高松城

所  在  地  香川県高松市玉藻町玉藻公園 別  名  玉藻城
遺  構  堀 石垣 櫓 曲輪 形  式  平城(海城)
築  城  者  生駒親正 築  城  年  天正18年(1590)
歴 史 高松城は、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正15年(1587)に築城を開始し、天正18年に完成した。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役では、生駒親正は嫡男の一正を東軍に参加させ、所領を安堵される。寛永17年(1640)、4代目の生駒高俊のとき、家中の乱れにより、出羽八島に移封される。
寛永19年(1642)、松平頼重が東讃岐を与えられ、常陸下館より入城する。頼重は、水戸の徳川光圀の弟であり、頼重のときに、城は大幅に整備される。
寛文11年(1671)、北の丸と東の丸が増築される。延宝5年(1677)、東の丸の艮櫓が完成し、修築事業は完成。
慶応4年(1868)の戊辰の役には幕府軍に加わるが、その後、恭順して許される。
歴代城主 生駒氏4代(17.1万石)、松平氏11代(12万石)


左から、月見櫓、水ノ手門、続き櫓。これらは重要文化財。


高松城は、北側を海とし、残りの三方の濠に海水を引き込んだ海城であり、豊前・中津城、伊勢・津城とともに日本三大水城の一つとされる。西から南にかけての桜の馬場、東の三の丸、北の二の丸と北の丸に囲まれて、本丸が内堀の中央に浮かぶ。
現在、玉藻公園として、桜の馬場の一部、三の丸、二の丸、本丸が残る。また建物としては、北の丸に月見櫓、水ノ手門、続き櫓が、桜の馬場に艮櫓が残されている。


桜の馬場の東の、旭橋と旭門。門の内部は枡形になっている。 三重櫓の艮櫓(重要文化財)。元は、東の丸の北東の隅櫓であったが、桜の馬場の南東隅の太鼓櫓跡に移築された。


桜の馬場と三の丸との間の桜御門跡 北の丸の北側の石垣


二の丸 本丸と、天守台の石垣。天守台は高く聳えていたはずだが、現在(2010年)改修工事中。


中堀と、二の丸の石垣 内堀と本丸。二の丸と本丸の間に天井橋の鞘橋がかかる。

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