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永代納骨墓があります

墓

 現在私たちが暮らす社会は、人口の都市一極化や少子高齢化が進み、日常の生活においても様々な変化への対応を迫られています。

 特に近年は、家やお墓の後継者がいないという話が多く聞かれるようになってまいりました。

 殊にお墓は私たちの先祖が代々引き継ぎ大切に護ってこられたものでもありますが、後継者がいないことによって「墓じまい」をするという苦渋の決断をされる方もいらっしゃいます。「墓じまい」をした後、大切な遺骨を埋葬する場所がほしい、近くに手を合わせる場所がほしい等の声も聞かれるようになってまいりました。
大光寺におきましては、そういった方々の悩みに応えるべく、境内地東側に永代にわたって遺骨を埋葬できる永代納骨墓を建立いたしました。

 

年中行事

報恩講

親鸞聖人報恩講

親鸞聖人は、承安3(1173)年5月21日、京都の日野の里でお生まれになり、9歳で出家得度(仏門に入り僧となること)されました。
 比叡山で20年間修業をされましたが、迷いや苦悩から逃れることができなかったため、山を下り、六角堂での救世観音の夢告により法然聖人の門弟となられました。35歳の時、専修念仏停止によって越後に流罪となり、39歳で赦免の後、妻・恵信さまや家族とともに関東に移り、約20年間布教を行われました。
 1224(元仁元)年に主著『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』を著されました。その後、京都にお戻りになり、三帖和讃をはじめ様々な執筆活動を行われ、1263年1月16日(弘長2年11月28日)に90歳でご往生なされました。
 報恩講は真実のみ教えをお示しくださった親鸞聖人に感謝し、阿弥陀様のお救いをあらためて心に深く味わわせていただく、1年で、もっとも大切な法要です。

降誕会

親鸞聖人降誕会

 親鸞聖人は、承安3(1173)年5月21日、京都の日野の里でお生まれになりました。
本願寺では明治7年(1875)より、この日を「降誕会(ごうたんえ)」と名づけ、ご本山である西本願寺を始め、一般寺院においても大なり小なり、親鸞聖人のご誕生をお祝いする法要や行事が行われます。
 親鸞聖人の父は藤原家の流れをくむ日野有範(ありのり)、母は吉光女(きっこうにょ)と伝わっています。
 幼くしてご両親を亡くされ、わずか9歳の時、青蓮院で出家得度された後、二十年間にわたって比叡山で仏道修行を積まれました。
 しかし、厳しい修行を積めば積むほど、自己のあさましい姿に気づき、悩まれ、ついには29歳の時、比叡山を下りて吉水(よしみず)の法然上人のもとを訪ね、その門弟となりました。法然上人のお導きにより「阿弥陀如来のご本願」に出遇われ、その救いを信じて生きる「念仏の道」に入られます。
 その後、1207年念仏弾圧によって越後に流罪になられた後、その土地で恵信尼さまと結ばれたといわれています。42歳の時、越後からに関東へ移られ、20年間にわたって常陸(茨城県)を中心に念仏を広められる傍ら、『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)を著されます。
 そうして62,3歳の頃、京都へ戻られて後は、教行信証の添削をされるとともに、三帖和讃をはじめ数多くの書物をご執筆になり弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日)、親鸞聖人は90歳で往生されたのでした。
 『降誕会』(ごうたんえ)はその聖人のご誕生をお祝いし、その「み教え」との出遇いに感謝するご縁です。

ご縁

各種法要

 大光寺ではその他、元旦会・春秋彼岸会、盂蘭盆会等を年間恒例の法要としてお勤めしています。

 また、それぞれのご要望に応じて、葬儀・法事・初参式・七五三等も承っています。詳しくはご相談ください。

アクセス

  • 住所 〒649-7202 和歌山県橋本市高野口町伏原1179 ℡0736-42-3055
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  • ・電車の場合
  •  南海高野線学文路駅を出て、北へ徒歩約20分
  •  南海高野線橋本駅からはタクシーで約20分 ※タクシー利用の場合は「伏原の大光寺」とお伝えください。
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  • ・自動車の場合
  •  京奈和道高野口ICから東へ約4㎞   京奈和道橋本ICから西へ約4㎞
  •  国道24号線Joshinのある信号を南へ、突き当りが大光寺です。駐車場完備。
  • ※わからなければお気軽にお電話ください。