三田村氏館

 所 在 地   滋賀県長浜市三田町  別 名   
 遺 構   土塁 堀 曲輪  形 式   館
 築 城 者   三田村氏  築 城 年   13〜14世紀
 歴 史  三田村氏は、姉川北岸で勢力を持った在地土豪である。京極氏の被官として、近江守護となった京極高清に仕えた。
その後、浅井氏の台頭に伴って、浅井氏に従った。小谷城の清水谷に三田村氏屋敷跡が残っている。最後の当主の三田村左衛門は、姉川の合戦の折には、横山城を守っていたが、織田軍の侵攻により、小谷城へ退却して立て籠もった。天正元年(1573)に小谷城が落城した際に、羽柴秀吉に降ったが、織田信長に許されず、処刑されたという。三田村氏館は、以後廃城となった。
三田村氏館は、姉川の戦いの際に、朝倉景健の本陣が置かれたといわれる。
歴 代 城 主 三田村氏


西面の土塁と空堀


湖北地方には、中世の在地土豪の平地居館が多く存在したことが知られているが、平地に立地するので、開発による町化に伴って殆ど姿を消している。三田村氏館は、良好な状態で残存している貴重な遺構。
ほぼ60m四方の土塁に囲まれた居館であり、土塁は高さ2〜3m、幅5m。北の土塁の一部は消えているが、東・西と南は良好に残っている。


南面の土塁(右)と東面の土塁(左奥) 曲輪内 伝正寺の境内となっている


<アクセス>
三田村氏館は、長浜市の三田町の集落の中にある。国道365号線の野村橋北詰交差点を西に折れ、約800mの三叉路を三田町の集落内へと北に入る。約300mで三田村氏館の案内板のある虎口に到達する。集落内に駐車できないので、その周囲の県道脇に車を置くしかない。(2010.04.18)


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