和田城

 所 在 地   滋賀県甲賀市甲賀町和田  別 名    ―
 遺 構   曲輪、土塁、堀切  形 式   平山城
 築 城 者   和田惟政  築城年   永禄年間(1558-70)?
 歴  史  和田城を居城とする和田氏は、源満政を祖とする甲賀郡中惣の一員である。応仁年間(1467-69)に和田左京太夫が砦を築いたという記録があるが、和田城がそれかどうかは不明。
和田氏18代の和田惟政が、和田城を築いたと考えられている。和田惟政は、佐々木六角氏の家臣であるが、その縁で13代将軍足利義輝の供衆となる。その義輝が松永久秀に弑逆されると、出家していた弟の一乗院覚慶を甲賀に匿った。
後に、覚慶改め足利義昭が織田信長に奉じられて上洛し、15代の室町将軍に就任する際には、和田惟政は織田信長に従い、足利義昭に属した。そして織田信長に重用され、雄琴城主、さらに摂津半国を与えられ、芥川城主、次いで高槻城主となった。以後の和田城の存廃については不明。
しかし、足利義昭が織田信長と対立して、元亀4年(1573)に兵を挙げると、和田惟政はそれに従い、結局敗れて、処刑された。
歴 代 城 主 和田氏


和田城全景

丘陵頂部に土塁をめぐらす単郭構造である。
甲賀町教育委員会の案内板によれば、最高部に平台があり、天守台の存在が想定されるとある。物見程度の櫓ならまだしも、天守台というのは疑問。


案内板の横から急な斜面を這い上がることによって、城域に入ることができるが、あまり手入れがされていない荒れ山であるので、歩き回るのは難しい。しかし、土塁や堀切を明確に見ることができる。
土塁の跡 土塁の跡
堀切または虎口の跡 堀切または虎口の跡


和田城は、和田川に突き出た独立丘陵の上に築かれている。和田城の近くには、その支城として、和田支城T、和田支城U、和田支V、棚田城がある。和田城を本丸とすると、他の支城が二の丸、三の丸などとして機能したのではないかと考えられている。

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