長府陣屋

 所 在 地   山口県下関市長府宮崎町  別 名    ―
 遺 構   石垣、堀  形 式   陣屋
 築 城 者   毛利秀元  築 城 年   元和元年(1863)
 歴  史  長州藩の支藩である長府藩は、櫛崎城を構えたが、元和元年(1615)の元和の一国一城令により、櫛崎城を破却した。そして櫛崎城の西麓に居館を構えた。これが長府陣屋である。
文久3年(1863)、長州藩が攘夷実行のために外国船に砲撃を加えたのに対して、報復攻撃される。
元治元年(1864)、海岸に近い陣屋を放棄し、内陸の田倉に新陣屋(勝山御殿と称する)を建設して移転した。
歴 代 城 主 毛利氏14代(5万石→3.8万石→4.7万石→5万石)


陣屋跡の豊浦高校。

グランドのあたりに陣屋があったと推定されている。

手前は、櫛崎城のある関見台公園の駐車場


長府陣屋は、当初は、東と西が海、背後の南が櫛崎城跡という地形であり、北側のみ防御すれば十分であったこのため、東から北、西にかけてコの字型に土塀で囲んだ形であったとされる。
陣屋跡は、現在、県立豊浦高校となっており、遺構は残っていない。

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