亀居城

 所 在 地   広島県大竹市小方2丁目  別 名   小方城
 遺 構   石垣、天守台、曲輪  形 式   平山城
 築 城 者   福島正則  築 城 年   慶長13年(1608)
 歴  史  慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いのあと、毛利輝元は周防・長門2カ国に減封され、広島から退去した。代わって、福島正則が、安芸・備後を与えられて、入封した。広島城を本拠とした福島正則は、領国内の小方、三次、東条、三原神辺、鞆にそれぞれ支城を築いた。
周防との国境の小方の亀居城は、毛利氏に備える城であり、甥の福島正宣(伯耆)を配置し、慶長8年(1603)から築城を開始し、慶長13年(1608)に完成した。
しかし、徳川将軍家と大坂の豊臣家との対立が高まると、豊臣恩顧の福島正則に対する江戸幕府の圧力が大きくなり、結局、慶長16年(1611)に亀居城は破却された。
歴 代 城 主 福島氏


本丸の高石垣 本丸への虎口 枡形となっている
発掘調査をして、石垣が組み直されているが、現代工法で積まれており、慶長期の石垣が再現されていないという批判もあるようだ。そのような意見は傾聴すべきであるが、それにしても、本丸は完全に総石垣となっており、支城と思えない規模の石垣である。


本丸の東隅に設けられた天守台の高石垣。確かにこの石垣積みは、慶長期のものとは考え難いようだ。 本丸内で、一段高くなった天守台。本丸から海と港を見晴らすことができるが、当時は城の直下に港があったとされる。




現地案内板
石垣に付けられた刻印。亀居城では42種類の刻印が発見されており、そのうち21種類は広島城のものと共通するという。


亀居城は、海に面した小高山の上に築かれており、山頂に本丸を置き、二の丸、三の丸、有の丸、なしの丸、松の丸、名古屋丸、捨丸が連格式に連なり、さらに本丸と有の丸の横に詰めの丸、鐘の丸、妙見丸が設けられていた。その面積は十町歩にもなり、支城にしては規模が大き過ぎるので、幕府に疑惑を与えたともいわれる。亀居城の名前は、城地が亀が伏したような形であることによる。
廃城のあと、天守その他の建造物は除去され、石垣のみが草木に埋もれていたが、昭和53年(1978)に発掘調査が行なわれ、石垣を積み直すなどして、現在、亀居公園として保存されている。

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