横山城

 所 在 地   滋賀県長浜市堀部町・石田町  別 名   
 遺 構   曲輪・土塁・堀切・井戸  形 式   山城(標高312m)
 築 城 者   浅井長政  築 城 年   永禄4年(1561)
 歴  史  横山城は、横山丘陵の頂上部付近に築かれている。城の起源は明らかでないが、当初は、京極氏の支城の一つ。永正14年(1517)に浅井亮政により攻略され、浅井氏の南進の拠点として、永禄4年(1561)に浅井長政により、本格的に築城された。
元亀元年(1570)に、浅井長政が織田信長から離反すると、織田信長は近江に侵攻し、長比城上平寺城を落とし、横山城を包囲した。これに対して浅井・朝倉連合軍は小谷城を出て、織田・徳川連合軍と対峙し、姉川の合戦となる。合戦は織田側の勝利に終る。横山城は、木下秀吉、柴田勝家などにより攻撃され、城将の大野木土佐守は開城して逃亡した。
横山城は、木下秀吉が城番として入って、織田軍の浅井氏攻撃の拠点となる。
天正元年(1573)に小谷城が落城すると、横山城は役目を終えたが、天正11年(1583)の賤ケ嶽の戦いに際して、横山城は改修して使用されたともいわれる。少なくともその後は、廃された。
歴 代 城 主 京極氏、浅井氏、木下秀吉


山頂の曲輪  奥の山は伊吹山 小谷城のある小谷山(右)と、虎御前砦が築かれた虎御前山(左の小さい山)


横山城の遺構は、横山丘陵の山頂を中心に、尾根伝いに、北、南西、南東の三方に広がっている。最高所を中心として北と南西の曲輪群からなる城郭と、南東の曲輪群からなる城郭の、いわゆる別城一郭の構造である。南西の曲輪群の曲輪間に、二重堀切が明瞭に残されている。また南東の曲輪群の主郭には、井戸が残っている。


南西の曲輪群の主郭 南西の曲輪群に設けられた二重堀切の一つの堀切


<アクセス>
国道8号線の八幡東の交差点を東に折れ、県道509号線に沿って約5km進むと、トンネルの手前に石田山公園の駐車場(約10台駐車可能)がある。この駐車場の階段から、山に入る。道はハイキングコースになっているが、それなりにきつい道ではある。約30分歩くと、見晴らしの良い山頂の曲輪に到達する。石田町の日吉神社からも登ることができる。石田町は石田三成の出身地。(2010.04.18)


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