網干陣屋

 所 在 地   兵庫県姫路市網干区興浜  別 名    ―
 遺 構   門  形 式   陣屋
 築 城 者   京極高知  築 城 年   寛文年間(1661-1672)
 歴  史  網干は、寛永14年(1637)に京極氏・龍野藩領となったが、万治元年(1658)に京極高知は讃岐の丸亀に移封になる。このとき、揖保郡1万石の領地は引き続いて京極家領となり、丸亀藩の飛び地となる。
丸亀藩は、網干の地に陣屋を設け、郡代・郡奉行を派遣して支配させた。
陣屋は明治維新まで存続した。
歴 代 城 主 京極氏


門扉に取り付けられた京極家の紋章

復元された陣屋門は、間口5間半(10.3m)、奥行き2間余(4m)。白漆喰の外壁に焼き杉の腰板が張りめぐらされている。京極家の角四ツ目門入りの丸瓦、鬼瓦などが使用されている。
内部は丸亀藩・興浜陣資料館となっている。一般公開されているのかは不明。


明治に入って、陣屋の建物は殆どが取り壊されたが、門は興浜村の檀尻庫として使用され、残った。
この門は陣屋の正門であり、かつて揖斐川の近くに建てられていた。老朽化が進んだため、昭和62年に解体復元され、現在地に移して残されることになった。
網干陣屋跡は、山陽電鉄網干駅から徒歩約15分。

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