置塩城
所 在 地 | 兵庫県姫路市夢前町宮置・糸田 | 別 名 | |
遺 構 | 石垣 曲輪 土塁 空堀 | 形 式 | 山城(標高370m) |
築 城 者 | 赤松政則 | 築 城 年 | 文明元年(1469) |
歴 史 | 赤松氏は、嘉吉元年(1441)の嘉吉の変で滅んだが、長禄2年(1466)に赤松政則により再興された。置塩(おじお)城は赤松政則により文明元年(1469)に築城されたと伝わる。 置塩城が赤松氏の居城として巨大化するのは、16世紀以降で、2代後の赤松正晴、次いで赤松義祐、赤松則房の時代である。 永禄12年(1569)の織田信長の播磨出兵のときには、赤松義祐は反織田方であったが、その子の赤松則房のときには、織田方と和睦した。 天正9年(1577)に羽柴秀吉により播磨が平定されたあと、天正10年に置塩城の破城令が出され、天正13年(1581)に赤松則房が阿波に移封されることにより、置塩城は廃棄された。 |
歴 代 城 主 | 赤松氏 |
![]() |
伝二の丸北曲輪群の東側の大石垣 |
![]() |
城山の山頂部に展開する西播磨最大規模の山城。 標高370mの最高所に位置する第T曲輪群(右)、その西側の第U〜第W曲輪群からなる。 |
![]() |
![]() |
|
第T曲輪(伝本丸) | 第T曲輪から南西方面の眺望 |
![]() |
![]() |
|
第U曲輪(伝二の丸)の北側の空堀 | 第U曲輪(伝二の丸) | |
![]() |
![]() |
|
第V曲輪(伝三の丸) | 第U曲輪(伝二の丸)の南側の石垣 |
<アクセス> 県道67号線を北上し、夢前町宮置の置塩小学校の北側の三叉路を右折する。500m弱で川を越えて左折し、川沿いに500mほどで、置塩城の案内板がある。ここから山に入る。10台以上駐車できるスペースがある。山道を30分ほど登ると、城域に達する。(2010.04.25) |