宮山城

 所 在 地   三重県津市久井町戸木  別 名   ―
 遺 構   土塁、空堀  形 式   平山城
 築 城 者   木造具政  築 城 年   天文23年(1554)
 歴  史  宮山城は、木造(こつくり)具政が、居城の戸木(へき)城の出城として築いた。木造具政は、伊勢国司の北畠具則の弟で、戸木氏に養子に入り、戸木の地で隠居し、戸木御所といわれたという。
天正12年(1584)、木造具政の子の長政のとき、小牧・長久手の戦いの一環として、木造氏は羽柴秀吉に攻められ、宮山城は羽柴方の蒲生氏郷により落城する。そして宮山城は戸木城の攻城の陣城として羽柴方に利用されたあと、廃城となったようだ。
歴 代 城 主 木造氏


             主郭
南北に長い20×30mの矩形であり、東面に虎口が開いている。単純な平虎口。
主郭の南側の土塁と、その外側を囲む空堀。


外郭の土塁と空堀 南東からの遠景


宮山城は、敏太(とした)神社の裏山に築かれている。主郭と、主郭の東及び南の二面を囲む外郭からなる。主郭は20m×30m程度の小さなもの。また外郭を含めても50m四方程度であり、軍勢が籠るにはあまりにも小さい。
現在、主郭には稲荷神社の小さな社殿が建っているが、土塁及びその外側の空堀が明瞭に残っている。また外郭についても、土塁や空堀がしっかり残っている。外郭の虎口は複雑に屈曲しており、羽柴方の陣城となった際に設けられたようだ。
敏太神社の拝殿・本殿の脇を抜けると、程なく主郭に達することができる。

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