波切城

 所 在 地   三重県志摩市大王町波切  別 名    ―
 遺 構   曲輪  形 式   丘城
 築 城 者   九鬼隆良  築 城 年   貞治年間(1362-68)
 歴 史  波切の地は、志摩地域の海路の要衝に位置し、鎌倉時代より川面氏が支配していた。
室町南北朝時代の貞治年間(1362-68)に、紀伊尾鷲の九鬼隆良は東進して、川面氏の養子となった。九鬼隆良は台頭して波切を支配下に置き、大王埼に突き出る丘陵に波切城を築く。以後、波切城を本拠として、九鬼氏は志摩に勢力を張る。
6代目の九鬼嘉隆のとき、織田信長に仕えて志摩一国を支配し、大坂本願寺合戦の際には九鬼水軍を率いて戦功を挙げた。さらに本能寺の変の後は、豊臣秀吉に属した。
文禄3年(1594)に鳥羽城を築城し、本拠を移す。
歴 代 城 主 九鬼氏6代


三方が断崖の海岸段丘の上が、城址の本丸。大王埼灯台の上から見た情景。


波切城は、大王埼灯台の近く、海に半島状に突き出る海岸段丘の上に築かれていた。北・東・南の三方が数十米の断崖絶壁になった自然の要害であるが、面積は狭く、砦の規模。
現在、城跡は、大王埼灯台を丁度よい距離で見ることができるビューポイントの八幡公園となっている。一部石垣などがあるらしいが、遺構は殆ど残っていない。


「波切九鬼城址」の石碑 城址の八幡公園から見える大王埼灯台


<アクセス>
大王町波切の大王埼灯台から、西に100mほどを下ると、八幡公園があり、ここが城址。車で入ることができないので、大王埼灯台観光用の有料駐車場を利用する。(2009.09.20)

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