勝山御殿

 所 在 地   山口県下関市田倉御殿町  別 名    ―
 遺 構   石垣、曲輪  形 式   陣屋
 築 城 者   毛利元周  築 城 年   元治元年(1864)
 歴  史  長府藩は、周防灘に面した櫛崎城城跡の麓に長府陣屋を構えていたが、文久3年(1863)、攘夷実行のために外国船に砲撃を加えた。これに対して外国船から報復砲撃を受けた。
そこで、海岸に近い陣屋を放棄し、元治元年(1864)、四王司山・勝山・青山の三山に囲まれた、内陸の田倉の谷奥に新陣屋を建設して、移転した。これを勝山御殿と称した。
明治2年(1869)、長府藩から豊浦藩へと改称する。
歴 代 城 主 毛利氏2代(5万石)


陣屋の正面。手前が三の丸、奥が二の丸の石垣。


勝山御殿の建設は、領民を動員して突貫工事で行なわれ、わずか七ヶ月で完成した。
山の南向き斜面を三段に削平し、上段から本丸、二の丸、三の丸が連郭式に造られた。各曲輪には石垣が用いられ、本丸には60以上の部屋を数える壮大な御殿があった。城域は、190m×90m×70m×95mの範囲。
石垣はほぼ現存しており、二の丸や三の丸は整地されて公園のような広場となっている。御殿と呼ばれているが、石垣は壮大で見ごたえがある。


二の丸の石垣。石を斜めに落とし込んだ落とし込みの工法で築かれている。 手前が二の丸、奥が本丸の石垣。


二の丸の東面の石垣 本丸の東面の石垣


<アクセス>
県道247号線の、勝山サテライトクリニックがある三叉路を北に折れ、セブンイレブンの前を通過して道なりに進むと、右側に城址の石垣が見える。山歩きの起点にもなっているようであり、付近に広い駐車場もある。(2008.11.09)

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