萩 城

 所 在 地   山口県萩市堀内  別 名   指月城
 遺 構   石垣、堀  形 式   平山城
 築 城 者   毛利輝元  築 城 年   慶長13年(1608)
 歴  史  関ヶ原の戦いで西軍の総帥となった毛利輝元は、中国8ヵ国から防長2ヵ国に減封され、拠点も広島から山陰の辺鄙な萩へと封じ込められた。
慶長9年(1604)の中ごろに縄張りを行なって築城を開始し、11月に未完の城に毛利輝元は入城している。
慶長13年(1608)、城が完成し、以後、毛利氏の居城となる。
文久3年(1863)3月、毛利敬親のとき、幕府に無断で、藩庁を山口に移す。このとき、萩城の建物の一部を山口に移したり、取り壊したりした。
明治6年(1874)、明治政府の城郭破却令により、城内の建築の総てを取り壊す。
歴 代 城 主 毛利氏14代(36.9万石)


本丸の堀と石垣。背後の山は指月山。 本丸の南西隅に設けられた天守台。高さ約14mの白亜五層の天守が建てられていたが、明治7年に解体された。


天守台から萩城下方面を望む 二ノ丸の東面の紙櫓跡付近に復元された土塀


指月山頂の詰の丸の要害門の枡形。塀の一部が復元されている。本丸から詰の丸までは山道を約20分。 詰の丸は小さいながらも本丸と二ノ丸からなる。本丸と二ノ丸の間を仕切る石垣と、門の跡。同行してくれたMさん。

詰の丸には、矢穴が穿たれた巨石が散在している。
詰の丸の石垣は、指月山から切り出した石で築かれた。余った石が放置されているのだろう。

日本海に半島状に突き出る標高143mの指月(しづき)山の麓に出来た阿武川の三角州に萩の城下があり、城下町全体が海と川に囲まれている。
萩城は、指月山を北側の背後に控えて築かれ、指月山の麓に本丸を配し、本丸の南側を水堀を隔てて二ノ丸と三の丸で半円形に囲む梯郭式の縄張りである。本丸は東西200m、南北150mの規模。指月山の山頂には詰の丸が設けられており、山頂の山城と、麓の平城を合わせた平山城となっている。
城址は現在、指月公園となっており、本丸の石垣と堀、二ノ丸の石垣の一部は良好に保存されている。

萩の最寄駅はJR山陰線であり、山陽新幹線に連絡する線もないので、訪れるには車が便利。萩城近くに、みやげ物センターの無料駐車場がある。

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