小倉山城
所 在 地 | 広島県山県郡北広島町新庄 | 別 名 | ― |
遺 構 | 曲輪、土塁、堀切 | 形 式 | 山城(460m) |
築 城 者 | 吉川経見 | 築 城 年 | 14世紀後半〜15世紀前半 |
歴 史 | 吉川氏は、駿河の吉川庄に居住して吉川と称したのに始まるとされる。正和2年(1313)、経高のときに安芸・大朝庄の地頭として移住し、安芸・吉川氏が始まる。 石見・吉川の経見が、惣領家の安芸・吉川の4代目を継ぎ、本拠を大朝本庄から新庄に移して築城したのが、小倉山(おぐらやま)城である。 吉川氏は、その後、安芸北部から石見へと勢力を伸ばし、本拠城である小倉山城もそれに伴って、拡張・整備された。 10代吉川経興のとき、天文14年(1545)頃、本拠城を日山城に移し、小倉山城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 吉川氏 |
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本丸の東区画 礎石や掘立柱跡が検出され、2棟の建物があった。本丸の西区画は一段低くなっている。 | 本丸の南側郭の礎石建物や掘立建物の跡。この郭にはこの他に、門跡も復元されている。 |
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二の丸 | 三の丸 |
![]() 本丸と三の丸の間の帯郭に復元された土塁 |
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右 現地案内図 |
小倉山城は、標高460m(比高80m)の山頂を本丸とし、その北西に二の丸、北東に三の丸が配され、これらは帯曲輪で結ばれる。また本丸の南西には御座所と呼ばれる広い平坦地がある。 本丸曲輪及びその周辺は、発掘調査され、調査結果に基づいて整備されている。 |