神辺城

 所 在 地   広島県福山市神辺町川北  別 名   道上の城
 遺 構   曲輪、竪堀、切岸  形 式   山城(140m)
 築 城 者   朝山景連  築 城 年   建武2年(1335)
 歴  史  神辺(かんなべ)城は、元弘の変で戦功をあげた浅山景連が備後国守護職に任じられた際、建武2年(1335)に築城されたと伝えられる。以来、神辺城は備後守護職の居城として使用される。
戦国時代には、毛利氏の支城として、毛利元就の八男の元康が入る。関ヶ原の戦いのあと、広島城に福島正則が入ると、神辺城はその支城として、家老の福島正澄が3万石が配置される。
元和5年(1619)に福島氏が改易されると、神辺城には水野勝成が入るが、水野氏は福山城を築いて本拠とする。神辺城は一国一城令により、元和6年(1620)に廃城となる。
歴 代 城 主 朝山氏、山名氏、毛利氏、福島氏、水野氏


四番櫓が建っていた四の曲輪と、奥が三番櫓が建っていた三の曲輪(三之丸) 二番櫓が建っていたニの曲輪(二之丸)と、奥が一番櫓が建っていた一の曲輪(本丸)。石は、石垣の跡?


二之丸から見下ろす、神辺の町 毛抜堀切の跡 少々わかり辛いが


山頂に一の曲輪を配置し、その西側に二の曲輪から四の曲輪まで階段状に曲輪が連なる連郭式の縄張りであり、一の曲輪から四の曲輪までそれぞれ一番櫓から四番櫓が建っていた。さらに塩櫓、玉櫓、人質櫓、乾櫓などの櫓群があった。多くの櫓は、福山城を築く際に移築されたといわれる。
現在、階段状に削平された曲輪群が残っており、下草などは除かれて、気持ち良く訪れることができる。発掘調査によって、礎石跡や、瓦などが検出されている。


現地案内図

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