福山城

 所 在 地   広島県福山市丸之内  別 名   久松城、葦陽城
 遺 構   櫓、門、石垣、堀、門、天守(再建)  形 式   平山城
 築 城 者   水野勝成  築 城 年   天和8年(1622)
 歴  史  元和5年(1619)、福島正成の改易を受け、水野勝成が、大和郡山より、福山に入封する。
元和6年(1620)、福山城の築城を始める。元和8年(1622)に福山城が完成する。五重天守もあがる。
元禄11年(1698)、五代目の水野代勝岑が2歳で没し、無嗣改易となる。
元禄13年(1701)、松平(奥平)忠雅が、出羽山形より、入封する。
永保7年(1710)、松平忠雅は、伊勢桑名へ移封される。阿部正邦が、下野宇都宮より、入封する。以後、阿部氏が明治維新まで在封する。
昭和20年(1945)、米軍の空襲により、天守が焼失する。
歴 代 城 主 水野氏2代(10万石)、松平(奥平)氏1代(10万石)、阿部氏10代(10万石)


天守
昭和41年にコンクリート造りで外観復元して再建。
五層六階の望楼型天守
小天守を従える複合式

本来、北面の1階から4階までの外壁に鉄板が張られていたが、再建天守では白亜総塗籠となっている。


福山城は、五重天守、三重櫓を7基、二重櫓を16基、櫓門を10基を擁する大城郭であった。
天守は昭和20年に米軍の手により焼け落ち、現存する建築物は、伏見櫓と筋鉄御門のみである。
現在、二の丸や三の丸は市街地と化し、堀も内堀の一部を残して埋め立てられた。本丸は整備して保存されており、天守、御湯殿、鏡櫓が復元されている。


筋鉄御門(国重要文化財)       伏見櫓(国重要文化財)
三重三階の望楼型櫓として、貴重な遺構。
伏見城から移築されたと伝えられていたが、昭和29年の解体修理の際に、事実であることが、梁材の墨書で確認された。





本丸


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