド。
ツアー案内に「シャワーあり」と書いてあったけれど、これ!?とちょっとがっかり。しかし、使ってみると、まあ、これもありかな、とも思った。
赤・グレイのマットの水はけの素晴らしさは驚くほど。シャワー使用の後、シャワーを使ったとは気付かないほど。だが、洗面台がある分だけシャワーブースとしてのスペースは小さい。シャワーを使う時、やはり洗面台が邪魔。窮屈の感は否めない。しかし、洗面台が邪魔な以外は、シャワーを使うことに支障はない。慣れれば、これでもいいのかも知れない。
なんとなく考えた。私達は贅沢に慣れきっているのではないか、と。
しかし、正直に言えば、もう一度このクルーズを利用するとすれば、次は、独立したシャワーブースをもつ船がいいな。
6月22日 モスクワ市内観光
今日の観光は盛り沢山。雀が丘、ノヴォデヴィッチ修道院、墓地、地下鉄の駅、トレチャコフ美術館、赤の広場。
観光客も礼拝者もそこそこいるのに
大都会にあるとは思えない静かな雰囲気。
地下鉄の駅を見て、その後は昼食。そして、トレチャコフ美術館へ。
有名美術館の例にもれず、大変な混み様。私達のツアーグループもその中に入っていく。
「自分達の見たいものをじっくり見れるように、最後の集合場所を確認して、途中でグループから抜けよう。」と、あらかじめ考えていた通りに、私達夫婦は途中からグループを抜けたのだが、気付いてみれば、私達はツアー客なので館内案内図も貰っていないし、館内の案内スタッフに訊こうとしても彼等はロシア語以外はわからないし…で、結局、目的の絵も見ず、早めにグループに戻った。
パックツアーで、一時的にでも団体行動とは別行動をとるつもりであれば、きっちりと計画的にやらなければダメですね。トレチャコフ美術館へ、いつかきっと、また来よう。
昼食はレストランでキエフ風カツレツ。
赤の広場。 この 赤 は、美しいという意味だそうである。
ジョン・リードのロシア革命のルポ『世界を揺るがした10日間』を大昔に読んだことがあるのを思い出した。
何十年も前、それを読んだ当時、私自身がこの広場に立つことがある等、夢にも思わなかった。
6月23日 モスクワ市内観光、出港
午前中はクレムリンの見学。
クレムリンとは宮殿という意味であるらしい。実際にはロシア政府が使っているので、宮殿部分は大半が政府関係の施設となっており、一般に公開されているのは教会とか武器庫ということになる。
ここのウスペンスキー大聖堂はロシア正教会の著名な大聖堂の一つ。
さすがに壮麗。
どの都市でも、寺院には常に多くの礼拝者があり、敬虔な雰囲気が満ちている。これを驚き…と言えばおかしいかもしれないが、一時代前までは社会主義国家だったとは思えない感じ。
夕刻近くには船に戻る。
夕食前には、私達日本人グループがバーに集合、船長や船の主なスタッフ達の紹介を兼ねて乾杯。
17時30分頃、出港。モスクワを出て次の停泊地ウグリチへ向かう。
ヴォルガ河クルーズについて「ロシアの原風景が見られます」と、このツアーの案内書に書いてあった。旅行前、それを友人に見せると、「原風景……要するに…何〜んにも無いってことだね」と彼は言った。言われてみると、そうかも知れない、と私は思った。しかし、「何〜んにも無い」は違っていた。 ヴォルガ河とか、ロシアに限らず、およそ地球上のどこかの「原風景」とは、そもそも、自然と人間の営みとがたっぷり感じられる風景のことをいうのだ。「何〜んにも無い」ことでは決してない。
実は、このホームページの主な目的は、その「原風景」を見ていただくことなのです。
クルーズしながらのんびり眺める気持ちで、絶景ではありませんが、「ロシアの原風景」をご覧下さい。
モスクワは緑に満ちている。
午後5時50分頃撮影
橋の下を通る。 まだモスクワ市街地。
午後5時55分頃撮影
まだモスクワ市街地。
ビルが林立している。高いビルは全部住宅。
いかに人口が多いか、よく分かる。
写真右下の白く見えるのは、川波。
岸に沿って川面に波が立つ。
船が進むにつれて
波も岸に沿って船についてくるのが面白い。
午後5時59分頃撮影
林の向うに寺院の屋根が見える。
これは何という寺院だろう。
午後6時11分頃撮影
最初の水門に向かう。
午後9時3分頃撮影
向うから船が来る。
多分、同じようなクルーズ船だ。
白夜なので、まだまだ明るいが、
さすがに水面に空の雲は映っていない。
午後9時55分頃撮影
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