鹿伏兎城

 所 在 地   三重県亀山市関町加太市場  別 名   加太城
 遺 構   石垣、土塁、曲輪  形 式   山城(標高264m)
 築 城 者   加太盛宗  築 城 年   正平年代(1346-1369)
 歴  史  鹿伏兎(かぶと)城は、関五家の一つ、加太(鹿伏兎)氏の居城である。
伊勢・鈴鹿郡を支配した関盛政の四男の盛宗が、加太氏として分家し、正平年代(1346-1369)に築城したのが始まりとされる。
元亀11年(1568)に、織田信長が北伊勢に侵攻すると、関一族は織田政権に服属した。
そして天正11年(1583)、本能寺の変のあとの賤ヶ岳の戦いのとき、羽柴秀吉が織田信孝と対立した際に、加太氏は織田信孝に与したため、羽柴秀吉と手を組んだ織田信雄に攻められ、鹿伏兎城は落城した。以後、廃城となったようである。
歴 代 城 主 加太氏


       神福寺と、鹿伏兎城のあるの裏山
神福寺は加太氏の城館跡であり、鹿伏兎城はその詰めの城と考えられる。最近の発掘調査の結果、神福寺から西50mの地点のほうが城館跡の可能性が高いとみられている。


鹿伏兎城は、加太氏の城館の跡とされる神福寺の裏山の山頂にある。神福寺の脇から山中に入り、山頂まで20分程度。山道が荒れていて、道を見失い、おまけに熊の足跡らしきものに遭遇し、断念して引き返す。山頂には石垣が残されているはずであり、それが目当てであっただけに、非常に残念。
鹿伏兎城跡は、三重県指定の史跡であるが、全く整備がされていない。峯城の場合も同様に荒れており、史跡の保存にあまり力を入れない県のようだ。


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