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「イエスの宣教」

 

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。それから、"霊"はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、 天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

マルコによる福音書1章9節〜15節

 

 イエスは、ガリラヤからヨハネのもとに来て「罪の赦しの洗礼」を受けられました。なぜ罪なき神の子に「罪の赦しの洗礼」が必要だったのでしょうか。マタイもルカもイエスが洗礼を受けられた事を描くのに躊躇している節があります。彼らにとってもイエスの洗礼は大きな驚きと不思議であったのです。主は水から上がった後、聖霊がご自分に降って来られるのを見られました。そして天から声がしたのです。「あなたは、私の愛する子、私の心に適う者」。罪のないイエスが、罪ある私たちと共に歩みだされたのです。そこに神の御心があります。イエスの宣教は罪ある私たちの友となられる所から始まります。いつも私たちと共にいて下さる主。貧しい時も。悲しい時も。そして病の時も。イエスさまが遠い。主が遠い。共におられるイエスを見失い主の愛から離れるのはいつも私たちの方からです。世を煩い主に自分をゆだねない私たち人間の方からなのです。「わたしに思い患いの全てをゆだねなさい」と主はいつも語っておられます。共に罪びとの仲間となられたイエスだからこそです。十字架の最後まで、自分をののしる者の救いを祈られた主イエス。天から聞こえた「私の心に適う者である」との神の声は、そのようなイエスの中に実現したのです。

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