松ケ島城

 所 在 地   三重県松坂市松ケ島城  別 名    ―
 遺 構   天守台  形 式   平城
 築 城 者   織田信雄  築 城 年   天正8年(1580
 歴  史  松ケ島は、参宮古道に沿った要衝の地。天正8年(1580)、織田(北畠)信雄は、田丸城が焼失したのを機に、南伊勢支配の居城を松ケ島に移した。
その後、織田信雄の家臣の津田義冬、滝川雄利が城を預かり、天正12年(1584)には蒲生氏郷が12万石で入城した。
しかし天正16年(1588)、蒲生氏郷は四五百(ヨイホ)森に新たな居城として松阪城を築いて移転し、松ケ島城は廃城となった。
歴 代 城主 織田信雄、蒲生氏郷


天守山と呼ばれており、付近から金箔付きの瓦が出土しているので、天守台であった可能性が高いとされている。この天守台以外、城の遺構は全く残っていない。


松ケ島城には、織田信雄によって五重の天守が築かれていたといわれ、大城郭であったようだ。古図には天守跡、堀之内、丸之内、城の内などの城郭名がみえるという。しかし、松阪城への移転に際して、松ケ島の町人や寺院は強制移住させられ、松ケ島は一瞬にして漁村に戻ったという。
現在、松ケ島城の跡を偲ばせるのは、天守台と伝える盛り土のような小さな丘のみ。この天守台跡は、松ケ島町の集落の細い道を抜けた、水田と畑の間にある。


現地の案内板より


松ケ島図(明治初期)

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