本願寺唐門

所在地 京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町 種別 寺院(浄土真宗本願寺派)
構造形式 四脚門、前後唐破風造、側面入母屋、檜皮葺
時代区分 桃山 年代 桃山
指定年月日 1953.03.31 所有者 本願寺
浄土真宗の開祖・親鸞が葬られた京都東山の大谷に、文永9年(1272)、御廟が建立され、大谷廟堂と呼んだのが、本願寺の始まり。
大谷廟堂は寛正6年(1465)、比叡山の僧に破却され、山科に移して堂舎を建立する。この山科本願寺も天文元年(1532)に焼失。本願寺は摂津大坂に移り、石山本願寺となる。石山本願寺は、元亀元年(1570)、織田信長に攻められる。以後10年間に亘って、門主・顕如は石山合戦を戦うが、天正8年(1580)、石山の地を明け渡す。以後、寺地を転々とするが、天正19年(1591)、豊臣秀吉から現在の地を寄進され、京都に本願寺が再建される。
一方、顕如の死後、門主を弟の准如に譲った教如は、慶長7年(1602)、徳川家康から土地を寄進され、新たに寺を造営する。これが東本願寺であり、従来の本願寺は西本願寺と称されるようになる。
西本願寺の広大な境内には、国重要文化財の巨大な御影堂と阿弥陀堂が左右に並んで威風をはなっている。また国宝建築物として、飛雲閣(非公開)、北能舞台書院、黒書院及び伝廊がある。
唐門は、境内の南の北小路に面して建っている。対面所、白書院への正門である。この門は、御影堂前にあった御影堂門を元和4年(1618)に移築したものとされる。ただし、豪華な装飾は後に補われたものであり、現在の姿になったのは書院が改造された寛永10年(1633)頃とされている。


唐門とは、唐破風を付けた門のこと。
両側面を入母屋にした屋根の前後に、大振りな唐破風が大きな曲線を描いている。
門の前後の四隅に柱を立てる四脚門である。
唐破風の先端の下側に設けられる懸魚を、兎毛通という。
彫刻で豪華に装飾されており、龍、獅子、麒麟など想像上の動物や、中国の故事などが、透かし彫りにされている。


内      側


彫刻を見ていると日が暮れるのを忘れるほど、ということから「日暮門」と呼ばれる。

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