清末陣屋
所 在 地 | 山口県下関市清末陣屋 | 別 名 | ― |
遺 構 | 堀 | 形 式 | 陣屋 |
築 城 者 | 毛利元知 | 築 城 年 | 万治2年(1659) |
歴 史 | 承応2年(1653)、長府藩初代藩主・毛利秀元の二男・元知が、3代藩主で叔父の綱元から1万石を分知され、立藩する。 万治2年(1659)、清末陣屋が完成し、移り住む。 享保4年(1719)、2代藩主・元平は、本家の長府藩を継ぎ、清末藩は廃藩となる。 享保14年(1729)、毛利元平の7男・政苗(まさなり)が分知され、清末藩を再興する。以後、元平の系統で明治維新に至る。 |
歴 代 城 主 | 毛利氏8代(1万石) |
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東部中学校前に建つ石碑 | 「陣屋の池」と呼ばれる、水堀跡の一部が残る |
陣屋は、御殿山と呼ばれる丘陵上に、堀と土塁に囲まれて造営された。現在は農地の干拓によって内陸の地となっているが、当時はこの丘陵まで海がせまっていた。 陣屋の跡は、東部中学校となっており、堀と土塁の一部が残っている。また表門や御殿も移築されて残っている。 |
<アクセス> 国道491号線の、JR小月駅に近い大野歯科医院の前の信号を西に折れ、道なりに進むと、右手に東部中学校がある。ここが、陣屋跡。駐車場は特にないので、中学校の横の下関市役所清末支所の駐車場を拝借するしかない。(2008.11.09) |