苗木城

 所 在 地   岐阜県中津川市苗木  別 名   高森城、赤壁城、霞ケ城
 遺 構   石垣 天守台 曲輪 井戸  形 式   山城(標高432m、比高170m)
 築 城 者   遠山景村  築 城 年   南北朝期
 歴 史  苗木城は、南北朝時代に、岩村城の支城として、遠山景村によって築城されたのが始まりとされる。
戦国時代に入ると、織田と武田の勢力の狭間となって争いに巻き込まれるが、当主の遠山直廉は織田方に属し、その養嗣子の友勝も織田に属する。対して、武田信玄は天正元年(1573)に高遠城の秋山信友に岩村城を攻め落とさせ、苗木城は織田方の最前線となる。
織田信長が本能寺で死ぬと、城主の遠山友忠は徳川家康に属し、金山城の森長可と反目して攻められ、天正11年(1583)に落城する。苗木城には城代として森忠政、河尻直次を入れた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに際して、遠山友忠とその子の友政は、西軍に属した河尻秀長が守備する苗木城を攻めて奪取する。
この功により、遠山氏が苗木城の城主に返り咲き、以後、明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 遠山氏、森氏、河尻氏、遠山氏12代(1万石)


         三の丸の大矢倉の石垣
一階が石垣内に囲われた、二層三階の大矢倉が建てられていた。城内最大の櫓建築。


苗木城は、巨岩連なる岩山の高森山(432m)の山頂部一帯に築かれた山城であり、眼下に見下ろす木曽川とは170mの高低差がある。苗木城の現在の姿は、遠山友政によって近世城郭に改修されたものである。
高森山の頂上に本丸を置き、その西に二の丸、さらにその北に三の丸を配す縄張りになっている。自然の巨岩をたくにみ利用した石垣が見もの。1万石の小藩の居城とは、とても思えない規模である。


三の丸の石垣 三の丸の吹上門の跡
大手門とも呼ばれ、櫓門が建っていた


二の丸の大門跡
城内で最も大きな櫓門である
菱櫓の石垣


本丸口門跡 本丸の石垣


天守台        天守台と木造骨組み
天守は二つの巨岩の上に跨るように建てられており、三層建築であった。


<アクセス>
国道257線の中津川道路を北に越えて直ぐ右折。苗木遠山資料館を目指して進む。資料館の駐車場を利用することができる。またこの資料館を越えて右折すると三の丸の直下の駐車場まで車で入ることができる。(2009.06.03)

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