櫛崎城

 所 在 地   山口県下関市長府宮崎町  別 名   長府城 雄山城
 遺 構   石垣、堀  形 式   平山城
 築 城 者   毛利秀元  築 城 年   慶長7年(1602)
 歴  史  慶長4年(1599)、毛利輝元の養子・毛利秀元(毛利元就の孫、輝元とは従兄弟)は20万石で山口に分封される。しかし翌慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏が防長2ヵ国に減封されたことに伴い、毛利秀元は5万石で長府に入封する。
慶長7年(1602)、櫛崎城を築城し、長府藩庁とする。
元和元年(1615)、元和の一国一城令により、櫛崎城は廃城になる。櫛崎城の西側に長府陣屋を構えて藩庁とする。
歴 代 城 主 毛利秀元(5万石)


城の西側の松崎口脇の石垣。100m以上の長さで残っている。小道を挟んで右側に民家が迫る。 城内の、曲輪を仕切る石垣。


本丸の一角の天守台。復元・改修されて展望台となっている。

天守台には南と東に櫓台が付設されている。史実通りに復元されているなら、二つの付櫓を接続した複合式天守であったと思われる。、


海側からみた本丸。 海側からみた櫛崎城址。


櫛崎城は、関門海峡の近く、周防灘に半島状に突き出る比高30mの勝山丘陵に築かれた。その地には、永禄年間(1558-70)に大内氏の重臣・内藤隆春によって築城されており、その跡に築かれた。丘陵の西南端に本丸を置き、曲輪が連郭式に連なる。本丸には天守台が築かれ、天守台上に礎石が残るので、天守が設けられていたと考えられる。
城跡は、現在、関見台公園として整備されている。


国道9号線の、下関市立美術館の前の交差点を海側に入ってすぐ。関見台公園の駐車場を利用することができる。

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                次の頁に進む