eoさんの旅ノート
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ロシアの大河   ヴォルガ川クルーズ

 6月24日 ウグリチへ

 今日はモスクワを出てウグリチに向かう。

 夜中から早朝にかけてモスクワ運河を通過。ウグリチ貯水池を進む。 ここらあたりはボルガ川流域にはなるが、その一部を堰き止めて貯水池となっている。

 午前中、船内ではお土産講座……船内の売店に並ぶ土産品の紹介……があった。

 ウグリチに向けての、ロシアの原風景をスライドショーでご覧下さい。 絶景ではないけれど、眺めていると、それなりにいい景観です。
 船の外デッキのベンチに座ってのんびりと川の風景を眺めている気分でどうぞ。

川の景観 (6月24日午前中)    スライドショー      (写真29枚)
 
ウグリチへ

 釣り船を何度も見かけた。1人か2人乗りのボートで。 たまには、砂利などの運搬船も。
 いわゆる漁業船には、このクルーズの最後まで一度も出会わなかった。

ウグリチへ  

 ここにはカリャージンという町があったが、1940年のウグリチ貯水池の建設に伴い、カリャージンの町と共に修道院も水没したそうだ。カリャージンの町は高台に移設されたが、修道院はその鐘楼だけがダム湖の中の島に取り残されて残った。

 今は、この鐘楼はカリャージンのシンボルとなっているそうだ。

 わが船ショーロホフ号は、この鐘楼のすぐ近くを通った。

 それまでなんとなく怪しい天気にはなっていたが、一天にわかにかき曇り、続いて、どしゃぶりの雨。カリャージンの鐘楼も近くに見えているのに、霞んでみえた。

 船の料理は、
 朝食はビュッフェで、品数はそれほど多くはなかったが、私達が食べる量としては満足。まあ、内容もあんなものでしょう。
 ランチ、夕食はどちらもコース料理で、サラダ・スープ・メイン料理・デザート。メイン料理は肉だったり、魚だったり。
 サラダはシンプルなもので、トマトとキュウリだけとか。慣れるとシンプルなのも良い。スープはあっさりしたものが多かったが味は良かった。
 食事にはほぼ満足。いつも、食事時間は楽しみだった。
lunch lunch
 今日のランチの一部
 左はメイン料理。 饅頭風にまとめた肉を茄子のスライスで巻き、トマトソースを。  (料理名はメモしていない。残念)  写真にあるワインは有料です。

 右はデザート。 洋ナシのスライス。

ウグリチ水門

 

 午後3時半頃、ウグリチ水門を通過。
 カタチの美しい水門だ。

 水門のむこうから、クルーズ船がこちらに向かって来ている。

 ウグリチ到着は午後4時過ぎだった。普通であれば、もう夕方という時間だが、ここでは陽も高く、まるで昼間の感じ。

血の上の聖デミトリオス聖堂門

 

 港に接岸する船から、赤いレンガの壁に青いドームの教会がよく見える。

 「血の上の聖デミトリオス聖堂」といわれるこの聖堂は17世紀末に建てられたもので、ウグリチの歴史を象徴するものである。
 16世紀末、イワン雷帝の皇太子ドミトリーが8歳という若さでここウグリチで殺された。その結果、イワン雷帝の王家は断絶し、以後、ロシアは大混乱におちいった。血生臭い闘争・殺戮を経て、ロマノフ王朝が成立し、この王家はロシア革命で終焉するまで続いた。安定期に入ったロマノフ王朝は、ロシアの帝政を始めたとされるイワン雷帝の皇太子ドミトリーの死を悼んで、ドミトリーが死んだその場所に聖堂を建てたものである、だそうです。
 いわば、帝政のロシアに郷愁を抱く人にとっては、ここウグリチは見所の一つなのだろう。赤と青に彩られたドームの教会は、ヴォルガ川を北へ下る船から今もよく見える。

 船に戻ったのは午後8時半頃。
 これから、ヴォルガ川を少し南へ上ってヤロスラブリへむかう

 ウグリチを出てからの川の景観を見ていただきますが、写真5枚なので、 スライドショーではなく、縮小→拡大画像 にしました。よろしければ 画像をクリックして拡大画像をご覧下さい。
ウグリチから
午後9時4分 撮影
川の景観 (6月24日夜)

画像をクリックすると拡大画像が表示されます

ウグリチから
午後9時8分 撮影
ウグリチから
午後9時12分 撮影
ウグリチから
午後9時15分 撮影
ウグリチから
午後9時33分 撮影

 6月25日 ヤロスラブリ

 午前7時30分頃、ヤロスラブリに到着。
 ここヤロスラブリは、モスクワ郊外で観光したセルギエフ・ポサードもその一つに入る「黄金の環」に含まれる、ロシアの観光地の一つである。

 「黄金の環」とは、ロシア、モスクワ北東近郊にある、結構広い地域の都市群を総称したいい方。「黄金の環」に含まれるのは古い都市が多く、ロシアの歴史やキリスト教・ロシア正教会における精神文化、芸術、建築などにおける源流が形成された地域、と見られているそうである。
 「黄金の環」が観光地として宣伝されるようになったのはソ連時代からのようだが、ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められているようだ。

 12世紀から18世紀の間、この地域は地理的にモンゴルに近いこともあって、モンゴルと対決することにより実力を着けたロシアの豪族達が栄華を誇り、クレムリン(城塞)、修道院、大聖堂、教会などロシアの都市に特徴的な都市自体が、野外建築博物館とも言えるような”文化圏”を作り上げた、そうである。 この間、ロシアの中央モスクワでは、イワン雷帝が各地を征服して中央集権体制を作り上げつつあった。
 (ここらあたりの説明は Wikipediaを参照した)
 いわば、ロシアの歴史のふるさとの一つでもある地域である。

前駆受洗イオアン大聖堂 前駆受洗イオアン大聖堂 前駆受洗イオアン大聖堂
前駆受洗イオアン大聖堂 救世主修道院の救世主顕栄聖堂 預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)

 どの寺院も壁面がイコン画やフレスコ画でびっしり埋まっていて、、私がこれまで見てきた教会とは一味も二味も違う雰囲気だ。じっと眺めていると、画に描かれた聖人達からもこちらがじっと見られているようで、妙な気持になる。いやいや、敬虔な気持ちになる、と言うべきなのか。
 教会の一角で、男性コーラスによる聖歌と民謡を聴いた。CD類を販売しているが、寺院の維持費捻出のためだろう。それにしても、プロ級の歌唱力。聴き惚れた。
 この後の寄港地ゴリツィーでも寺院内で男性コーラスを聴いたが、やはり歌唱力はプロ級。楽器は使わず、人間の歌声だけで讃美歌が奏されるロシア正教では、信者の内にそれを担当する人々があるのかも知れない。常に練習しているからプロ級なのだ。こう思ってしまいたくなるような、歌声の素晴らしさ。

 ヤロスラブリはヴォルガ川と(ロシア東部から流れてくる)コトロスリ川との合流点にあり、工業都市としても知られている。

合流点  

 左がヴォルガ川
  右がコトロスリ川
   (全長120km)

lunch

ヤロスラブリの観光は午前中で終わり。
昼食前にはヤロスラブリを出港。

今日、船では「ロシア料理の日」。

昼食のメインはバリョニキ。マッシュポテトの餃子のような。
美味しかった。


ヤロスラブリを出てから午後、のロシアの原風景をスライドショーでご覧下さい。

川の景観 (6月25日午後)    スライドショー      (写真23枚)
 
ヤロスラブリを出て

合流点

今日は「ロシア料理の日」で、

午後4時頃からはレストランでロシアンティーがふるまわれ、
船のスタッフもロシアの民族衣装を着て給仕してくれた。

 ここからはゴリツィーへ向かう。

ゴリツィーへ  外デッキに出て景観を眺めていると、立派な?教会が見えた。街も。
 リビンスクという都市、教会はスパソ・プレオブラジェンスキー教会。

   午後4時過ぎ撮影

ゴリツィーへ  

 

  川の景観

  午後4時29分撮影

ゴリツィーへ  

 

リビンスク水門

午後4時59分撮影

 夕食前の2時間ほど、日本人グループ全員がバーに集まって歌の練習。
 6月28日、サンクトペテルブルグ到着の前夜、言い換えれば、リバークルーズの最後の日に、乗客全員がサロンに集まって、”歌”を中心にした交流会があるのだ。
 乗客全員がサロンに集まると言っても、300人近い人が一堂に入れるほどサロンは広くない。参加者はドイツ人全員の半分もあるかどうかだが、日本人は少ないので全員参加。
 日本人の歌の曲名は「百万本のバラ」「「しあわせなら手をたたこう」そして「ふるさと」。「百万本のバラ」は、船のスタッフが特にこれを希望したそうだ。日本では加藤登紀子が歌ったこの歌、ロシアでは結構有名のようである。

 ところで……
 この船ショーロホフ号の客室は全て満室。定員いっぱいのほぼ250人が乗っている、のだが、私達日本人のツアーグループ客22人以外は、すべてドイツ人である。
 そのドイツ人客全部が一つのツアーグループのようだが、多人数なので、中でいくつかのグループに分けられているようではある。
 実は、今回、この船は、そのドイツ人のツアーグループのチャーター船なのだが、22人分ほどの空きがあったので、そこに私達日本人のツアーグループを入れたようなのである。
 なるほどね、という感じ。ドイツ人客の全部が、みように統制がとれているようにみえる。
 それにしても、ここロシアにドイツ人観光客が多いような気がするのは、私の思い過ぎか。
 例えば、この船ショーロホフ号の船内にある各種案内、掲示物等の表示に使われている言語はロシア語とドイツ語が併記されているのである。客室の中にある各種案内も同じ。エアコンの使用法etc.もロシア語とドイツ語の併記である。
 今回のクルーズ、もともとドイツ人のツアーグループのチャーター船であるとしても、掲示されている各種案内は、壁にはめ込まれたプラスチック?板なのである。今回だけに用意されたものである筈はない。
 仮に、そもそもこの船がドイツ人観光客用に用意されたものだとしても、それでも、そのこと自体、すごい! ドイツ人観光客がそんなに多いとは。
 ロシアとドイツは、そんなに交流が深いのか……

ゴリツィーへ  

 白夜の世界でも、夕陽は照らす。
 これはこれで美しい。

 午後10時22分撮影

         
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