三田陣屋
所 在 地 | 兵庫県三田市屋敷町 | 別 名 | 車瀬城 |
遺 構 | 堀 | 形 式 | 陣屋 |
築 城 者 | 九鬼久隆 | 築 城 年 | 寛永10年(1633) |
歴 史 | 三田の町は、金心寺の城下町として発展したまちであり、天正年間より、荒木氏、山崎氏、有馬氏、松平氏と城主が代わった。この城は三田古城と呼ばれるが、場所は分かっていない。 寛永10年(1633)、伊勢・鳥羽から、九鬼水軍頭領の九鬼久隆が、海のない三田に転封され、三田陣屋を築いた。 鳥羽城主・九鬼守隆の跡目を三男・隆季と、五男・久隆が争い、久隆が頭領となるが、九鬼水軍の力を殺ぐため、幕府の命定により、九鬼氏を二分して、久隆を摂津・三田に、隆季を丹波・綾部に、移した。 以後、明治維新まで、九鬼氏13代が在封する。 |
歴 代 城 主 | 九鬼氏13代(3.6万石) |
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本丸跡の三田小学校の前に建つ石碑 | 本丸の南側の天然の堀となった三田御池 |
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本丸と二の丸の間の堀 |
陣屋は本丸と二の丸からなり、現在、本丸は三田小学校、二の丸は有馬高校となっている。三田小学校と有馬高校の間に堀が残っている。 |
三田陣屋跡は、JR三田駅の西南西の方向、徒歩約15分。周囲に駐車場はない。 |